エンデュアランス号
1914年、ロンドンの新聞に奇妙な求人広告が、掲載された。
求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る。
これは英国人探検家シャクルトンが南極大陸横断に挑戦する際の探検隊募集の広告である。
これに対し熱狂したロンドンっ子達は、なんと5000人以上が応募した。その中には年若い女性も3名いた。
シャクルトンはその中から海のベテランから、全くの初心者までを直感によって選抜しシャクルトン以下27人のチームを作った。 さらにハスキー犬69頭もメンバーに加えられた。もちろん犬橇を引くためである。
この時代、すでにアムンゼンによる南極点到達は達成されてはいたが、未開の極地に対するチャレンジは続き、シャクルトン自信は3度目の南極行きであった。しかし私的冒険のため、資金集めに苦労したという。そんな彼らの運命を乗せたのが、機帆船(エンジンを搭載した帆船)エンデュアランス号てある。
全長約43.8メートル
幅約7.6メートルの、大型船で、三本マストを持ち
石炭を燃料とするスチームエンジンを積んでいた。エンデュアランスとは不屈の精神という意味である。
第一次大戦が勃発し、イギリスもドイツに宣戦布告して世論が沸騰する中9月2日にプリマスを出航、一旦ブエノスアイレスを目指した。
彼の地で補給して12月5日、いよいよ南極を目指して出発したが、乗組員が知人をひとり密航させ、やがて彼は正式に28時目の隊員となった。
しかし、1615年1月、船は大流氷帯に取り巻かれ、1月18日にはついに完全に氷に閉ざされて航行不能となり、そのまま越冬することになる。
しかし巨大な氷塊は、船を圧迫し続けて、ついに10月24日には船体が曲がり浸水が始まった。27日にはシャクルトンは船を放棄する決定をして、探検隊は氷の上に移り、11月21日にエンデュアランス号は沈没した。最初のうちはアザラシやペンギンの大群と出会い、これらを殺して肉と脂を取り、乾燥させて食糧と灯油として保存したり、氷の上でサッカーを楽しむなどの余裕もあったが、
本船が沈没しては、数隻の救命ボートだけが彼らの移動手段として残されるだけとなった。
1916年4月9日に.救命ボートに乗ってエレファント島目指して出発し、苦難の末に無事島に上陸した。シャクルトンはその後隊を二つに分け、シャクルトン以下6人が、比較的マシな救命ボートジェームズ・ケアード号に乗ってサウスジョージ島を目指し、救援隊を引き連れて残った男たちを助けに来るという無謀な作戦に挑むことになった。甲板のない小さなボートは荒れ狂う海を無事に渡り、5月10日には、無事に目的の島に上陸した。そして今度は島を横断して捕鯨基地の港にたどり着き、その後数度にわたってエレファント島救出を目指したが何度も失敗、ついにチリ政府から小さな引き舟を借りてエレファント島に向かい、残されたメンバーを全員救出することが出来た。連れて行った犬達はすべて食糧となっていた。こうして17ヶ月に及ぶ漂流はおわり、奇跡的に28人全員が帰還を果たした。
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氷に取り巻かれたエンデュアランス号
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エンデュアランス号遭難 アルフレッド・ランシング 1959年
新潮文庫 平成13年
写真はいずれもお借りしました