鈴の鳴る夜は その1




♪ チリーン

上七軒のお茶屋さんに泊まっていた先生とゆうていたお客はん、
それはお医者さんやったんか、何をしてはったお人かしりまへんが、みな先生先生と呼んではりました。

鈴子さんという芸妓はんがお好きで、いつもお座敷に呼んでいやはりました。

鈴子さんいう人は、その名の通り、いつも綺麗な鈴を帯から吊るしてはって、歩くたびにチリーンチリーンと可愛らしい音を響かせておったんどす。

写真はお借りしました


丁度大晦日の朝どしたので、泊まってはりました芸妓さんもお正月の髷を結わんなりまへんので、
サイナラと二階の階段を降りようとしたら、先生は「一寸お鈴」と呼ばはったので、「ヘイ何どす」と下りかけた足を一、二段戻らはった時、手に持っていやはった刀でサッと斬らはったのどすテ。
そらえらいことどした。

振り向いたところを袈裟斬りに斬られた鈴子さんはもんどりうって階段を転げ落ちはったんどすけど、刀の勢いで帯に挟んでいた鈴の下げ緒もプッツリと切れて、
小さな鈴がチリンチリンとこれも階段を転げていったんやそうどす。

♪ チリーン

アタシよう知っていますので怖いもの見たさにそこに行きました。
その時鈴子さんを駕に乗せて行かはりましたのがいつまでも目に残っています。
この頃はまだ自動車はおへんどした。
何で斬らはったのやら、ただ好きで好きでかなはなんだのやそうどす。
一寸でも別れるのがかなんのどしたのどすやろナ。
鈴子さんは何んにも知らずに殺されやはったんで可哀想なことどした。
その斬った先生は精神何とやらで無罪にならはったそうどす。

それからというもの、そのお茶屋さんの階段の壁には、洗っても拭いても鈴子さんの血潮がべっとりとついて取れず、左官屋はんに塗り直してもろうてもいつしかまた血の色が浮いてくるようにならはりました。

誰もおらんはずの二階からチリーンチリーンという鈴の鳴る音を聞かはった人もようけおりました。

その後長い間にそんな話も薄れてしまい、お茶屋さんも人手に渡って、今は繊維会社の建物が建ってはります。
イエ、今はそんな話も、血の出ることなんどきいたことはおへんけど…

♪ チリーン


「っていう話があるんやけど、知らんやろな?」

私がそういうと、黙って聞いていたK君とS君はブルブルと首を横に振りました。

「松島さん何だってそんな怪しいハナシ知ってるんですか?」
「俺、サークルで京都の伝説や怪談を調べてるんや」

今から40年以上前の、我々の暮らしていた下宿。
K君S君は春に入学したばかりの1回生。
私が3回生の晩秋の夜。
珍しく私の部屋に二人がやって来て、何か面白い話はありませんか?と奴らの方からねだったので披露しただけです。

「どや、上七軒ったら天神さんの裏抜けたらすぐや、これから行ってみよか?」
私の提案に
「ええ〜、これからですかぁ?」
ビビリなSが躊躇します。
「まだ10時前やんか、オモロイちゃうんか?」
高校時代は柔道部だったというKは乗り気です。

「お前ら知らんやろうけど、紙屋川あたりは紅葉が綺麗やで、暗い中で街灯に照らされるのんも風情や。ま、夜の散歩やと思って行ってみようや」
道産子の私ではありますが、この頃は関西弁にもすっかり慣れておりました。

ぐずぐずするSを2人ではやし立て、寒くないよう身支度を済ますと、月明りの照らす路上に出ました。
あるいはSは古びた下宿に1人残されるのが嫌だったのかもしれません。

私たちの下宿から、歩いて5分ほどで西大路の平野神社です。
その境内を抜けるともう目の前は太閤秀吉の作った御土居のある紙屋川。
北野天満宮の黒々とした森が広がっています。
天満宮の先に京の西の花街上七軒があります。


しかし、上七軒にたどり着く前に、S君とK君は寒空に髪の毛が逆立つような体験をすることになるのでした。

♪ チリーン 続く

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