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自信と好きは別物だと思うのです
知り合いと会った。
正直、あまり仲良くはない。
以前から何度かご飯に誘われていたのを断ってきてしまった負い目と、ちょうど暇だったという気紛れから、自他共に認める八方美人である私は食事に行くことにした。
もちろん悪い人ではない。
ただただ、なんとなく疲れる。
まぁ馬が合わないのだろうと私は思っているが、それが相手は違うようで。
とにかく、せっかく会うのでたくさん話をした。話をしていれば、合う合わないに関わらず得るものがあると思ったからだ。
その人から見て、私は自分に自信がないように見えるとのこと。それはあながち間違いではない…というよりは、全く持ってその通りだった。
だから、その知見が当たっていると伝えると、その人は鼻息荒く私に言った。
「もっと自分を好きにならなきゃだめだ」と。
・・・
なんと不思議なアドバイスだろうと思った。
私は私に自信がないとは言ったが、自分のことが好きじゃないなんて一言も言っていない。自信があることと自分を好きであることは、話が違う。
私は自信がない。
だが、そんな自分も嫌いではない。
自信がないからこそ、なんでも挑戦しようと思う。たった数回の失敗で挑戦をやめようとはしない。何でもかんでもすぐにできる能力なんか持ち合わせていないことを自覚しているからこそ、「もう一回やってみよう」と思う。
自信がないけど、いい意味で諦めが悪い。
この性分は、そんなに悪いもんではないだろう、と思うのだ。
自己肯定感が大切だという人々が蔓延していた。今は少しずつ薄れつつあるが、まだまだ自己肯定感を育てるために…という話題は至る所であがっている。
もちろん自己肯定感もあった方がいいことは確かだけど、自己肯定感が全肯定されすぎたせいで、人は皆大きな勘違いをしているのではないだろうか。
褒めそやされて、根拠もなく自分に自信がある人よりも、私の方がずっとずっと強い。劣等感はとんでもない力になると、身をもって痛感している。
自信はなくとも、自分のことを好きでいられるのは何故か。
自分の自己肯定感の有無に関しては、いまいちよく分からないけど、自己効力感を養うことができたからではないかと感じる。
私にもきっとできるはず…と思える自己効力感は、誰かに褒められたり、他人に認められることではなく、小さなことでも「出来た」という体験の積み重ねで培うことができる。
その中で失敗も繰り返すが、失敗したら工夫してみようと思う。あれも違う、これも違うと試行錯誤しながら得られる成功の方が、簡単になんでもこなす経験よりも、よっぽど価値があると思う。
諦めの悪さが生んだ結晶である。
・・・
休日の午後、銭湯へ行ってその足で少し遠回りしながら家路につく。
気持ちの良い風と、自分のシャンプーの匂いをまとわせながら、そんなことを考えたのでした。
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