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2022年8月27日の投稿から

母の見送りは、コロナ禍ということもあったけど、家族身内のいろんな事情もあって、父、私と私の家族だけでアパートに集まって、お花をたくさん入れてやって、しばし語らい合って、出棺というごくごく簡易なものとなった。

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2022年8月27日
今日集まってくれる家族に、昼用の仕出し料理の代わりに、せっかくならノビシロハウス1階のカフェからテイクアウトを思い立ち。

さきほど注文してきました。

そしたら、お店の方が「お母さんの分も。一緒に飲んで下さい。」と別に1杯つけて下さいました。

なんて幸せな!

そして、お返しの品も、カフェの物をと考えてるので、ノビシロハウスでワンストップ的に、何でも揃ってしまうという。

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世間一般の弔いの形から言うと、かなり「非常識」な形だったかもしれない。でも、なんとなく母らしい、我が家らしい見送りができた気持ち。

父は、母を前にして、なぜか自分の人生について総括する話をし始め、「大変ではあったけど、楽しかったよ~。いい親戚にも恵まれてありがたいねえ。」とえらく雄弁だった。

父はまだ当時住んでいたサービス付高齢者住宅から、朝ダンナが迎えに行って神奈川につれてきて、外泊は許可ができないということだったので、その日のうちにまた千葉の施設に送って行った。

短時間のことでもあり、そもそも父もアルツハイマー型認知症で短期記憶が怪しいということもあり、その後、1年以上経った今もなお、連れ合いである母が亡くなったという認識はない。

さらに、当時はいい人生だったと自ら話していた父が、今度は自分が在宅介護の生活に入った今、朝目覚めるとため息をついて、日中も半分寝てるような生活になり。

人間、生きる意味とか、長く生きるとはどういうことか、娘である私が悶々とする日々になっている。

ばあちゃん、早くじいちゃんを迎えに来てやって・・・

そう思ってしまうのは、娘のエゴだろうか。

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