臓腑(はらわた)の流儀 その2

スナック朋で裕美子に会い、彼女が密かに連絡して呼び出したらしいシンジと薄汚い路地で立ち回りを演じたのは決して偶然の産物ではなかった。

話はその3日前の夜に戻る。

その日無事に仕事を終えた俺は、喜んでいるクライアントの襟原の誘いに乗り、港を見下ろすビルの8階にある豪奢なクラブへと足を運んだ。

もういいかげん長い間不況から抜け出せていないこの街では、現在一番ランクが高いそのクラブの名はアンバサダーといい、広いホールの中央では生ピアノの演奏が行われていた。

カウンターに留まり、年配のバーテンと飲み物のやり取りをしていると、薄緑色の和服に身を包んだ美女が我々の背後から近づいて来たのをバーテンの後ろの鏡張りの戸棚の中に発見した。

「あら襟原さんお久しぶり。こちらお初めてね、いらっしゃいませ。」バーテンはすかさず身を引いた。

美女はなぜか伏し目がちに微笑んだかと思うと、そのままカウンターの後ろに回り、細身のボールペンを手に取ると紙に何やら書き出した。

「よぉママ久しぶり!今日は新しいお客さん連れて来たぞ。水島さんといってな、今回はえらい世話になったんだ!喜んでくれママ、トラブルはすっかり解消したんだ。水島さんはスゴ腕だ!これでまたちょいちょい顔を出せるぞ!」

飲む前から相当ハイになっている襟原に紹介をされた俺はママに軽く頭を下げた。

すると彼女は滑るように俺の前にやってくると帯の間から女物の名刺を抜き出してカウンターの上に置いた。

『クラブ アンバサダー 店長 加賀谷美樹』とある。

俺はよほど驚いた顔をしていたのだろう。彼女はなおも含み笑いを噛み締めると襟原に向かって、

「エリーさん、いつものカミュの水割りでいいのね?そちらも同じでよろしいのかしら?」

「いや、俺はスコッチをもらおう。ジョニィの赤をダブルで」

「あら、黒じゃなくていいの?水割りかしら」

「いや貧乏性なんで赤の方が好きなんだ。ストレートでチェーサーつけてください」

「まぁお強いのね!」

「ママ、このイケメンぶりだ!さぞかしあっちの方もお強いんじゃないか?」襟原の下品なジョークに、彼女は袂を左手で押さえて、右手を振り上げて見せた。「エリーさんの バカぁ!」

場の空気がほぐれたところで俺は今もらった名刺をカウンターから滑らして手に取ると裏を返して見た。

『お話ししたいことがあります。どんなに遅くなっても構いませんからお電話ください 。ミッキィ』そして携帯の番号があった。

ミッキィか。遥か昔の呼び名を思い出した。

そういえば、同じクラスで、土建屋の息子の加賀谷と結婚していたことも同時に思い出した。俺は彼女とは中学生の頃から結構仲はいい方だったことも。

 加賀谷組は、俺たちの同級生だったケースケの手腕で事業を拡張し、バブルの時代とその崩壊後に基幹産業の衰退で枯れ果てた駅前のビルを次々と地上げして買収した。ということは。このハーバービュービルもアンバサダーもケースケの持ち物というわけか。ママのミッキィもオーナー兼業なんだろう。大したもんだ。襟原に遠慮したわけではないが、こんなことならやっぱりジョニ黒にすべきだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?