臓腑(はらわた)の流儀 忘却の仇花 その1

 「ねぇ孝ちゃん、ジンが見つかったわよ!」
カウンターの陰でノートパソコンに何やら数字を打ち込んでいたミッキィがふと顔を上げて俺に向かって言った。開店前のクラブ アンバサダーにはまだ客は入っていないし、スタッフたちもそれぞれ開店準備に余念がないので、発せられた言葉の向かう先は、一人カウンターでジョニ赤のオンザロックを飲んでいる俺以外にはなかったのだが。

「ジンって誰だ?今抱えている調査対象者関連にそんな人物いたっけな?」
 さすがに若い頃のようには飲まないが、それでも今宵の一杯目から記憶を無くすわけがない。
「ほら、堀尾つくすよ。小学校の時に同じクラスだった。」
「ああ、ほりおジンな!思い出した。しかしなんでまた今さら?多分小学校卒業以来、何年だ… そうだ45年近くも会ったことがないや。ミッキィは繋がっていたのか?」
「ううん、アタシも卒業以来久しぶりだけど。何度かやったクラス会にも一度も来た事ないし。」


 ここで人物とそれにまつわる諸事情を説明しよう。



 俺の名は水島孝一郎。2年前から故郷のこの港街で、水島リサーチアイ・オフィスを経営している。要するに私立探偵だ。

 ミッキィはこの街一のクラブ、「アンバサダー」のオーナーママにして、加賀谷組土建株式会社社長夫人。なおかつ社長の加賀谷圭介共々、俺とは中学校の同級生である。さらにミッキィとは小学校でも同じクラスで卒業した。当時の名前でいうと植村美樹だ。ちなみにこの氏名は、当時人気があったアニメ「デビルマン」のヒロイン牧村美樹と一字違いで、勝気な美少女という点では似ているところがあったが、永井豪の原作マンガでは、美樹は首を斬られて虐殺されるなんて、ミッキィは知っていたのだろうか?

 俺がこの街で事務所を開業するに当たって、加賀谷夫妻にはいろいろ世話になったが、その時に起こった事件と、そのドサクサで、以来俺とミッキィは愛人関係にある。

 とはいえケースケとミッキィも切れてはいないし、離婚したわけでもない。
 父子二代にわたりこの街で土建業者として頭角を現し、自分の代になってからのバブル景気と、その崩壊後の地上げと大手ゼネコンと組んだ再開発で、今や北のトランプとも呼ばれるようになった加賀谷圭介の体面あってのことだろう。世間で美人妻と評判が高いが、もう何年も前から結婚関係が破綻していたミッキィを何がなんでも引き留めるより、唸るほどの金に物を言わせて、好き勝手に生きる道をケースケは選んだのだ。

 しかも、自分の乱倫は棚に上げて、ミッキィの相手が昔から仲の良かった俺と知ると、圭介は逆に安心したのか、二人の夫婦仲は一見以前より良好に見えるようになり、夫婦に俺を交えたいびつな三角関係も明朗かつ良好に展開して来た。

 基幹産業の衰退によって長い不況に襲われたこの街では、経営に行き詰まった老舗店舗や飲食店が店を畳むケースが増え、ケースケは、債務と引き換えに丸投げでそれを引き取る事もままあり、その店のそれまでの背後関係や、取引関係調査を業務として依頼される事も比例して増えた。
 俺たちはビジネスパートナーとしてもなかなか上手くやっていた。
 ケースケは最近では、倒産閉店した釜飯屋跡地にモツ鍋屋をオープンし、北海道でモツ鍋?という周囲の不安に反して瞬く間に人気店にしてしまっていた。多角経営者の見本のような実業家である。
 
 とまぁこんないきさつだ。より詳しく知りたい人は「臓腑(はらわた)の流儀」を読んでもらいたい。


「で、そのジンがどうしたっていうんだい?アイツ今何してるんだ?ミッキィが会ったのかい?」
「バカね、そんなに立て続けに聞いたりして。そもそもはヤッコが見つけたのよ。」
「ヤッコ?小山も小学校から一緒だったかな?」
「そうよ。みんな小学校も中学校も同じクラス。」
 小山、今の姓はピーポディというが、彼女も俺たちとは昔からの仲間で、確か2年前の事件の時にもあの場にいたはずだ。今は主婦の傍ら市内の大手スーパーでパート社員として働いている。

