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青春漫画抄(昭和)㉕


(*東京渋谷駅・近辺。)


(*さいとうたかお『ゴルゴ13』。左端は当方画。)


*《 ゴルゴ13 》


1971年。

世間的にはまだ
あまり知られていない「劇画」のヒーローの
テレビ登場である。
革新的ともいえるその職場に、
我々はワクワクしながら挑んだのである。

「井上班」と「私班」二班の体制で作業スタート!
完成を競うように、それぞれ別の作品を担当する。
二班は当然、ライバルともなっていた。

☆ ☆ ☆


人物は基本、B4のボードに描くのだが、
時にはもっと大きい場合もあり、心地良い作業となった。
数多くの枚数をこなさなければならず、
漫画と同じように締め切り期日もあり、職場は活気に満ちていた。 

ほとんどが初対面であり、様々な経験人員がスタッフとなっていた。
当然、漫画家志望者が大半かと思っていたが、
中には、井上さんと同じようにテレビアニメにもなった
『宇宙少年ソラン』の作者「宮腰義勝」さんもいた。

井上さんとは、『横山光輝』先生の職場の同僚でもあり、
『手塚治虫』先生の弟子でもある。

射的(テキ)屋が職業だというインテリ風の青年や、
モデルのような若者がいたり、目的が何かもわからない人がいたり・・・
基本、若者主体の男メインの職場であった。


*《 異端児の私 》


特殊な業種といっても、就業期間中はサラリーマンでもある。
就業時間は決められており、誰もがそれを守っていた。
・・・が、ひとり問題児がいた。

私である。背景班のひとりが声を上げた。

「どうして私君だけが自由なんですか?
好きな時間に出社して、好きな時間に帰ってますけど・・・
変じゃないですか?!」

「この人はこういう人(どういう人?)だから
大目に見てやってよ! あはは・・・」

井上さんが私を擁護してくれた。 


「私君は格好良すぎるよ! そのままでいいんじゃない?」と、
射的屋のお兄さんの応援もあって、その職場で私のみ・・・
いつしか異端児のまま認可される空気が出来上がっていた。

私はごく自然に自分時間で出社し、自分の仕事を終え、
しかも遅れぎみの井上さんのかなりの量の仕事を手伝い・・・
頃合を見計らって退社していたのである。

疾風のごとく現れ、疾風のごとく仕事し、疾風のごとく去る・・・
月光仮面?(違!笑)

想えば・・・とんでもなく身勝手な若造だった。


☆ ☆ ☆


*《 職場が自宅 》


私は国領から職場に通っていたが、
次第に億劫(おっくう)になってきて
職場のソファーをベッドとして泊まる日が増えていた。

そしていつしかそれが日常となり、同僚達も見て見ぬふりで
注意さえしなくなっていた。 

仕事が終わると、仲の良い同僚達と、よく飲みに出かけていたが、
ビルの二階にある仕事場のドアの真向かいにも「スナック」があり、
皆が利用していた。

残業の時など、頻繁にエネルギー補給に直行していた。
マスターの手際が好きで、私がよく注文していたのは卵4個のオムレツ。
お供は、ウイスキー・ダブル、グラス一杯。
それが仕事の癒しとなっていた。 

宮腰さんともよく一緒になったが、彼は「サントリー・白」が好きで、
「これが一番旨いんだよ♪」と、
優しい笑顔のまま様々な経験を話してくれた。

☆ ☆ ☆


*《 事件?》


とある日の就業後、すでに離婚している井上さんの
現・彼女が私の自宅・・・・もとい、職場に訪ねてきた。
井上さんとも連絡が取れず、どうしようかと迷っていると

「食事に行きましょう」との誘い。

(それくらいいいか?)と、外食。
さらに飲みの席で、彼女の愚痴を聞いていた。

そして・・・しこたま酔った彼女は、職場に泊まると言う。

私は困ったが・・・
私のソファー(違!)を譲り、彼女を寝かせる事にした。 


朝となり、仕事場を出る彼女と出勤する同僚が対面。
当然、職場で寝泊りしている私との噂が立ち・・・


真に受けた井上さんから「私君の彼女にするか?」とのお言葉。
もとより激しく誤解だったので、
状況を説明して納得してもらい・・・お断りした。(笑)

(つづく)





〇おまけ

*私のデビュー後の絵の数点を載せてみます・・・☆

*リイドコミックに掲載された『陽美子』より。右下は『野菊の墓』より。
*リイドコミック掲載『左ききのバニー』より。

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