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失われたトマソン
「超芸術トマソン」をご存じだろうか。
これは、美術家でもあり作家でもある赤瀬川原平らによってつくられた芸術上の概念だ。「不動産に付着していて、美しく保存されている無用の長物」のことを指しているらしい。
街を歩いていたときに、上がった先になにもない階段を見つけた彼は、街にある用途のない物の存在が芸術ではないかと考え、「超芸術トマソン」と名付け、これらを収集し分類する活動を始めた。(この最初のトマソンにご興味のある方は"四谷の純粋階段"を検索してみてください。)
ちなみに、トマソンというのは元読売ジャイアンツの選手であった「ゲーリー・トマソン」に由来している。当時高額の助っ人選手として来日。四番打者として活躍が期待されていたのだが、空振り続きでまったく役に立たない様子を皮肉り、この名がつけられたらしい。ひどい話だが、センスは抜群にいい。
「そう言われればそんなのを見たことあるな」と思う方も多いだろう。私も学生時代にトマソンというものの存在を知り、どこかで見かけたような気もするのだが、どこにあったのかはなかなか思い出せなかった。
だからこそ、街で見かければ嬉しくて写真を撮っていた。3.4段だけの階段が空き地に埋まっていたり、ドアはあるのに何らかのもので塞がれていたり。そして、これは日本だけでなく海外にも多くあるようで、海外に行く友人がいればぜひ探してほしいとお願いをして写真をもらったこともある。
×××
だが、気が付けば…
最近トマソンを見かけないことに気づいた。あの発見した時の高揚感をまた感じたいのだが、これがどうにも見つからない。
トマソンそのものが失われているのか。
それとも、私の思考の中からトマソンが失われたのか。
最後にトマソンを見つけたのはいつだっただろうか。思い起こすことができない。
トマソンは古い家にある場合が多く、現在は建て替えなどが盛んに行われているため、トマソンそのものが失われている可能性も大いにある。
だが、やはり私自身がトマソンに気づくことができていないのかもしれないと思った。去年までの6年間は週6日9:00〜23:00まで仕事漬けで、ゆっくり思考を巡らせる時間がなかった。街を歩くときに景色を楽しむ余裕もなかった。今考えると、なんてつまんない生活を送っていたのだろうと反省せざるを得ない。
面白い発見や思考は向こうから来るものではない。日頃からアンテナを張っておかないと、見つけることができないものだ。
今日からまた、トマソンと歩み寄りたい。
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