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あなたは自由ですか?

自由って言葉の響きは素晴らしいですね。
前向きにな未来へ繋がる印象です。

でも自由を本当に、自分で選びとれる人ってどれ位いるのでしょうか?

私は以前から、この自由って言葉はクセものだと思っていました。
自由って、もちろん好き勝手して良いわけじゃないのは、みんな知っています。
自分で責任を引き受けた上での選択だと思っています。
それはそうなのですが、そもそも私達は自由に振る舞ってるつもりでも、実は多くのしがらみに絡めとられた自由です。

つまり狭い範囲の自由。

例えば昔だったら、女性は夫を支え、子供を産んで一人前みたいな。
男性は一家の主として、家族を養って一人前みたいな。
世は変われど今でも、この価値観ありますよね。
実は大多数の人々は私も含め、世間一般の価値観に乗った範囲での自由です。
なぜなら、その方が楽だからです。
だから、年頃になったら結婚を意識します。
せいぜい結婚相手を自分で選ぶくらい。
本当に自分が何をどうしたいのか? と思い悩むより、世間の価値観を共有した方が親も安心するし、周りの人たちにも理解されやすい。
自由を追求するより、無意識に狭い範囲での選択を自由とはき違えています。

でも一部の人はそうではない。
どうしても世間の価値観に沿った道を歩けない人もいるし、自己を追求する人は何の保障もなくても、苦しみながら自分の道を探します。
こうした人達には自由という言葉が当てはまります。

でも大抵の人は思考停止の楽な自由を選びます。
ところが世の中は甘くなくて、選んだ道は楽ではなく、障害が幾つもやって来る。
私の場合はこうして頭をコツンと叩かれて、ようやく自分を振り返る。
自分は自由に人生を選びとったと思ったのは幻しでしかなく、せいぜい選択肢の幅を広げた生き方だったのだと気付く。

過去を振り返れば、あの時はトコトン考え抜いて答えを出しただろうか?
と疑問に思う分岐点があります。
メンタルが沈み込むと、過ぎた時間を考えてしまいます。

でもメンタルが安定していると、これはこれで私らしい人生だとも思えます。
過去に戻ってやり直せるとしたら、やり直したいかと問われたら?
いや、今のままで良いと思ったり、分からなかったり・・・

でも案外生きるとは、こういう迷いの中にあるのかなと思ったりします。

結局のところ自由とは、多くの人の場合は選択肢の幅を広げただけ。
ですが一部の人は本当の自由を知っている。
どちらが良いも悪いも無い。
誰しも懸命に迷いながら生きているからです。

哲学者のサルトル(1905~1980)は言しました。
「人間は自由の刑に処されている」と。
解釈はそれぞれです。

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