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ポライトネス

長い年月の悲しみを吐露する人を目にして、
文字通り卒倒しそうになった。
私は座っていたけれど、壁にもたれていたから良かったようなものだ。

悲しみが怒りになり、怒りが醸成され、視野が狭く狭くなってゆき、誰からの優しさも受け取れない。
受け取らないことがその人の心の中では正義となっているように思った。
小さな優しさ、何気ない優しさ、軽い優しさ、人が人に持つポライトネスをすっと受け取れない状態になっていた。
そこにはもう開かれたコミュニケーションはない。閉じることが正義。
閉じることで自分を守ることが正義。
悲しみが大きく、熟考されたもので、深いから、その人には善意が軽く見えているように思った。

それは、2年や3年でできあがったものではないかもしれないし、あるいはそんな期間でもできあがるものかもしれない。
私にはすぐに判断することが難しいと思った。
ただ、もしかしてこれは長い年月なのではないか、その人の人生そのものではないかという衝撃が走ったので卒倒しそうになった。

怒りの浸透度が速かった。

それは人が壊れる瞬間だった。
私はその時、この人が壊れたのを見た。
自分で自分を壊したと思った。

そして、とても悲しい気持ちになった。
その人が自分を壊したことについて。
壊すしかなかったのかもしれないけれど、
壊す必要はなかった。
悲しみを怒りに変えて他人に放たなくても良かった。ふつうの優しさを持って接する無垢な魂に傷をつけなくても良かった。いや、傷をつけてはいけなかった。

なんでこんなことになってしまったんだろう。
私の人生において、これから長い間尾を引く出来事だと思う。

地中から出てきた芽の上に岩を落としてはならない。いくら岩が重くても。

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