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岡田環さんへ #勝手に感想note


はじめに

#勝手に感想note への投稿をご了承いただいてありがとうございます。

環さんとやり取りを始めたのはつい一月ほど前からでした。たしか環さんが投稿にスキして頂いたところからぼくも読みにいって、お互いに読み続けていますよね。もちろん、毎日ではありません。note開いた時に見つけたら、という感じでしょうか。それくらいの感じがいいなと思っています。
はじめて環さんから頂いたコメント。あの時の投稿を誰かに褒められるなんて思ってなくて本当に不意打ちで。読んだとき、全然実感が湧かなかったんです。少し時間差で嬉しさがこみ上げてきたのを今でもハッキリ覚えてます

それでは、投稿への感想、イメージや印象などをいろいろ書かせてもらいますね。

今回いくつか読ませて頂いた中から7つの投稿を選ばせて頂きました

・こんな時だけど(だから)、精神の安寧のために(も)お弁当を拵えようと私は思うのだ。   ・私の(個人的な)フリースタイル神さまの話をしよう。
・生まれた国を遠く離れて、仮想現実の向こうにいるあなたと、私で、作りたいもの。
・私たちの居場所はいつも楽園ではない。
・私について                                            ・あるいはそれは、夢だったのかもしれない。
・とりあえずにんじんの大袋を手に入れてから      読む物語。

プロフィールを読んだ第一印象は、海外で生活しているワイルドな女性。きっと昔から海外に行きたくて、大人になって夢を叶え、海外へ行き、自由に生きてるような人。そんなイメージでした。最初に読んだのはカラフルな料理の写真が載った、食に関する投稿で正直情報量の多さに圧倒され読むのを一旦やめました 笑 (すみません)
なのでまず写真だけを見て、感じたのは「色」が好きなのかなということ
「素材が持っている色」をとても好んでいるから、食材も、お皿も、敷かれたテキスタイル、構図、光…どれも調和が取れている、そんな風に感じました。とても聡明な人なんだろうって

しかし全く違う顔も時折覗かせます。環さんの撮るスナップ写真はどれも観光雑誌には載っていない「リアル」が写っています。

それは不条理と矛盾と、生々しい生の匂いだった。

という固定記事のなかの文に関連があるのかなと…

聡明かつ一種の強さを持つ人。いくつか読ませていただいてからはそんな風に個人的に思っています。

※色の違う部分はタイトルの投稿より引用させて頂いてます


○○

こんな時だけど(だから)、精神の安寧のために(も)お弁当を拵えようと私は思うのだ。

感染予防に気を配って、よく手を洗い、無用の外出を控え、友人たちとはハグとキスの代わりにアジアっぽく合掌して挨拶をし、よく食べよく寝て抵抗力を養って、粛々と毎日の日常を生きる。

アゼルバイジャンでも、日本でも、同じようにできることといえばそんなに変わらないということを感じました。遠く離れた国でも、同じように大事な人を守るため、できることをやる


こつは必要以上に頑張りすぎないこと

この言葉は頑張ったことがある人だから、言える言葉。そして、続ける為に(続けなければならなかったから?)見つけた知恵。知恵って「自らの体験」からでないと出てこないと思っています。というか、身につかない。環さんの場合、苦しんで向き合ったから得るものだったからかな?と感じてます

心の充足感もそれなりに大事で、自分の心を温める。

ここがとても好きですし、自分もそうしようと心がけて、います。あまり上手くできないのだけど、同じように思っている人がいるんだと、読んで嬉しくなりました

私の(個人的な)フリースタイル神さまの話をしよう。

私の神さまは、日本を出る前にホームセンターで買った。

いきなり目を奪われました。この一文はぼくには書けない。まさに環さんの一部が言葉になってる瞬間。この短い一文によって
映画の冒頭のシーンのような、もしくは予告編のワンシーンのように映像が頭の中に浮かび上がりました。

これから読む人いたら環さんの投稿の中で1番最初に読んで下さい(個人的なオススメです)
どんなことでもフリースタイルって、1番カッコいいんだよ

新しい土地に引っ越して、その新しい場所神さまの祭壇を設えたとき、また、私の家ができたと実感する。

ここまで読み進めた時、この“また”がすごく効いてる。


生まれた国を遠く離れて、仮想現実の向こうにいるあなたと、私で、作りたいもの。

時々楽しく社交する相手ではあっても、彼らの抱える葛藤を共有できる仲間ではなかった。
私はこの世界から消えていなくなりたかった。


→似たような気持ちになったことがあります。それは1人暮らしを始めたばかりの頃、無計画に岡山を飛び出し、大阪へ行ったばかりの頃でした。(学校へ行くことは決めていたけど、それ以外住むとこだけ決めてたくらい)明日がどうなるかわからない不安と、母を1人実家に残す不安…日本にいるのに知り合いも、本音で話せる相手もいない。自由なはずなのに、とても息苦しさのある夜を過ごしていた日々。その頃に抱いた気持ちを思い出しました。孤独を初めて感じると本当に身体が震えるんですよね。怖いくらいに、芯から

