誰も触れることは許されない僕だけの純情スカート

人生で“恋をした”とはっきりと言えるのは中一の夏だけだと思う。3年生の男の先輩を好きになった。好きになったきっかけなんて覚えていない。体育祭で同じ色で、大縄跳びでたまたま隣になった時は心臓バクバクで内心大照れしていた。接点なんてなかったし、その人には彼女がいたし、話したいとか付き合いたいとか思ってなかった。ただただ、私の教室の前の廊下を通るその人を眺めていたかった。これを恋と呼んでいいのかはわからないけど、確かにあの時の私は乙女で、あの人が好きだった。先輩が卒業する頃には気持ちは冷めていた気がするけど。

中一の終わりごろ、人生で初めて告白された。小学校から一緒の仲の良かった同級生の男子から、教室の隅で「付き合って」と言われた。今思えば本当に最低だけど、「無理無理無理」と言って逃げた。ものすごい嫌悪感を感じた。私のことを恋愛対象で見ていたその人も、告白することを知っているであろう周りのニヤニヤした視線も、あの空気も、全部気持ち悪くて無理だった。それ以来、告白してきた人とは一切話すことができなくなった。

人並みに恋愛に興味はあった。中二のとき、「付き合うってどういうことだろう…」と思って、告白を受け入れたことが一度だけある。軽い気持ちで受け入れた私がバカなんだけど、もう本当に無理で、思い出したくもないトラウマになった。執拗なまでに周りが協力したがるの何なんだよ…。相手にも失礼なことをしてしまって物凄く苦い思い出。この経験から、もう二度と好きでもない人と付き合わないと決めたし、自分から好きになった人としか付き合わないと固く心に誓った。自分は恋愛不適合者だと悟った。

それから何度か告白されたことがあるけど、嬉しいと思ったことがない。全員に嫌悪感を抱いて全員嫌いになった。それが悲しかったし、自己嫌悪に陥った。告白されては、「また誰かに告白されたら嫌だから」という自意識過剰な理由で男子と過剰に距離を置いていた。男子は話しかけるなオーラを出していたし、LINEは極力無視。拗らせがすごいし自意識過剰だけど、そのくらい蛙化現象に悩んでいた。(大人になった今、こういう記憶全部が青春コンプレックスに繋がっていてこれまたつらい。)

大学生になって、勘違い男に出会って、完全に男嫌いになってしまった。その頃から、自分は同性愛者なのではないかと思うようになった。女性にときめくようになっていた。バイト先の女の先輩が好きだったり、後輩が好きだったり。でもそれが恋愛感情なのかはよくわからなかったし、一途に好きなわけでもなかった。でもやっぱり誰のことも好きになれないから無性愛者かもしれない。考えれば考えるほど、自分のセクシャリティがよくわからなくなっていた。今でもよくわかっていないけど、今はよくわからなくていいと思っている。

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好きな人はいないと書いたが、私にはずっと推しがいる。中二の春に初めて芸能人を好きになった時から今日まで、推し変しながらもずっと誰かのオタクだった。ジャニーズ、アスリート、俳優、アイドル…のオタクを転々としてきた。

長年、現実に好きな人はいないけど、推しはいる状態。基本的に推しは男性だったから、所謂「リアコ」なのではないか、と大人になって考えてみた。確かに、当時は自覚がなかったが、リアコ気味だった推しもいた。特に十代の頃の推したちはリアコだったのかも。でもある時期から推しに対する感情が変わっていて、これは確実にリアコじゃない。推しと疑似恋愛をしているつもりは全くない。

推しとオタクの関係が心地良くて好き。多分私は、私に興味がない人が好き。私が一方的に好きでいられるからオタクでいることが楽しい。推しは私のことを“その他大勢”として認識しているから楽。自意識拗らせオタクです。しかもアイドルはきれいな所だけを見せてくれる。嫌な思いをすることがない。オタクが性に合いすぎている。

現実の男は嫌いなのに、推しはほぼ男性なのは何故だろう?と思ったことがあるけど、そういうことなのかな?じゃあ私は異性愛者なの?と思うけど、女の子の推しもいて、どちらかといえば女の子の推しに対しての「好き」のほうが恋って感じがする。その子と結婚したいもん。なんなの?

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去年、現実で出会った男性ですごく好きだと思える人が数年ぶりにできた。新卒で入った会社にいたとても可愛い男性の先輩。その方は、既婚者で新婚さんだった。その人の顔や仕草、発言がいちいち可愛くて大好きだった。これまで出会った男性の中で一番好きで、私はその人のことを「推し」だと思っていた。既婚者だったので付き合いたいとかは考えていなかったけど、仮に相手が独身だったとして、私は付き合いたいと思っていただろうか?
私の中で、「好き」=「推し」になっている気がする。「推し」以外の好きがわからない。ちなみに、退職でその方に最後の挨拶をしたとき「可愛くてファンでした」と言ったら笑ってくれて嬉しかった(笑)

オタクであることが誇りで自分の軸になっている。日々考えているから推しへの「好き」はあまりにもクリアに説明できるし、オタクとして、LIKEとかLOVEとかそれだけじゃ語れない色んな種類の「好き」という感情で生きてきたけど、恋愛してなさすぎて、恋愛感情がどれなのかわからなくなっている。というか、私は、恋をしたことがあるのか????もしかしたら、私が「恋」だと思っていた感情は全部「推し」だったのかもしれない。もうなにもわからない。

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恋愛がしたいとは特に思っていない。恋人がいなくても生きていける。これまでを考えても、絶対恋愛向いてない。恋愛している自分が気持ち悪いとさえ思う。負け惜しみなんかではなく、今は推しがいる生活がめちゃめちゃ楽しい。誰かを好きでいる、それだけで幸せ。

ただ、恋愛をしてこなかったことがものすごいコンプレックスになっている。さすがにどうなん?このままでいいのか?と思うことはある。みんな当たり前のように恋愛してるのに、どうして私はできないのか、私の何がダメだったのか、考えてしまう。原因は自己肯定感の低さだって私は知っている。自己肯定感を高める生き方をすることか20代での課題。

多様性が認められる時代になっているとはいえ、まだまだ恋愛至上主義的な考えの人が多いなぁと思う。恋愛至上主義なこの世をどうにかしてくれ…。初対面の人や、久々に会った人には絶対「彼氏いる?」と聞かれる。当たり前みたいに。恋愛経験がない、マイノリティな私は、生きづらさを感じながらいつも笑顔で「いないんですよ~」と自虐みたいに答える。「○○くんとかいいんじゃない?」などとお節介を言ってくる。そんなこと聞くな。悪気がないことは知っている。誰かを傷つけているとも知らないで。だったら私は「推しはいますか?」と質問して、いないと答えようものなら「じゃあ○○くんおすすめです!」とオタクじゃないお前はおかしいと言わんばかりに布教しようと思いますがいいんですね❗❗💢💢(飛躍)

20代半ばのいい歳して、恋愛経験がないなんて言えない。いつも適当な嘘をつく。架空の元カレの設定は覚えていない。

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