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他人のストーリーを味わう贅沢

上野の国立西洋美術館で開催されている「ハプスブルク展」を鑑賞してきた。美術や歴史に決して明るいわけではないのだが、素人なりに十分に堪能することができた。

私は年に4回程度は美術館や博物館へ行く。中高大と運動部に所属し、体育会系の友人も多いので、「何がそんなに楽しいのか」を問われるが、そんなものはよく分からなかった。楽しいものは楽しい。

例えば、スマホの中で見たことがある絵が、実際に見たら想像していたよりはるかに小さかったり、縦約3メートル・横約2メートルの圧倒されるほど大きな絵画を近くで見たり遠くでみたりを繰り返しながら一枚の絵を何度も何度も違う角度から見たり。
あるいは、「この時代に女性画家がこんなスケールのものを描いていたのか!」という驚きを持ち帰り、その人についてまた調べてみたら画商の娘という新たな人間の歴史に触れたり…と。展覧会でしか感じることができない気づきがたくさんあるものだ。

しかし「ハプスブルク展」を鑑賞していて気がついたことがある。私は美術品と「背後のストーリー」とセットで味わうことが喜びの1つなのだと。

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今回の展示では、それが顕著であった。
ハプスブルク家が約650年の時をかけて収集した美術品の展示はもちろん圧巻であったが、やはり見どころはハプスブルク家の人々の肖像画であった。

ハプスブルク家は、13世紀から20世紀まで、中世の血縁制度を利用した政略結婚を繰り返し、強大な統治国家を築きつつ、栄華と悲劇を繰り返しす。故に、彼ら一人ひとりは壮大なドラマのような人生がある。「ハプスブルク家」と聞いてもピンとこない人も「マリー・アントワネット」の名を聞けば想像ができるだろう。

「生まれながらの許嫁」として、実母の実弟と結婚が計画されていた少女マルガレータ・テレサは、3歳、5歳、8歳の時にそれぞれ見合いと称して肖像画を、やがて夫となるレオポルト1世に贈られていた。15歳で結婚。6年の結婚生活で6人の子を出産するも21歳の若さで病気のためこの世を去った。今回の展示ではレオポルト1世に贈られた8歳の肖像画が2点が展示されていた。のち一点は、画家ベラスケスの代表作と言われている。

そういった美術品の背景を知ると、より一層味わい深く、鑑賞を楽しむことができる。なので、美術館へ行く前には必ず予習をしていくようにしている。なんせ素人だもんで。

だが、素人なりに本当はもっともっと語りたい作品や人物がたくさんある。次海外旅行に行くならウィーンに行きたいと思っていた。その目的の半分は今回の展示品が収蔵されているウィーン美術史美術館に行くためだったほどなので、今回は私の中で今年1番興奮した展覧会だった。

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年の瀬に有休を使って、平日昼間に美術館へ行き、パフェを食べて散歩をする。帰りに本屋に寄り、明日からの休日に備え2冊の本を購入。

これ以上の贅沢はないのだが、今日を振り返り、1番の贅沢は「美術館の前で待ち合わせをしたこと」だった。

大概、待ち合わせをしようとなると「駅の改札前」がほとんどだ。しかし、私たちは上野駅ではなく、特に意図せず美術館の前で待ち合わせをすることにした。

これがとてもいい。

13:00に美術館前で待ち合わせだったが、12:00 には上野に到着。喫茶店でもう1度ハプスブルク家の予習を30分ほどして、公園内を散歩した。

顔を小さくした平井堅のような外国人チェリストにおじさまおばさまたちが群がっているのを見たり、誰もいない正岡子規記念球場のセカンドベースをフェンス外からずーっと眺めているおじいさんがいたり。美術品だけでなく、現実世界のストーリーに触れながらゆっくり歩いて目的地に着く。

少し早めに着いても、暇つぶしをする余裕もまた待ち合わせの楽しみの一つになる。しかも今回は、同行した友人と会うまでにスマホを使わなかったこと。これもまた初めての体験だった。美術館の入り口で立ちんぼをしていたわけでもなく、どこにいるという連絡をしたわけでもないのに、周辺をゆっくり散策している中で声をかけられ合流。

なんかすごく…良いのです。
なんだか現代に逆らってる感じ。

そんなほっこりした気持ちで入場券を買いに窓口へ向かったのだが、美術館もいまやキャッシュレス対応になっていた。

もはや意地になって現金払いをしたことは言うまでもない。


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風埜いろは
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。