レコード
時間ができたので、レコードの手入れをした。
私はコロナ禍に何もすることがなくなり、どこに行くこともなくなり、ここに文章を書くときにも「コロナ」と書くだけで注意画面が出て心の行きどころがなくなり、家で音楽を聴いていたのだが、音楽を聴く延長でレコードも少しずつ集め始めた。集めると言っても、年に数枚買う程度なので、棚ひとつあれば良いぐらいの数しか持ってないんだけど。
それにレコードを聴くためには時間を作らなければならず、心を整えなければ壊してしまいそうなので触れず、部屋にものが溢れているとレコードを聴く気にもならないので先に掃除をしていたら時間が過ぎる(掃除中はradikoでラジオを聴いています大抵は)。
なので、しばらく(いやけっこう長い間)レコード棚を触っていなかった。新しいものを買っても、前に買ったものを引き出してきて聴いたりはしていなかった。
Amazonの「ブラックフライデー」期間に、「クリーナー」を買ったものの、すぐには使えず、先日やっと半日ぐらい時間が取れたので、レコード棚からレコードを取り出したのである。
「あー、これはあの時に買ったものだ」
「メルカリで買った時、丁寧に梱包してくださってたものだ」
「欲しかったものが手元にあるなんて嬉しいなぁ」
などと思いながらジャケットを眺め、盤をレコードクリーナーで拭く。
レコードは、当たり前だけれど、大きい。
アーティストの顔写真が載っているジャケットは、顔がでかい。迫力がある。目が光っている。
手元が止まる。かなりの時間が経過する。
やはりレコードを買って良かったなぁと思うのである。
私にはもらったレコードが2枚あった。
それは、職場の上司だった人のもので、その方が若かった頃に収集されたもの、大学に行く時も下宿に持って行ったと話してくださった。
そのうちの1枚は、あの4人があの横断歩道を渡っているあれである。初めてホンモノを見た時は震えた。
その方が私に譲ってくださろうとしたのには理由があって、家に自分の収集したたくさんのレコードやCDがある、ただ、家族は音楽に興味がないから捨ててしまうだろうと。
肺がんを患い、短期間で2回の手術を受けられた。急激にお痩せになった。「もらってくれたら嬉しい」と仰った。私は、怖いと思った。もらってしまったら、上司がいなくなる気持ちがかすめた。その人はとても良い上司だったので。明るいチームになるように全体を見渡すことのできる人だった。私も将来あのような働き方ができるだろうか。
怖かったけれど、ぜひもらってほしいんだ、写真はもう撮ったからと仰る。私はもらうことにした。ありがとうございます。大切にします。
翌日、その人はさらにレコードを持って来た。
翌日も、その翌日も、これもこれもと仰る。
さすがに断った。形見分けをされているような気分である。まだ生きてらっしゃるし、まだまだお元気なのだ。けれども、私とその方の雑談の大半はビートルズだったから、ビートルズのレコードばかり持って来てくださった。ジャケットを眺めてあれこれ言った。楽しかった。
私の記憶はそこで途切れていて、その後私は休職したので、上司ともお会いできなかった。私の休職中に上司は空へ高速で飛んで行ってしまった。もうすぐご命日が来る。
レコードを手入れしていたら、端の方に古いレコードが固まってある。引っ張り出してきてたまげた。それは、私がさすがに受け取れませんと言ったはずのレコードだった。私の棚にないはずのレコードがいくつも出てきた。
結局いただいたことになる。でも記憶にない。
なんでこんなことになっているのだろう。私は手を止めてジャケットを眺めた。中も開いてみた。ビートルズの4人が写っていた。
私はどう言っていただいたのだろう。その時、その人はどういう言葉をかけてくださったのだろう。なんということをしてしまったのだろう。
休職前後の記憶が飛んでいる自分を仕方ないと諦めてきたが、今度ばかりは情けなくなった。大切になさってきたものを譲っていただいたのに、その時の記憶がないなんて。
レコードをそっと棚に戻す。
1月になったら、1枚ずつ聴いてみよう。
1曲ずつ感想を言おう。
レコードで聴いたら、こんなふうに聴こえました。このレコードを買った時の思い出を聴かせてください。