「さようなら」は、簡素に。
職場の先輩が退職した。
先輩とはいえ年齢は私の8歳下なのだが、気さくで優しく、可愛らしい人だった。
何度かグループでご飯へも行った。
クリスマスにはケンタッキーとケーキなどを職場に持ち込み、仕事終わりに社内でクリスマス会をしたこともあった。
私が引っ越しを考えていた際、希望沿線に先輩が住んでいたこと・ちょうど先輩も新婚であったこともあり、間取りの話や沿線のおすすめ駅なども教えてくれた。
反対に、職場の人間関係で悩み、涙する先輩の涙を拭い、ご飯に連れ出したこともあった。
個人的にLINEをしたり、改まって2人で何かをするということはなかったけど、会えば話をして、仲の良い方だったと思う。
その先輩が、8月初旬に退職された。
私は、その先輩に何もしていない。
会社の有志で作成した寄せ書きは参加したし、プレゼントのカンパもしたけれど、個人的にメールをしようか悩んでいる間に、先輩は退職の日を迎えた。
このご時世柄、送別会も出来ず。
加えて、先輩の退職の日は私は在宅勤務だったため、ついに「さようなら」さえ言えずに、先輩は会社を去ったのだ。
・・・
私は、人間関係の「別れ」というものを、他人より軽んじているのかも…と感じている。
転校・引っ越しばかりの人生で、仲良くなった人と会えなくなる環境に、慣れてしまったのかもしれない。
それに、「別れの行事」を盛り上げたとしても、その後の人間関係には影響がないことも知っている。
例えば、私が小学校を転校するとなり、涙しながら「必ずまた会おうね」と手紙をもらったり、パーティーのようなものをしてくれたりした子が、結局一度も会うことなく大人になり、今では顔も思い出せないなんてことはザラにある。
反対に、なんかふわっと別れがやってきたとしても、意外と交流が続くということもある。
またどちらも逆も然り…なので、盛大に送り出すだけが「別れの儀式」ではないと思う。
むしろ盛大なればなるほど、嘘くさく感じてしまうことがあるのだ。
・・・
前職で、旦那さんの都合でフランスへ行くという同僚がいた。もちろんまだこんなご時世になるとは夢にも思わなかった時代なので、送別会も大人数でやって、私も参加した。
皆が別れの品や手紙などを渡していたけれど、私は特に準備しておらず、周囲から「ただの飲み会じゃないんだぞ?」と突っ込まれたことがある。
ただその際、フランスへ行く同僚は私の反応よりも先に「いや、いろはちゃんはこれでいいんだよ。なんか、絶対また会う気がするもん。」と言ってくれた。
その言葉の通り、彼女がフランスへ行ってからもたびたび連絡を取り合い、一時帰国の際はご飯へ行ったりして、交流は続いている。
・・・
今後一生会うつもりがないお世話になった方なら、盛大にやるものよし。
でも、自分にとって大切な人なら、別れのその時なんてなんてことはないただの1日にしておいた方がいい。
「さようなら」は、簡素に。
「久しぶり」を、盛大に。
先輩とは約束をしなければ会えない間柄になった。
しかし、部署も違う、フロアも違う先輩は、昨年からほとんど在宅勤務だったのでほとんど会っていなかった。
だからまだ退職された実感はない。
けれど、外食が出来るようになり、世の中が落ち着いたら、先輩に連絡してみようと思います。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。