私は、もうずいぶんと遠くまで来たような気がして、でもまだ自分はあの時のあの場所とそんなに変わらないところいるような気もして。

今同じような心持ちです。環さんの言う遠くまで来たは物理的なとこも含めてなのかな?恐らく精神的なところは変わらない、ということを似たように時々、こころの中で感じています。

私たちのそれぞれのこころに浮かんだ故郷の思い出は、めいめい違って、私のレシピでそれぞれが作った料理も、めいめい違う味に仕上がっているはずなのだけれど、確かに私たちは、なにか温かい連帯を共有している。生まれた場所を、遠く離れて。

とても素敵な試みだと思います。環さんの発信で「温かい連帯を共有」していることは間違いないかと沢山の人達の温かいコメントをTwitterやnoteで眺めていて思いました。

最近料理はしていませんが環さんの写真を見て、日々そこにある温かさを視覚から頂いてます

目でみておいしいってすごいことですよ
それは見ると「お腹が空く」のではなく
「食欲をそそる」です
環さんがいれば、とても華やかで温かい食卓になるんだろうな。そんな気がします


⑤私たちの居場所はいつも楽園ではない。


彼女たちは、いわば存在しないはずの存在なので

苦しい気持ちになりました。その先にある未来も現実にそうなのであろうことは環さんの言葉を読んで、感じました。それしか彼女達の選べる未来(生きていく)が無いこと。傍観者の感傷という言葉を聞き、僕も、読む人も、彼女達の本当の辛さなんてわかりっこなくて、どうしようもできなくて、同情なんてものじゃ、助けてあげることができない現実がそこにある

今まで日本という国に対して彼女が持っていた幻想、そして現実、思い入れと、今、目にしていること。そして、急に涙声になって言う。「私は知らなかったの。」

ぼくも、同じだ。何も知らなかった

日本のお父さんには感謝はしていたが、きっと豊かなひとが少し余分にある分を分けてくれていているのだろうと思っていた

小さい頃大人に対して似たようなこと思っていました。自由にしているように見えていたし、少しくらいワガママ言ったって良いはずだ、なんて。でも、余分にある人なんて稀で。たいがいの人は誰かのために自分の分を分け与えている。守りたい人のため

それでも。

この「それでも。」はぼくも思いました。環さんの逡巡する表情が映像で浮かびます

同じように誰かと関わる時、少し深い話を聞くと思う時があります。本当にこれでいいのか…と
これが正しかったのかって。
日本の中でおかしいって言われることでも別の国ではまだまだその声が通らないことがたくさん…本当にたくさんあるのだということを思い出しました。


マイちゃんと、環さんが食べたお粥の味はわからないけど、ほんの一部だけでもこの文のおかげで、共有させて貰えたと思っています。
慣れない味を飲み込む時の感覚のような

それでも前へ進むと決めた覚悟の先が楽園じゃなかったとしても振り返ったところが楽園だったとしても、今を、生きて。と




私について

出会った人たちのことを本当にしっかり覚えてらっしゃるのですね、単純に凄いです。随分沢山の人と出会われたのでしょう。読んでいて感じたのは「人」が好きなんだろうな、ということ。それに料理、写真、音楽、文化、アート…恐らく環さんはクリエイターなんだと想います。個人的に。
また、お仕事をしていた時のお話の中に自分を客観的視点で見つめ直した時、それはできる自分に酔っていたことへの気づき。ここも凄いと思います。きっとご自身がおっしゃられるように物事を突き詰めたりする、真っ直ぐに向かわれる姿勢というのも文を読んでいて感じますが、そういった人がそこまで引いて観れるようになられたということは、想像できないくらい…つらいこともあったのでしょう。。言葉や文だけでは感じ取れないほどの。

ルワンダとウズベキスタンの話もまた、機会があれば読んでみたいです。環さんの心に深く残った国

私の「今日」を生き生きとするのに必要なことは、好きなひとと過ごして、自分が信じることのために力を使って、ちいさな個人的なネットワークを大切にする。そんな些細なことでした。


この文を読んで、今を生きる人にとってとても大事な文であると感じています。また、同じように気づいている人もきっといるはずです

最後に書かれていた、エマさんの絵と言葉がとてもとても、良かったです。


あるいはそれは、夢だったのかもしれない。

マドレーヌではないけれど、匂いの記憶は脳の深いところに留まって、いま目の前のティーカップにそっと唇をつける時、同時に私はべつの世界とべつの時間のカップを掌の中にそっと捧げ持っている。

