人は創造主であることを思い出す
1.はじめに
日本には古代より受け継がれてきた宝、三種の神器があります。
八咫鏡、草薙剣、(別名:天叢雲剣)八尺瓊勾玉。
日本神話において、天照大御神が天皇の祖先とされる瓊瓊杵尊に日本を治めることを目的として授けた宝だとされています。
三種の神器は皇位の印として代々受け継がれ、これらを所持することが正統な帝の証とされてきました。
日本の宝として誰もが知る存在ではありますが、実物は公表されておらず、天皇さえも実見されたことはないそうです。
そして、実際に見たという方も本当にいらっしゃるのかどうか定かではありませんし、実在するのかどうかも誰にも分からないのです。
もしも、架空の物であったとしても、三種の神器は神が宿ると信仰され、その存在感は日本では揺るがないものであることには違いありません。
鏡、剣、勾玉。
この宝は神の国と呼ばれる日本に住む人々の心に宿っています。
人は神の分霊であるという神道の概念でいわれているように、誰もが神、つまり創造主であるということがいえます。
荒れ果てた地上で人が生き抜くためには、自らが創造主であることを思い出す必要があるのです。
それを思い出させるものが心にある三種の神器です。
今回は、心の中にある三種の神器についてご紹介します。
2.鏡
鏡は自分自身を嘘や偽りがなく等身大に映し出すアイテムです。
「鏡の法則」という言葉を聞いたことはありませんか?
自分が見ている現実は自分の心の中を映し出しているという法則です。
つまり、自分の人生に起きる問題の原因は、全て自分自身にある…ということなのです。
そんなはずはない!
受け入れ難いと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、いつも外側に意識を向け、他人の粗探しや、現状の生活環境に不平不満ばかりを言い続けていると、見事にその現実が目の前に現れます。
心理学の言葉でいいますと、これを「投影」といい、自分の心の中にある好きなことや嫌いなことも、鏡のようにそのまま現実に映し出しているのです。
他人の嫌いな部分を好きになることは無理があるかもしれません。
ですが、他人の嫌な部分はできるだけ見ないように、また、少し上から目線と感じてしまうかもしれませんが、許す、認めるということは誰にでもできることと思います。
どのような人も完璧な存在であり、不完全な存在です。
神は完璧な存在なのかもしれませんが、人間にはエゴ、つまり「我」というものがあります。
神社の社殿には神鏡という鏡が配置されています。
「鏡」という文字から「我」を抜くと「神」となります。
神鏡は「我を抜き己の姿を見ればそれが神である」ということを教えているのです。
つまり私たち一人一人が神、「自分自神」という創造主であることを思い出させる場所が神社なのです。
3.剣
剣は武器でもあり防具でもあります。
相手を攻撃し消滅させることで自分を守ることもできるのです。
これは人間が使う言葉というものによく似ています。
言葉には霊力が宿ることから言霊と呼ばれています。
使い方次第では相手を立ち直れない程に傷つけることもできます。
そして、人に喜びと楽しみを与えることができるのも言葉です。
剣も言葉も人間にしか使いこなすことができない特殊なものです。
この特権を有意義に使うためにも、愚痴や悪口、不平不満ばかりを吐き出さず、愛、感謝、喜びに満ちた言葉が、優しい波動として波紋のように広がり、人の心を穏やかにするのです。
感情は無意識に湧き起こりコントロールが難しいものですが、言葉はコントロールが可能です。
心の中にある剣を人に向けることや、むやみに振り回すことは結果的には自分に戻ってきてしまう「因果の法則」というものがあります。
一人一人の心の平穏は争いを生むこともなく、世界の平和にも繋がっていくのです。
4.勾玉
勾玉はその独特の形から、何を表しているのかさまざまな説があります。
勾玉を二つ合わせた形は何かに似ていると思いませんか?
これは「陰陽太極図」または、「太陰太極図」と呼ばれるもので「天地万物あらゆるものは陰と陽のバランスによって成り立っている」ということを表しています。
陰と陽は表裏一体であり、完全な「陰」、完全な「陽」は存在しません。
太極図を見ていただくと分かるように、黒色の中には白い点があり、白色の中には黒い点が描かれています。
陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があり、お互いにバランスを取っています。陰と陽はこの世の中の二元性を表しています。
天と地、男と女、大と小・・・。どちらも必要な存在であり、どちらかが良い悪いといったものでもありません。
この世の中は表裏一体です。
悪いものは悪と決めつけてしまいがちですが、悪があってこそ善があることを忘れてはならないのです。
善と悪といった二元論の概念を取り払い、中立という視点でものごとを意識してみると、悟りの境地に達することができるようになるといわれています。
これはスピリチュアル界隈でいわれている分離から統合に向かうということに当たるのではないかと思います。
私たちは神の分霊であることから、現在は分離の状態にあります。
元々は一つの存在だったことを思い出すことで、世の中の調和と循環が成り立つのです。
心の中の勾玉は宇宙の真理を教えてくれる形なのかもしれません。
5.まとめ
いかがでしたか?三種の神器はそれぞれに神が宿るといわれる日本の神聖な宝です。
実在するものかどうかは誰にも分からないことではありますが、鏡、剣、勾玉のように心の中に三種の神器を宿すことは誰にでもできるかと思います。争いのない平和な世の中にするためには、一人一人の心の在り方が重要です。
そして、誰もが完璧な存在であり、誰もが創造主であることを思い出すことで、新しい調和に満ちた世界を迎えることができるのです。
それが弥勒の世ということなのかもしれません。