臓腑(はらわた)の流儀 碧(みどり)の涙 その5
先生、いつどこで見つかったんですか?」
慌てて孝一郎君が口を開きました。
「ついさっき、6時間目が終わった後に職員玄関の靴箱の上に置いてあるのを、校外写生から帰った美術の小島先生が見つけたそうだ。札幌で吹奏楽部の木村先生が預かったままの巾着袋ごと置いてあったらしい」
「先生、ちょっと私音楽室に行って来ます!」
そう言って着替えもしないままに菊田さんが第二理科室を走り出ようとして扉を開けたかと思うと
「キャッ!」
という声を上げて後ずさりました。
「だ、誰か立ってる……」
戸口からのっそりと顔を現したのは5組の中田君でした。
「なんだ中田じゃないか?」
同じクラスの平君が声をかけました。
「平、小柴先生が探してる」
小柴先生は5組の担任の先生です。いつも赤いジャージを着ている小柄な女性体育教師で女子体操部の顧問をしています。
「じゃ、俺が探して来ますって言って生徒会室に行ってみたら、『第二理科室にいます』っていう貼り紙があったからこっちに来てみたんだ。お前たち何だよそれ、紅陽祭の仮装か?」
おお、どうだすごいだろう?」
平君はそう言いましたが中田君は
「ケッ!」
と言ってみどの身体を舐め回すような目付きでねめつけていました。
「それにしても桑坂、オメェはエロいな!」
「あら、ありがと」
さすがのみどは動じません。アタシだったらあんな三白眼でねめつけられたらおぞけが走るのに、さらりとあしらいました。普段ならここで少しは威嚇的な態度に出る中田君ですが、そこは生活指導部の鷺舞先生がいるものですからクルリと踵を返して出て行きました。
「先生、僕も失礼します。すぐ戻って来ます。会長、カメラを頼む」
そう言い残し、平君もやはりアラジンの衣装のまま、菊田さんと共に走り出て行きました。
「先生、職員玄関に返されたということは、盗ったのはやはり本校の関係者ってことでしょうね?」
孝一郎君が鷺舞先生にそう言いました。
「職員玄関は本校の正面玄関だから、来客もそこを利用する。そういう意味では外部から侵入者があったことをまったく否定する訳にはいかないが、常識的に考えても本校関係者と見るしかないだろうな。受付窓口に一番近い事務職員さんも父兄や来客は無かったと言っているようだ。残念なことだが……」
鷺舞先生は心底悔しそうに言いました。
「と、なると、当然犯人は当日札幌に行っていたメンバーに限定されるわけで、迫館に残っていた在校生は容疑者外ということになりますね?」
「菊田には聞かせられんな」
先生はそう言って唇を噛みました。
「でも先生、なぜ犯人は今になってからわざわざそれを返したんでしょう?財布の中身は盗られてなかったんでしょうか?」
そう先生に訊ねたのは野添君でした。
「ちょうど職員室にいた木村先生にざっと確認してもらったが、見たところ中身は減ってはいないようだということだった。今頃は当日盗まれた当人たちに確認して返している頃だと思う」
「そうか、それで菊田さんもあんなに焦って出て行ったんですね!」
「野添、犯人、まぁここは仮に怪盗Xとしておこうか、奴は最近校内での警戒が厳しくなって来たことに脅威を感じたんじゃないか?」
孝一郎君がそう言いました。
「でも会長、盗まれたのは2ヶ月以上前、それもわれわれには窺い知ることのできない札幌でのことですよ。怪盗はなぜ盗んだ金を使ってしまわなかったんでしょうね?」
野添君は引き下がりません。なかなか論理的なところを突いて来ます。巨体の割に孝一郎君や平君、そしてみどの陰に隠れて存在感は薄いですが、彼だって2年生ながら紅陽会副会長です。先ほど進路はバレーボールをやりたいためにスポーツ強豪校として知られる私立の迫館健斗を志望していると言いましたが、菊田さんの話によると2年生の中ではやはり成績優秀なエリートで通っているそうです。
去年の孝一郎君がそうだったように、私達が卒業後の来年度はおそらく彼が紅陽会会長のポストに就くことでしょう。
「まぁ盗まれた金額が幾らなのか俺にもわからないけど、中学生がいきなり分不相応の大金を持って金遣いが急に荒くなったりしたら怪しまれるんじゃないか?まぁ部長の柳田の話によると、あそこの部員は中学生ながら結構自前の楽器を持っていたりして、家は割と裕福な家庭が多いそうだけどな。
それに、やっぱり盗んだはいいけど使ってしまうのは怖かったのではないかな?手を付けずに返してしまえば、仮にバレたとしても情状酌量の余地は認めてもらえると思ったのかもしれない」
やっぱり孝一郎君の推理には一理も二理もあると思ったわ。1年生の頃から伊達に屁理屈ばかり言っていたわけではないとアタシは感心しました。
「でもそう考えても、やっぱり変なことは変なんだ」
「会長、何が変なのよ?理路整然としているように聞こえるわ」
みどがそう言いました。
