ディアナ号事件

1854年、それまで頑なに鎖国を貫いて来た日本が、アメリカとの間に開国の条約を結んだことを知ったロシアは、自らも日露和親条約を締結すべく、海軍軍人のプチャーチンを全権大使として日本に派遣しました。

アメリカのペリーが武力の誇示という威圧的な態度をとったのに対し、プチャーチンは話し合いでの外交に徹し、条約締結に向けての会議は穏やかに進みました。

ところが、そんな最中に安政東海大地震が発生します(推定震度7)。

下田に停泊していたプチャーチンの旗艦ディアナ号は津波に翻弄されて大破。
その後修理のために西伊豆の戸田への曳航途中で沈没します。
しかし周辺住民の必死の救助活動か功を奏し、プチャーチン以下の乗員全員が助けられました。

画像はお借りしました


(ディアナ号の沈没場所は特定されていません。数年前に『飛び出せ!科学くん』という番組で、調査潜水艦に乗ったココリコ田中が撮った映像に、木造艦船の残骸らしきものが写り込み、番組では急遽ディアナ号探索に乗り出しましたが、その後に起こった地震のために海底の状況が変わったために発見することができませんでした)


後日、無事に日露和親条約は締結され、
幕府はプチャーチンらの帰国のために戸田で、ロシア船員の指導のもと、日本の船大工たちに和製黒船を建造させます。
この船はヘダ号と命名され、プチャーチンをロシアに送り届けます。
この船とその後継艦はその後のわが国の造船技術の礎となります。

日本とロシアはその後の大津事件などの険悪ムードから、ついには日露戦争を迎えてしまいますが、それに先立つこのディアナ号をめぐるエピソードは、
日露両国の友好の証として語り継がれています。


でもね、


ディアナ号とはあくまで日本での呼び名。
当然本国ではただの「ディアナ」です。

そもそもはラテン語の「ディアーナ」。
ローマ神話における月の処女神です。

英語読みにすると「ダイアナ」。


異国の地で果てるのは運命でしょうか?

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