人に"弱み"を見せられるか
人に弱みを見せることが苦手だ。
学生時代は友人に話すことで解消出来た悩みや不安も、社会に出てからは外(周りの人)に出せなかった。
そんな態度が、“お高くとまっている“と周囲に受け取られていたようだ(これは退職時に他部署の方に確認したため、事実)。
嫌がらせが始まった。
怒り、悲しみ、痛み、憎しみ、諦め。他人には見えない感情の渦が、自分の中で目まぐるしく吹き荒れていた。人を信じたいけれど、信じられる人はいない。私は人を嫌いになった。
もう一度人を信じられるようになりたい。けれど、周りの人を信頼も信用も出来ない。そんな日々が続いた。
当時浴びた言葉、周りからの不躾な視線やあけすけな態度…。それを真似るかのような、職場とは無関係な人からの雑な扱いや好奇の目。
人の気も知らないで…。強い怒りを覚えた。
あなた達は、
"自分は正しい"とでも思っているのか?
"自らが正義だ"とでも示したいのか?
目の前の相手が、自分達と同じ"人間"だとは思わないのか…?と。
見知らぬ人からの態度にも、目には見えない傷がついていった。
環境を変えてからは、ゆっくりと傷口も小さくなってきた。ただ、全身が痛い時には気づかなかった小さな傷が徐々に痛みを訴えてきた。
目には見えない心の傷は、不意にそこに"ある"ことを知らせる。まだあるのか、こんなところにもか…。いつになったら何をしたら、この痛みに終わりが来るんだろう…と思っていた。
カウンセリングを受け、メンタルヘルスの本を探して読んだ。日々、折れた足に木の枝をあてがうような気休め程度の手当をした。そうこうしているうちに時間が経って、だんだんと傷口は小さくなっていった。
傷跡は今も痛む時がある。嫌がらせがあった事実は変わらない、何年経ってもだ。
ただ、結果的にはこれが人との関わり方(距離感)を見直したり、自分の考え方のクセ(物事の受け取り方)を知るきっかけになった。
どんな経験も糧になる。というか、自分の人生を過去に囚われずに生きていくためには、この出来事を糧(肥やし)にするしかないと思う。
苦しい時に、話を聴いてくれる人や頼れる場があるだけで救われることがある。私の場合は、身近な人には打ち明けられない悩みを第三者に聴いてもらったことで、心が軽くなった。
だからこそ、今は同じような状況にいる方の手助けになれたら…と思う。