臓腑(はらわた)の流儀 忘却の仇花 その8

あの忌まわしいクラス会の一週間後の土曜日、「モツ男爵」から3ブロックしか離れていない同じ本町のラウンジ『ノーマ・ジーン』に再び俺たちは集った。死んだジンとミッツを除く全員が参加した。
 事件の全貌とその解明を俺から聴くために。

 本当は皆んな事件翌日の日曜日にでも聴きたかったのだろうが、ショックを受けた木下先生が、やはり大事を取って循環器科病院に2泊の検査入院をしたり、俺やミッキィは翌日も事情聴取を受けたりしていたので、皆んなへの説明が遅れてしまった。ミッキィのクラブ『アンバサダー』と、姉妹店の『ノーマ・ジーン』は、クラス会事件が発生した「モツ男爵」と同じ加賀谷グループの経営なので、それを知る両店の顧客、馴染客が連夜店を訪れ詳細を聞きたがったので、ミッキィはゆっくり休む暇もなかったらしく憔悴した顔付きをしていた。どれだけ探りを入れられても、当のミッキィが何も知らなかったからである。
 それでもその日、開店の午後7時からの90分間は俺たちのために店を貸切にしてくれた。そしてその間、本来なら客の俺たちに着くホステスたちには同席、接客を許さなかった。秘密の共有は人数が少ない方がいい。

 最初にミッキィの提案で、全員で2人に黙祷を捧げ、その後に献杯となった。献杯の音頭は先生にお願いした。
「しかし、ほんの一週間前に賑やかに乾杯したあの2人のために、今日しめやかに献杯しようとは…ましてまだまだ若いのに、人生の無常を感じるな」先生はそうしみじみ述べると、アンディ・ウォーホルの描いたモンローの大きなポスターを背にゆったりと椅子にもたれて、
「さあ、水島君始めてくれ。認めたくはないが、アレはやはり佐賀君がやったことなんだな?」
木下先生はこの一週間でかなり痩せたように見受けられ、それが痛々しかった。
 俺は目の前に置かれたジョニ赤の水割りを一息で開けるとおもむろに口を開いた。

「残念ですがその通りです。すべてはミッツ、佐賀の犯行でした」
「すべてとは?この事件は堀尾君殺害だけではないのかね?」
「そうなんです。この事件の根は深いんです。そもそもの発端は44年前のジンの脱糞事件にありました。」
「なんだって⁉︎君たちが6年生の時のアレが発端だというのか?」
「そう。当事者のジンはもちろん、われわれクラス全員に深い記憶の傷痕を残したあの事件。まぁ殺人事件に比べるといたって他愛のないもので、社会的には事件と呼べるレベルのものではなかったのですが、あれもミッツが企てた犯行でした」

俺の話に耳を傾けていた全員に、水を打ったような沈黙が拡がった。
 あのオリハラや貴子ですら口を開くことはなかった。

 喘ぐようにノブオが
「企てたって言ってもな、ジンはウンコを漏らしたんだ。そんなことが他人に企てられるわけがないじゃないか」
「強力な下剤を盛れば済む話だ。おそらくジンの給食に混ぜたんだろう」
「下剤だって!小学生にそんな物が手に入るかよ。なるほど、ミッツの家は内科医院だった。奴なら入手できたってわけか…?」
「いや、先代の佐賀先生は柳野小の校医も務められていたが、非常に謹厳実直な方だった。家族といえども、病院の薬品を勝手に持ち出すことが出来たとは思えない。厳重に管理されていたはずだ」
「じゃあミッツはどうしたというんだ。小学6年生の男の子が薬局で下剤を買ったっていうのかよ⁉︎」
 ノブオは納得できないという顔つきでグラスを口にした。氷がグラスに当たって金属的な音を立てた。

「下剤はミッツの手元にあった、実はミッツばかりじゃない。あの夏、このクラスの全員にとって、それは目の前にあったんだよ」
「クラスのみんなの?ちょっとどういうことなのよ。さっぱりわからないわ。いい孝ちゃん、私たち女性は若い頃から便秘がちな人が多くて、下剤を常用している人は多いわ。でも、小学生の頃から飲んでた女子なんて聞いたことがないわ。それが目の前にあったなんて言われても…」
俺とノブオのグラスに水割りを作っていたミッキィがようやく発言した。女性陣もそれに頷いている。

「ミッツが使ったのは朝顔の種だ」
「え、朝顔ですって…!」
俺はミッキィの手からグラスを受け取って後を続けた。

「朝顔の種子は漢方では牽牛子けんごしといって峻下剤しゅんげざい、すなわち効力の強い下剤として用いられるんだ。」
「そんな物がどうして?」
「忘れたのかミッキィ、あの夏休み、自由研究で朝顔の観察をした奴は多かったんじゃないか?ひねくれ者の俺は、日数のかかる観察日記などには手を付けず、日露戦争における大日本帝国海軍の大回頭作戦の研究をしたがね」
「あなたは本当に、子どもの頃からひねくれていたわ」
「そんなわけで2学期になってからは教室の後ろの棚の上にずらりと朝顔の鉢が並んでいたのを覚えているよ。花が終わった後、そこから種子を採ることは簡単だったはずだ」
「でも、それが下剤の働きをするなんて大人でも知らないわ。現に私だって、今の今まで知らなかったわけだし…」
 ミッキィが眉根を寄せてそう言った。勝気で負けず嫌いの性分が顔を出した。

「けれどあのしつこいくらいに勉強好きな佐賀少年は、その夏休み中に朝顔について大人顔負けに調べたんだ。百科事典を引けば、牽牛子が峻下薬だってことは載っていたはずだ」
「確かに水島君のいう通りだね。つい先週も、佐賀君のその自由研究について喋った気がする。君のT字戦法と一緒にね。しかし、それはあくまで君の憶測だろう。説得力はあるけどね。私にはやはり当時の佐賀君にその知識があったとは思えないんだけどねぇ」

先生がそう反論をした。しかしそれは俺の想定内のことだった。

「いや先生、ミッツはそれを知っていたんです。
 そして朝顔を栽培しなかった私もね。2人にその知識があったことを私は知っているんです。さらにそのことが44年後にも繋がって来るんです」
「どういうことなのか説明してくれるかね?」
「証拠があります。状況証拠に過ぎませんが。ともかくちょっとこれを見てください」
 俺はそう言うと、あらかじめネットからスマホに落としておいた写真を出した。それは先生の手から、順送りで全員の手へと渡った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?