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青春漫画抄(昭和)㉖


(*さいとうたかお『ゴルゴ13』)


*《 奇跡の一夜 》


『ゴルゴ13』のテレビ放映も始まり、
職場もますます活気を帯びていた。

締め切り期日手前・・・「私班」の作業は終えているのに
「井上班」の作業が著しく遅れていた。
井上さんが終えるべき人物画作業が、白紙のまま絶望的に
残っていたのである。
しかも、井上さんの居場所が何処とも知れない?!

就業時間を終え、同僚の皆が帰った後・・・
何故か三人の勇者が残っていた。


投影機作業のB氏。人物ペン入れの私。
そして、背景ペン入れのO氏である。

井上さんの残した仕事は
一晩くらいの徹夜で済む仕事量ではない。

だが・・・我々は、
明日までに徹夜で終えるのだ! と決めていた!

☆☆☆


作業はスタートし・・・☆
修羅と化した三人の激闘の夜は過ぎ、朝を迎えた。
そして・・・信じられない量の作業をこなしていた。

一晩で

なんと250枚を描き上げていたのである!!


・・・あり得ない奇跡の一夜であった。



*《 職場の労働闘争、そして・・・ 》


そんな事もあり、
職場にはトップである井上さんに対する不満が渦巻いていた。
井上さんは糾弾され・・・
自らを含めた同僚たちへの報酬明細を提示する事となった。
端的に判りやすかったのは、
私の報酬の倍額が井上さんの手取りだった事である。

井上さんに対する同僚達の糾弾は続いていたが・・・
実は私はそんな事はどうでもよかった。

実際、この職場での報酬に満足だったし、
貯まった100万円の現金を初めて目にして
大富豪気分さえ味わった(笑)。
何よりこの仕事を紹介してくれて、
私の飢餓を救ってくれたのは井上さんだったからである。

だが・・・壊れかけた職場の空気は回復する事もなく、
同僚の多くが辞めて、私もその一人となった。


*立て直しを計った『ビデオサービス』だったが、
その後、短い期間で解散した。


*《 同僚の中に 》


同じ班の背景班に居た「秋山耕輝」は
後に劇画家としてプロデビューし、地道に多くの作品を世に出した。
彼とも付き合いが長い。

彼と友人だった背景班の「石元」はその後編集者となり、
今でも編集プロダクションを立ち上げて現役である。
つい近年も彼からの依頼の仕事を受けた。

彼らの友人であった、背景班の「和田順一」も劇画家としてデビュー。
暫くの間、漫画界で活躍していたが・・・
バイクが好きだった彼は、仕事を失った頃のツーリングで、
バイクを残したまま行方不明。一年後に遺体として発見された。
「バイクが好きなら教えてやるよ!」と、
自慢化に話していた頃が懐かしい。

宮腰さんの2005年の死を知ったのはWikipediaでだった。
「サントリー・白」が大好きで、
優しそうだった彼の笑顔が忘れられない・・・


*《 それぞれの未来へ 》 


同郷の川端は漫画を断念し北海道に帰ったが、
吾妻も菊池も雑誌の脇に載る漫画の仕事を受けていたし、
伊藤は『ビックコミック』の新人賞に応募し、佳作に入選していた。
和平は新たに「みやわき心太郎」を師事して頑張っているようだった。
(北風5人衆)


1971年・・・

我々にとっての黎明期である。
それぞれが、それぞれの人生に向かって歩き始めていた。


(次回、最終回。《 エピローグ 》へ、つづく)



*昭和が終わり平成となり令和となった今の時代から
半世紀以上も前のこと・・・

この時の私はまだ
漫画家としてのデビューもしていませんでした。😊



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