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青春漫画抄(昭和)⑳
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*《 池上遼一 》
過酷な職場にも時には平穏が訪れて休日となり、
そんな時には仲間と会ったりして自由を謳歌していた。
そんな折、友人、伊藤の先生である「池上遼一」から
助っ人の依頼があった。
吉祥寺に仕事場と自宅のアパートの一室があり、
自宅の部屋を見て驚いた!
部屋の中央に・・・
正しく重ねる感性を失ったかのように山積みされた
文庫本の山!? これらの全てを読んだ池上先生には
どれ程の知識が詰め込まれているのだろう!?
ちなみに私も中学生の頃、
以前紹介した置戸町の、貸出率日本一だった町立図書館にて
貸出率パワーに取り憑かれたかのように、毎日か二日に一度のペースで
本を借りまくって読んだ時期がある。一年間で三百冊以上である。
その時期で読書を止めた訳でもなく、それなりに続けていた習慣だから
決して負けてはいないが・・・(負け惜しみ!笑)
さて、助っ人として対面した作品は商業誌でデビューしたばかりの
先生の力作、文字通り『強力伝』であった。
背景を描く仕事を与えられ、新鮮で楽しい仕事だった。
だが、最初に池上さんの作業机の上を見て驚いた事がある。
原稿の脇に・・・
ウイスキーのボトルとグラスが置かれていたのである。
そして作業中においても
「こんな仕事、飲みながらでもないとやってられないよ!!」
と、漏らしていた。
「飲みながら仕事すると、眼が潰れますよ?」 と言って
仕事中には一滴も口にしない酒豪の桑田先生とは
対照的だったからである。
池上先生の担当編集者さんは講談社に入社したエリートであり、
新人漫画家だった池上先生に対し、おそらく上から目線の
高圧的な指示を下していたのでは?・・・と、思う。
ちなみに、この時の助っ人には
北海道仲間の 和平と川端も一緒だった。
*《 寝床 》
泊り込みの仕事の期間、
我々には池上先生とは別のアパートの一室が与えられたのだが、
殺風景な脅威の四畳半でもあった。
先住者が残していったと見られる押入れの中の布団には感謝したが、
台所スペースに置かれてあった醤油とおぼしき容器の中身は
見たこともない色彩・・ほぼ、墨汁の残留物であった。
我々は就寝に際し、先に述べた布団の取り合いとなる。
一組・・掛け布団1枚と敷布団2枚。
ジャンケンで掛け布団を手にした者が、ほぼ勝者となった。
敷布団に、二人か三人が横たわり・・・
残る敷布団を掛け布団として利用する。
勝者であった私は、掛け布団を海苔巻きのように
優雅に利用して就寝したのだった。
ここで懐かしいのは
『サッポロ一番・味噌ラーメン』の食し方である。
ラーメンを作る際、魚肉ソーセージをちぎって(ここが大事!)
入れて作るのだが、私の箸が無いことがあった。
その時に会得した・・・マッチ棒・二本箸を片手で使う達人技を
お見せできないのが残念である。(笑)
*この時から数年後、
すっかり売れっ子漫画家となっていた池上先生から
久々の助っ人を頼まれて手伝った事がある。
『スパイダーマン』だったと思う。
当時、4人くらいの初対面のアシスタントがいたが、
先生が居ない時の作業中、
グチグチと愚痴を吐きながら仕事をしていたので・・・
口には出さなかったが怒りを感じた事を覚えている。
( 好きで始めた仕事なら、
辛くとも文句を言わずに楽しんでやれ!!)
ともあれ池上先生には大変にお世話になった。
金欠の折、三万円を借りたままでもある。
友人から「出世返し」だから返さなくていい。なんて言われてもいたが
出世もしていないので気にかけたままだったのだが・・・
その後10年以上の時を経て、何かの集まりで池上先生と再会した折、
「返さなくていい!」と、再び念を押されたのだった。(笑)
(つづく)