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ミニミニ詰将棋の歴史

詰将棋がいつ発生したのかはよくわかっていない。

そもそも現代将棋がいつ生まれたかも正確なところはわからないのだ。

おそらく戦国時代から江戸時代にかけてだろうというのが常識的な推測だ。なぜなら最古の将棋の本は江戸時代初期の慶長年間につくられた詰将棋の本だからだ。

少なくとも江戸時代初期から詰将棋は人類に親しまれてきた。そして,世襲制の名人が就位に際して詰将棋の作品集を将軍に献上するという所謂「献上図式」の伝統が急速に詰将棋をより高度で洗練されたものに練り上げてきた。

その頂点に立ち、300年経った今でも現代の作家に刺激を与え続けている宝物のような作品集が「将棋無双」と「将棋図巧」である。「将棋無双」は三代伊藤宗看,「将棋図巧」は伊藤看寿の作品集である。この二人の兄弟によって,世界に誇れる日本の文化遺産は創られたのである。

大橋宗英により,「献上図式」素晴らしい伝統は幕を閉じる。その後の封建制社会の崩壊,民主革命の流産などがあり,将棋界も実力名人制となり,美しさよりも勝負に辛い時代がくる。詰将棋などという,世間に何の役にも立たない純粋な文化に心血を注ぐということは難しくなる。

しかし,いわゆるアマチュアの手により詰将棋の伝統は守り受け継がれていく。その拠点となったのが「将棋月報」という雑誌である。大正の終わりに阿部吉蔵により創刊されたが、戦争が激しくなり、印刷用紙も入手できなくなったのであろうか、昭和19年2月号で廃刊される。

そして戦後にその詰将棋界の梁山泊を引き継いだのは「詰将棋パラダイス」と「近代将棋」である。

「近代将棋」は永井英明氏が創刊,塚田賞を制定し,数々の名作を世に送り出してきた。その後経営をきたろう氏(中野隆義氏)に替わり、さらにナイタイ出版にかわった。風営法の変更でナイタイ出版の経営状況が急激に悪化し、「近代将棋」は2008年6月号で休刊となった。

「詰将棋パラダイス」は書店売りをしていた時期を「旧パラ」、現在に続く郵送による直接販売にしてからを「新パラ」とよぶ。

「詰将棋パラダイス」は鶴田諸兄氏が創刊,看寿賞を制定し唯一の詰将棋専門誌として、詰将棋作家たちの心の灯火として輝きつづけてきた。鶴田氏から柳原裕司氏が経営を引き継ぎ,現在は水上仁氏がその任を負っている。

今世紀になって、詰将棋界に大きな変化をもたらせたのがコンピュータとインターネットである。

詰将棋の創作はそのほとんどの時間を「余詰検討」すなわち別の詰め方がないかどうかの検証に使う。ところがこの部分をコンピュータソフトが大きく支援することが可能になってきた。それまで何十時間もかけて人間がやってきたことを機械が数秒で終わらせてしまう時代になった。

「脊尾詰」、そして「柿木将棋」が詰将棋創作を大きく変えた。棋力が低くてもアイデアさえあれば詰将棋が創れるようになったのだ。

また新井秀和氏が立ち上げた「詰パラモバイル」、今は「スマホ詰パラ」は詰将棋の創作への障壁を大きく引き下げた。

詰パラに投稿しても1作目が採用されるのは簡単ではない。だからこそ「初入選」は忘れられないほど嬉しいのだが、スマホ詰パラは誰でも簡単に作品を発表することができる。(もちろん詰将棋としての要件を満たし、過去に同一作が発表されていないという条件はあるが)

より多くの人が詰将棋を楽しめるようにした新井氏の功績は大きい。

これらの雑誌などを舞台に,数多くの詰将棋作家達が腕を磨き合い,優れた作品が生み出されてきた。そして,この文化を継承・発展させるのは,とりもなおさず今この乱れた文章を読んでくださっているあなたである。

サポートしていただいたお金は、詰将棋の本を作るためにつかいます。