臓腑(はらわた)の流儀 白狐のお告げ その4
それではと……」お狐様は改めて座布団の上に座り直した。
それを見て靖子も正座を正した。もう足が痺れ始めていたのだ。
「生年月日をおっしゃってください」
これから即答できる。隠す必要もないだろう。
「昭和39年6月17日です」
「ああ、辰年生まれですね?それにしてはお若い。還暦には見えない……」
暦を暗記しているのか、計算が早いのか靖子は唖然とした。
これも修行の賜物なのだろう。まだ完全にお狐様の力を信じたわけではない。先ほどのパフォーマンスにはトリックがあるに違いない。疑り深い彼女はそう思ったが、若いと褒められたのはまんざらではない。
「ちょっと失礼しますよ」
お狐様はそう言うや、開いた右手を靖子の顔の前に突き出した。
二人の距離は二メートルほど離れていたので、靖子の額に手をかざすというほど近くはなかった。色白で小さく柔らかそうな手だった。
「眼を閉じてください。」そう言われたが、言われる前からすでに自然に眼は閉じていた。
なにやらぼーっとしてくるような気がした。
『これって陶酔感?』
靖子は首を振って意識をしっかり待とうと集中した。
「還暦となれば月のものはすでに終わっていることでしょう。でもあなた、シモの不調にお悩みね?」
いきなりの図星であった。
「でも大丈夫、これはそんなに心配することはないわ」
「あ、ありがとうございます」
そう言うと靖子は頭を下げた。だが、いくら同性とは言え、いきなり婦人科の話から入るのかと思うと、それが心配ないと言われてもわずかな不快感は残った。
『待って、私が坂本さんに声をかけられたのは林レディースクリニックの前よ。さっきここに来る前に坂本さんはおそらく緑川さんとスマホで連絡を取っていた。その時に婦人科の前で会ったことをこっそり教えたんじないかしら……?まさかこの歳になって妊娠なんてことはありえないわけだし。』
靖子は眠りに落ちそうな意識の中で、必死に反論を考えていたが、それを口に出すことはしなかった。
「それから貴女、外国人に縁がおありよね?それと華やかなお仕事にも……ううん、これは貴女自身のことじゃないかもしれない」
眠気がいっぺんに吹き飛んだ!さすがにこれには驚いた。
ピーポディの姓は一度も名乗らなかったはずだ。娘の杏に似ていると近映の金子監督や親友のミッキィには言われたことはあるが、杏はカナダ人とのハーフである。知らない人が顔だけを比べてその関係に気がつくことはない。
貴女自身のことではないかもしれないと言われたが、実際に靖子自身が高校生の時に金子監督の映画にエキストラで出演している。
「あとはアレね、貴女割とマメな性格で執着心が強いわね。その割に好奇心旺盛なところがあるわ」
これも当たっていると言えば当たっているだろう?ここに来たのだってあくまで好奇心の成せることだし。しかしこれはかなり一般的で漠然としているようにも取ることができる。
「海にも縁があるわね。でもこれはこの街が港町だから当然と言えば当然よね?」
確かに迫館は古くから天然の良港として知られていた。そしてそこを舞台に、靖子がエキストラ出演した映画のタイトルは「出港」だった。
さらに夫のサミュエルは北大西洋に面したカナダのプリンス・エドワード島の出身ある。
だが、靖子を仰天させたのは孫の真凛の存在だった。
marineこそ海に関連する言葉そのものではないか?
そして杏の夫は一般人で海上自衛隊の隊員である。
杏が出演したアクション映画に海上自衛隊が登場するシーンがあり、そのために自衛隊が全面協力をし、隊員の作法や演技の指導として参加したのが、当時の海上幕僚監部、広報室配属で海上一尉であった野呂翔太であった。
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杏は結婚後もデビュー時から使って来た小山・ピーポディの姓を芸名として使用していた。
たびたびロケ地を訪れていた野呂一尉と杏のあいだにいつしか恋愛感情が生まれ、それが二人を結婚へと結び付けた。
生まれた娘はそんな両親の背景もあって(まりん)と名付けられたのであった。
杏が結婚した時や出産時にはテレビのワイドショーで話題になったこともあったが、その真凛もすでに四歳である。
「それでね小山さん、ここからは聴きたくない話かも知らないけど、貴女には凶事が訪れるから気をつけた方がいいわ」
『凶事、凶事って……?』
さすがに真凛と翔太のことを言い当てられたような気がした上にそんなことを言われて、そろそろ初雪も降ろうという時期なのに、靖子の背中を冷たい汗が流れ落ちた。