「そのヤッコがね、先日サービスカウンターにクレームをつけに来たお客がジンだったんだって!
 あのコも最初は誰だか全然わからなかったらしいんだけど、買ったばかりの扇風機が動かないってイチャモンつける声に聴き覚えがあったので、商品をレシートと共に新しい物に交換して、顧客カードを書いてもらう時に氏名を確認してわかったそうよ。ねぇジンでしょ?小山靖子です。覚えてる?って言ったらジンも覚えていたんだって!」
しかし、ヤッコのこといまだにあのコだなんて。
 俺たちあと4年で還暦だぞ!
「ふーん、それで?」
「なんでもね、ジンは高校卒業後カーディーラーで自動車のセールスマンになったんだって。そしてそこを辞めたあとは、中古車販売とかいろいろやって、結局車が好きだから東京でタクシー運転手になったんだって。そこで長いこと働いてたんだけど、身体を悪くしちゃって、今年こっちに帰ってきたそうよ。」
「そうか、こっちでもタクシー乗ってんのか。」
「いいえ、ずっとタクシードライバーだったから、いずれこちらでも復職したいそうだけど、今は身体を癒しているんだって。」
「そうかい。人それぞれの人生だなぁ。けどある程度の歳になるとみんなこの街に帰って来るんだなぁ。」
「それでね孝ちゃん」
「ああん?」
「ヤッコとも話してたんだけどクラス会やらない?」
「クラス会だぁ?」
「そう、柳野小学校6年5組のクラス会。最後に集まってからもう30年以上経つわ!孝ちゃんが帰ってきたのだって知らない人いるはずだもの。孝ちゃんとジンの帰郷祝いと応援の会。来たるべき還暦前に一度幼き日々に還ろうの会にすれば名目は立つじゃない?」
「いやはやアンタの企画力にはつくづく舌を巻くよ。やらない?って訊いといて、どうせもう動き出してるんだろう?」
「大当たり!とりあえずヤッコとアタシが幹事。これから詳しい内容や日程の調整をするの。まずは木下先生のご意見を伺うわ。」
「先生お元気なのか?」
「3年くらい前に心筋梗塞で倒れられたけれど、その後はお元気なようよ。半年に一度くらいは久美ちゃんのお店にお花を買いに来るそうよ。」
「ほう、屋敷生花店は久美子が後を継いだのか?」
「屋号も店もそのままだけど、今は久美ちゃんの旦那さん、戸田さんがご主人なのよ。久美ちゃんもお店を手伝ってるわ。」
「久美子、そのために農業高校に行ったんだよな?」
「卒業後割と大きな園芸店に勤めて修行をして、そこで知り合ったご主人と結婚して店を継いだのよ。」
「店は学校の近くのあそこのままなのか?」
「そう、もうずいぶんと老舗ね。あの辺では古い方ね。専念寺さんが大きくなったから需要も増えたようよ。久美ちゃんのフラワーアレンジの評判も高くて。」
「まったく加賀谷組といい、我々仲間には商売上手が多かったんだなぁ。あの頃はちっとも気づかなかった。」
「孝ちゃんだって、調べ物好きが生かされての敏腕探偵じゃない?」
「調べ物好きといえばアイツ、佐賀センセも呼ぶんだろう?」
「佐賀君?そういえばあの人も佐賀内科医院の二代目よね。それを徳成会病院という総合病院にまで大きくして、そして今では市会議員様ってわけ。クラスの出世頭は昔から忙しくて、今までのクラス会は小中どちらのにも来た事がないけど、一度会いたいわね。」
「おや、こちらも加賀谷組社長夫人という市内社交界の顔ではミッツに会ったことはないのか?」
「いや、佐賀君自身とはいろんな場で圭介共々会うことは多いけど。やっぱりあの当時の仲間としてみんなで会いたいじゃない。よし、今回はなんとしても口説き落とそう!」
「まぁ美樹ママの口説きに耐えられる男はちょっといないだろうな。」

冗談交じりの俺の思惑とは別に、ミッキィの入れ込み様は火を吹くほどであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?