続 いたずら
現在ではあまねく紳士と称されている私ですが、子どもの頃は結構ないたずらっ子でした。
私の場合はほとんどが高校時代でしたねぇ。
小中学生の頃は、秀才といわれた河童坊やも、高校ではさっぱり授業についていけず、文化祭の仮装行列だけが楽しみという、鬱勃たる青春を過ごしておりました。
あれは、受験も近づいた3年の冬のことだったと思います。
うちの学校は校則が甘く、かなりの自由主義ではありました。
サボりも欠席も赤点さえ取らなければ、わりとお目こぼしがあったのです。
その日も、誰かの席が空いていました。
その椅子と机に渡るように2人分のバッグを積み上げました。
(進学校だったので、毎日5冊くらいの辞書は必携で、さらに教科書や参考書を詰め込むために通学カバンは皆大きなスポーツバッグでした)
そこに、誰かのPコートを着せ掛けて、腕の部分にはジャージを丸めて詰めました。
首はないけれど、曲げた腕の先に開いた教科書を立てたら、
見事な『教科書で顔を隠して寝ている生徒』のカカシというかダミーが完成しました。
あ、私たちには制服もありませんでした。
そのまま次の授業になり、英語の先生は「居眠りをして、自分で自分の首を締める奴はほっておく」とのたまい、我々は笑いをかみ殺すのに必死でした。
意外と気づかれないもんだなぁ、などと笑いながら迎えた次の現代国語の授業。
M先生は、教科書を読みながら、生徒たちの席の間を歩いてゆきます。
(さすがにこれはバレるなぁ)と思いながら眺めていると、ダミーの隣でふと脚を停める先生。
(おお、ヤバい!)と思った次の瞬間、
「おい、君、起きなさい!」と先生は人形の肩の辺りをつつきました。
当然ですが人形が起きるはずがありません。
「おい、君、おい!」
「おい、大丈夫か、どうしたんだ?」
ゆさゆさと揺する先生。
教室のあちこちで噴き出す生徒たち。
それでも先生は気がつきません。
「おい、彼はどうしたんだ?、具合でも悪いんじゃないのか!」
先生は必死で人形の肩を揺さぶります。
その時、弾みで開いていた教科書がぱたりと倒れ、そこには首のない少年の姿が…
「うおおおお~!」
M先生の絶叫は津軽海峡を越えたことでしょう。
でも怒られなかったなぁ。
今思うと、あっぱれな学風でしたね。
味をしめて、それから毎時間教室のあちこちにダミー生徒が出現しました。
慣れて来た先生たちが鼻で笑ったりしていましたが、
今度は、最前列に3人並んだダミーの真ん中の1人だけが、同じポーズをとったS君で、起立の挨拶で突然立ち上がり、先生の腰を抜かすなどのブービートラップが続きました。
6組で面白いことが流行っているらしいということが、他のクラスにも広がりましたが、ダミー制作のパテントは私が持っているということになっているらしく、休み時間ごとに『松島君、ウチのクラスでもやりたいんだけど許可もらえるかい?』などと他のクラスの知らない奴らが私のところに来るほどになりました。
馬鹿でしたねぇ。
今もだけど。