詩的なこの表現で時間軸が違うところに環さんの一部がいるのかな?と考えさせられました。
記憶の欠片が生命力と鮮明さを静かに内包しているような。傍目からは分からない、原動力。

いくつか投稿を読み続けて感じたものの中に「星」と「布」を基調とした印象があります。

この投稿を読んだ後は夜空の中の星が浮かび上がりました。coldplyというロックバンドがいます。ご存知でしょうか?環さんはクラシックなどをお聞きになるようですので、あまり馴染みがないかもしれませんね。彼等の作品の中に a sky full of stars という曲が、あります。なんとなく、この曲が想い浮かびました。いや、似合うといった方がいいかもしれませんね、この曲から受けたイメージは「共有と共鳴」のようなイメージ。
もう一組、日本のロックバンドにサカナクションという人達がいます、彼等の作品の中にナイロンの糸という曲があるのですが、こちらも環さんに似合うと個人的に想いました。この曲から受けたイメージは「思考」です。
お暇な時に一度聴いてみてください。違うジャンル、最近の日本の曲も良いですよ

※英語が全くわからないぼくは翻訳機能を使っていくつか検索してみたのですが、どうやらぼくは歌詞よりも曲調で選んでいます。

印象やイメージも思いのほかたくさん出てきてます 汗 抽象的な表現で伝わりにくいかもしれませんが。ぼく自身はそのように感じています


とりあえずにんじんの大袋を手に入れてから読む物語。

タイトルが1番好き。これは読み進めていくとワクワクしてくる(環さんも楽しそうな気がして)

にんじんは、ごくごくありふれた野菜だけれど、世界中のどこでも(たいてい)手に入るので、どんなレシピの中のどんな野菜でも、私はとりあえずにんじんで代用してみることにしている(そしてあまり後悔することはない)。

確かに…。

というか日本以外で料理したことないけど何となく人参ってそうなんだろぉなぁって妙に納得しました。人参は偉大な食材。これは環さんがどこ(国)へいっても料理をし続けているからかと

前半のウキウキから後半は少し、しっとりと終わる。亡き人への思いが悲しみではなく
温かい想い出となり、心の中へ仕舞われているのが伝わります。こちらまでまぁるい気持ちへとさせて頂きました。レシピで終わるのも無理に言葉をはめ込むのでなく、サッパリとしてて好きです。

○○○

最後に

ここ数日アゼルバイジャンという国のことを考えていました。今まで知らなかった国、環さんのおかげで新しく知りたい国ができました。今Googleで大まかな情報を見ていましたが15世紀頃の面影が今も残った街並みと、現代アートが連なる近代的な建物、建造物が立ち並び、自然公園や湖が存在するめちゃくちゃ魅力ある国だということを俄かに感じてます。なぜ今まで知らなかったのか。。すぐに行ってみたくなりました。控えめにいって羨ましい。いや、どういった経緯でそちらへ今住んでいらっしゃるのか大まかにしか知らない(投稿を読んだだけだから)ぼくみたいな人は環さんから見るとただのミーハーで、鬱陶しいだけかもしれませんね。気分を害されていたらすみません。ただ、本当に魅力的な国だと思います。アゼルバイジャンは「火の国」と呼ばれているそうですね、ぼく自身「火」は昔から好きです。何か不思議な縁を少しだけ感じています。また、一年中風が強く吹くそうで、ぼくの今住んでいる地域も年中風が強いためどこかシンパシーのようなものを勝手に感じています。環さんのいる場所は「生と死」を強く感じる地域なのではないか?と勝手に推測しております。

小さい頃から海外への憧れはあったんです。ぼくも。地理の授業でいつも知らない国の話を聞くのが好きだったのを思い出しました。環さんのような生活をどこか羨んでいる自分がいます。もちろん言葉や文化の違いが大変なことであろうことは想像に難しくありませんが、何かと便利になって、垣根も低くなったとはいえ、それでもこの物理的な距離は、今はまだそれ程に価値があるのです。

それからこれは気になった事なんですが環さんはどんな音楽を聞かれてますか?また、好きな音楽を環さんの日本語に翻訳するとどんな風になるのかとても興味あります。気が向かれたら、今後そのような投稿も読んでみたい。

○○○○

勝手に感想note以上です。書かせていただいてありがとうございました。

環さんのこれからの投稿を一読者として楽しみにしております。頑張り過ぎないよう、ご自愛くださいね。それからぼくからたまに絡むと思いますが、良ければこれからも仲良くしてやって下さい

それではこんな感じで、終わります。長々と書いてしまいました、すみません。

お粗末様でした。

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さとう じゅんいち
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