続 キャンプだヤッホイ!
さて、遊び呆けた2日目でしたが、
ツルサワが、「俺は今夜は町営のキャンプ場へ行く」といいだしたのが、後から考えると何かの予兆だったのかもしれません。
彼を除く私たちが、中2からの仲間だったのに対し、中学では隣のクラスではあったものの、高校まではあまり付き合いのなかった彼がナニか気にする出来事があったのか?
あるいはそれが元々の彼の性格だったのか定かではありません。
一人別行動を取って、テントなどどうしたのかも私の記憶にはありません。
朝になったら我々のキャンプに戻ってくるといい残して、彼は単独行動に移りました。
別に喧嘩別れしたわけでもないし、帰りにはまた一緒になる予定でしたので、誰も彼を引き留めることもなく、2日目の夜も更けていきました。
ところが…
夜半から風が強くなり、やがて大粒の雨がテントを叩くようになりました。
やがて風はゴーゴーと唸りを上げるようになり、アルミでできたテントの中の支柱は、数人がかりで持っていないと倒れそうになって来ます。
借りて来たテントなのでフライ(雨よけの覆い)なんて付いて来たのか覚えていませんが、
仮に付いていたとしても、強風であおられ使い物にはなっていなかったはずです。
それはすでに雨漏りなどというレベルではなく、テントのキャンバス地を素通りするように水がなだれこんできます。
砂地にペグを打っただけのテントです。
その砂地そのものがどんどんと崩れてゆくのです。
テントは風で飛ばされそうになっているだけではなく、その基礎そのものが崩壊しだしたというわけです。
真っ暗な中を透かして見ても、降りしきる雨が懐中電灯の光に銀色に輝くだけでしたが、荒れ狂う風と雨の音に混じって、波の音もただならぬ様相を帯びているのがわかります。
前日は、海まで遠いと悪態をついていましたが、もう少し海に近いところにテントを張っていたなら、あっという間に波に飲み込まれていたことでしょう。
「逃げるか?」誰かがいいました。
しかし逃げたにせよ、この嵐の中を自転車で走るのは自殺行為です。
しかしこうしていてもいずれテントそのものが保たなくなる予感は誰の胸にもありました。
「警察に保護を求めるか?」
「警察がどっちにあるかもわからないぞ」
不毛の会話が続く中で、ふと私が思い出しました。
「国道沿いにバス停があった。汚いけど小屋も建っていたはずだ!」
バイクで度々買い出しに走った私には、沿道に荒れ果てた小屋を見た記憶があったのです。
時刻は深夜2時くらいだったでしょうか?
ついに我々はキャンプを捨てる決意をしました。
雨はわずかながら弱まった感じがしました。
しかしすでにテントは自立する力を失い、中にあるありとあらゆるものが濡れていました。
決死の思いで土手を上り、軽い自転車は横にして積み重ねました。
それから記憶を頼りに歩きだしましたが、バイクで走った距離を、雨中の行進で換算するには思った以上に大変でしたが、
1キロほど先に無事に無人のバス停小屋を発見し、とりあえず雨を避けることができました。
疲労でウツラウツラしたのでしょうが、濡れそぼった身体で寝てしまっては風邪をひいてしまいます。
ツルサワのことが気になりましたが、町が管理しているキャンプ場ですから、少なくとも我々よりは安全たと考えられます。
というより、その時は自分たちのことを考えるのに精一杯でした。
午前5時すぎ、空はまだ墨のグラデーションのような有様で、太陽の姿は見えませんでしたが、雨と風はだいぶ納まりました。
私たちはしとどに濡れた身体を引きずって、キャンプに戻りました。
幸いなことに、私のバイクも皆の自転車も、散逸することなくそこで私たちを待っていました。
そして路肩まで行って、崖下を除きこんだ我々は衝撃の光景を目にしたのです。
崖の真下には波が打ち寄せていました。
熱い熱いと悲鳴を上げ、白い服の女が歩いていたはずの砂浜が消え失せていたのです。
もちろん私たちの二張りのテントはおろか、石で組んだカマドも、鍋釜も、残してきたはずの一切が波に飲み込まれていたのです。
放心する私たちの目に、波間から一つだけ見えたものがありました。
私が持ってきて砂浜に刺しておいた折りたたみ式のシャベルの柄だということがわかりました。
わかりましたが、それが二度と再び私の手に戻ることがないことも同時にわかりました。
なんの通信手段も、トランジスタラジオさえ持っていなかった我々には知る由もなかったのですが、
その嵐は日本海を北上し、北海道をズタズタにしていった台風そのものだったのです。
さて、そこからの記憶は大変曖昧です。
ある程度嵐も去ったので、バイクと自転車で公衆電話まで行ったのでしょう。
その日が日曜日だったのか、今と同じお盆の休みだったのでしょうか、
建設会社を営む浜チンのお父さんがトラックを出してくれ、アツシのお父さんも大型自家用車を出して迎えに来てくれました。
留守宅でも心配してくれていたことでしょう。
バイクと自転車をトラックに積み込み、私は白いシートカバーのついたアツシのお父さんの車に乗せられました。
あっという間に眠りに落ち、
気づいた時には台風一過の函館についていました。
青空に真夏の太陽が照りつける函館の街で、トラックから下ろしてもらったバイクは何事もなかったかのようにエンジンが掛かりました。
ポロポロとそれに乗って家に帰りましたが、嵐に遭遇して一夜を過ごしたことは幻にしか思えませんでした。
こっぴどく怒られるかと思いましたが、どこの親にも一言も叱られませんでした。
あまりにイレギュラーな事件だったので、親たちも叱るタイミングがつかめなかったのかもしれません。
え、ツルサワはどうしたかって?
それがまったく記憶にないんですよ。
結局朝に合流したものか、彼を置き去りにしたものか?
その後大問題にならなかったところを見ると、親たちを待っている間に、彼は戻って来たのでしょうね。
流失した借りもののテントも弁償したんでしょうね。
けど金払った記憶がない。
やはり行政の管理が行き届いていない場所での行動には、大きな責任がついてまわり、それは高校生にとっては大きな枷となるということを改めて教訓にした夏の日でした。
しかし、17の夏は無敵です。
そんな痛い思いをした翌週、今度は自分の高校のクラスの仲間たちと(担任の先生も一緒に)今度は松前町の折戸浜キャンプにいそいそと出かけた私でした。
今度は女の子もいたんだよ〜!
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