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自分を評価するのは、いつも他人
人には少なくとも4つの顔があるという。
自分にも他人にも見えている顔。
自分にしか見えず他人には見えていない顔。
自分には見えず他人には見えている顔。
自分にも他人にも見えていない顔。
どの顔が本当の自分か。
…と言う議論は不要だ。いずれも自分にあることには変わりない。
・・・
私にも納得し難い他人からのイメージがある。
「ラーメンとか食べないでしょ。麺すすれなさそう。」「いつも夜更かししてそう」「人に対して好き嫌いないでしょう」「休みの日にも外で遊んでるタイプだよね」「なんでも許してくれそう」
どう見えたらそんな想像になるのかと不思議になる。
まぁ頻度はそう多くないがラーメンも食べるし、麺だってすすれる。夜更かしはほとんどしない。何もなきゃ基本22:00には就寝準備をする。人に対する好き嫌いだって人並みにあるし、休みの時は家で休みたい。なんでも許して…そんなわけあるわけない。
片っ端から全否定したいのも山々なのだが、いつも否定の仕方には戸惑い、言葉を選ぶ。
否定すべき事実は否定するが、そう思われる要因は私にあったことも事実である。火のないところに煙は…と言うように、そう連想させてしまうような所作や態度、発言があったのかもしれないと思うからだ。
・・・
「私はこういう人間だ」と主張する人がよくいるが、「たしかに」と膝を打つ経験は少ない。むしろ「ほう、意外だ」と思うこともあれば、「いや、絶対に違うだろう」と、声を大にして逆に否定したくなることもしばしば。
おそらく、事実と理想が混在しているのだろう。
そういう人を見るたびに「自分のことは自分が1番わかっている」という考えは、改めなければならないと思わされる。自分を評価するのはいつも他人だ。
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