「最初に遠征先という知らない土地で財布をいくつも盗むというあまりに大胆な犯行を遂げたにも関わらず、いくら普段の校内には金銭、貴重品の持ち込みはないにしても、その後噂になっている犯行がお粗末すぎると思うんだ。学用品や教科書を盗んだところで、所詮はそれだけの話だ。鷺舞先生、僕たちは詳細は聞かされていませんが、具体的にそれら盗まれたとされている物品はその後どうなったんですか?生活指導部では把握しているんでしょうか?」
鷺舞先生は腕組みをしてややしばらく考えてから言いました。
「まぁお前たちのことを信頼しているから打ち明けるが、実際にそれらの物も、すべて発見されている。別の学年のまったく関係のないクラスの誰かの机の中に突っ込んであったり、ひどいものになると、1年生で技術の授業で使う工具セットを盗まれた子がいるんだが、それはプールの金網越しに中に投げ入れてあった。もうプールのシーズンはとっくに終わっているので発見が遅かったんだが、たまたま水道管理に見回りをしていた用務員さんによって発見された。しかし、生徒たちの間でお前らのいう怪盗Xの噂が大きくなることを危惧して,職員会議でこの情報は職員間だけで共有することにしたんだ。当然盗まれた当事者には返却したが、騒動が収まるまでは口をつぐんでいることを約束させた。まぁ遠からずわかる話だとは思っていたのだが、まさか最初の財布がこんな形で出て来るとも思えなかった。
そうそう、それでその件に関してこれから緊急の全体職員会議が招集されるんだった。
お前たちもいつまでもそんな格好していないで早く帰るんだぞ」
先生がそう言っているところに平君が帰って来ました。
「おお、小柴先生の用件は何だったんだ?」
と孝一郎君が訊きました。
「いゃあ、別に大したことじゃないんだ。紅陽祭の時に発表する部活ごとに記念撮影はしてくれるのか?ってこと。もしそうなら当日床運動の演舞をしない全部員にもレオタードを着用させなきゃならないとかって言ってた。けどなんだか急に職員会議があるからって慌ただしく追い返されたんだ。それよりみんな大変だぞ!」
「何が大変なんですか、平先輩?」
と言ったのは澤村さんでした。
「この格好で一線校舎の2階を小走りしたら女の子にキャーキャー言われたんだ。ものすごい仮装効果だよ。当日が楽しみだけどみどのその姿を見たら、男子生徒はパニックを起こすと思うよ」
一線校舎とはグラウンドに面した学校の正面に当たる棟で、その2階には3年生の教室が並んでいます。
ちなみに1階には正面玄関、職員室、校長室、印刷室や保健室など学校の中枢部が並んでいます。
校舎は並行して二線校舎、三線校舎と並んでいて渡り廊下で接続されています。三線校舎だけは鉄筋コンクリート造りですが、後の二つの校舎は戦前に建てられた古い木造校舎です。生徒会室は一線校舎とニ線校舎との間の渡り廊下の横に、後付けのように建てられており、中庭に面しています。
今アタシたちがいる第二理科室は、ニ線校舎の2階の端にありました。角部屋になっているので、所蔵庫なども作りやすかったのでしょう。
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そうこうしているうちに菊田さんも戻って来たので、アタシたちはまた着替えを済ませ、平君がしっかりと施錠をして帰路に着きました。
あ、もちろん生徒会室は第二理科室を使う前に孝一郎君が施錠をしました。ただ帰りがけにその前まで立ち寄って『第二理科室にいます』という貼り紙を剥がして来ました。
孝一郎君と平君の家は学校と同じ富丘町にあるので2人はいつも連れ添って帰りますし、やはり同じ仲道町に家があるアタシとみども並んで帰ります。
2年生以下はそれぞれに帰るのが恒例となっていました。
菊田さんと澤村さんは、同じく富丘町ですが、野添君だけは仲道町とは反対側の国鉄の駅のある方向に当たる鮫田本町の住人です。
11月になっていたので、あたりはもうすっかり陽が落ちています。アタシもみども冬服のセーラー服の上に学校指定の春秋用の薄手のコートを着ています。ただ12月からの厳寒期には冬の北海道ではこんなコートでは歯が立ちません。真冬に上に着るコートなどは各自自由とされています。
並んで歩くと、見上げるみどの首元から先ほどのペンダントが緑色の輝きを放っていました。
「ちょっとみど大丈夫なの?首から外してしまった方がいいんじゃないの?」
「大丈夫ようてな。これから仲道商店街を抜けて帰るわけだし、この時間まだ通行人も多いわ。それよりも外して落とす方が危ないわ」
なるほどと思いました。みどもまた理知的でハッキリした気性なのがわかると思ったわ。
「でもね注意してね。さっきの中田みたいな奴もいるんだし。見た、あの眼⁉️気持ち悪いったらありゃしない。アイツは変態ね」
「私はあんな奴興味もないわ!」
みどはどこまでも強い女です。