臓腑(はらわた)の流儀 碧梧桐(みどり)の涙 最終回
こうして紅陽祭は成功裏に終わり、あとは季節は冬に向かってまっしぐらに進んで行き、アタシたち3年生はいよいよ受験に向けての臨戦体制に入って行きました。とはいっても、その前に翌月に迫った期末テストと二2学期の終業式が控えていましたし、アタシたち4役はその前に離任式も予定されていました。
いろいろあった半年間でしたが、良き仲間に恵まれ、全力を出し切った紅陽祭が最後の晴れ舞台となったような感じでした。
そんな中、紅陽祭の人気投票の集計が終わり、選挙管理委員会からその結果が模造紙に書き出されて体育館に貼り出されました。
上位3位の結果だけをお伝えすると、
第3位 郷土史研究部による迫館と鮫田の歴史展示
第2位 吹奏楽部によるステージ演奏、今年度吹奏楽コンクール出場曲、課題曲「フェリスタス」自由曲「エルザの大聖堂への行進」
そして栄えある第1位は、紅陽祭実行委員会によるアラビアン・ナイトに決定しました。
もちろんアタシたちの喜びようと言ったらありませんでした。
そして結果発表から2日後の放課後を利用して表彰式が行われることになりました。
3位の郷土史研究部は全員がステージに上がって孝一郎君が賞状を授与しました。
しかし贈呈役の孝一郎君自身が、1位受賞のメンバーとして、シンドバッドの衣装のままでしたし、普段ならこういう時の司会を務めるはずのみども優勝の受賞者代表として賞状を受け取る手筈になっていて、あのシェエラザードの衣装に身を包んでいましたので、事前に打ち合わせをして、表彰式の進行と成績発表は放送部で放送委員でもある小山靖子さんが代行しました。
2位、準優勝は妥当に吹奏楽部でした。彼らはステージ下にスタンバイして、部長の柳田君が孝一郎君から賞状を受け取ると、木村先生の指揮の元、コンクール課題曲のフェリスタスを再び演奏しました。アップテンポで軽快な響きが体育館にこだましました。
菊田さんはバドルウルバドゥール姫の扮装のままクラリネットを吹いていました。
彼女はこのあとすぐに壇上に上がって、アラビアンナイトの一員として整列しなければなりませんでした。なんとも慌ただしいことです。
そうしていよいよ優勝のアタシたちの番です。
小山さんがスタンドマイクに向かい
「優勝は紅陽祭実行委員会によるアラビアン・ナイトです!」という声と共にアタシたちはステージに上がりました。
40人の盗賊(実際には紅陽祭実行委員の20人程度でしたが)をすべて上げるわけには行かないので、そこは申し訳ないけど澤村さんに代表を務めてもらって、あとは4役の残る6人と、山本君と木田君の都合9人です。
授与者は依然として孝一郎君ですが、賞状を受け取る役のみどはステージの袖にいて、体育館にひしめく生徒たちからは見えない位置にいました。事前になにやら孝一郎君と打ち合わせていたようです。
やがて孝一郎君が舞台下に向かって合図をすると、木村先生の指揮棒が再び振り下ろされました。
なんと、吹奏楽部はペルシャの市場にてを生演奏し始めたではありませんか⁉︎
後で分かったことですが、これはこの日のあるを見越して菊田さんが木村先生に提案して、練習を重ねていたんだそうです。仮に入賞しなくても、レパートリーが増えるので菊田さんも木村先生も納得ずくのwin-winだったということです。
開会式の時はレコード音源でしたが、生演奏の迫力に乗せて舞台袖からみどが再び妖艶な腰振りでステージ中央に躍り出て来ました。
それは緊張していた開会式の時よりも一層艶やかで艶めかしい中東の舞踏でした。
体育館はまたしても割れんばかりの歓声と拍手に包まれました。
いいタイミングで木村先生が演奏をフェードアウトさせて、ようやく孝一郎君が表彰状を読み上げ、それをみどに手渡しました。
実のことをいうと、表彰状の宛名と本文はアタシが墨書したの。
アタシもなんだか晴れがましい気持ちで中央の二人を見つめているとみどが、
「ありがとう会長!でも今日はエメラルド持って来なかったの。もう怖くって!」
と、小声で申し訳なさそうに言うのが聞こえました。
すると孝一郎君がもっと小声で
「心配ないさ。素のままのみどは人造宝石よりずっと美しい!」
と言いました。
ひゃあ〜っ!コイツ大人になったらどんだけ女垂らしになるのかと思ったわ。本当よ。
けど、それを聞いてみどの目からはまたしても碧色に光る涙が滲んだように見えました。
表彰式の間、平君は鷺舞先生にカメラを預け、自分たちの晴れ姿を撮影してもらっていました。鷺舞先生は慣れぬ手で必死に臨時カメラマンの役を務めていました。
その2日後、いつものように放課後生徒会室に集まったアタシたちに向かって孝一郎君がこう言いました。
「今日は菊田さんと澤村さんの会計2人に、紅陽祭期間中に掛かった経費の精算をお願いしたい。
確かその都度レシートをもらって来てもらって、ノートに記入していたはずだから、そのチェックをするだけだと思うけど、正確を期すためにも2人体制でお願いする。こんな計算業務的なことは理系の平に任せても良さそうなものだけど、そこは一応役職区分だ。
澤村さんは珠算部だから暗算でも可能なのかな?数字にはからきし弱い俺にはお手上げだし」
そう言って笑いを誘った孝一郎君は続けて、
「2人の集中に水を差してはいけないから、あとの皆んなは第二理科室に来てくれないか?先日の写真を平がスライドにして来てくれたからそれを見よう。ああ、2人には改めて見せるから心配しないで……」
そう言って先に立って生徒会室を出て行きました。
アタシたちはゾロゾロとそれに続きます。
2階に行く階段の前で孝一郎君が振り返って、
「ああ君たちは先に行っていてくれ。平、準備は頼むぞ」
そう言って一人廊下をまっすぐ先に進んで行きました。
アタシたちが第二理科室に入ってみると、正面にはスクリーンが降ろされてあり、OHP(オーバヘッド・プロジェクター)と、スライド上映機の準備がすでにセットしてありました。
平君はスイッチを入れて。スクリーンに明るい光が投影されるのを確認していますと、スクリーンの上のスピーカーから孝一郎君の声で
「鷺舞先生、鷺舞先生、いらっしゃいましたら至急第二理科室までお越しください」というアナウンスが聞こえました。どうやら職員室まで先生を探しに行ったものの不在で、またマイクを使って校内放送で呼び出しをかけたようです。
やがて二人揃ってやって来ました。
「おう、何だ何だ、お前たちにはいつも驚かされるな?仕事熱心なのはいいが、もうそろそろ任期も終わりに近づいているんだし、受験だって、期末テストだって近づいて来ているはずだ。まぁお前たちは優秀らしいからそんなに心配はしていないのかもしれないけどな」
「いや先生違うんですよ。僕たちも任期の終わりが近いからこそ、この辺で片付けておかないとと思ったのです」
「片付けるって何をだ?」
先生の語気が荒くなって来ました。孝一郎君は平然とした顔をしています。
平君も孝一郎君と意思は通じているようですが、みども野添君も唖然とした顔をしています。多分アタシはもっと情けない顔をしていたと思うわ。
「もちろん怪盗Xとやらによる一連の盗難事件です」
孝一郎君はそう言い放ちました。
「何だと!水島、お前の頭が切れるのは認めるが、それは一般の中学生に比べたらの話だ!呑気に探偵ゴッコなんかをしているヒマや余裕なんてないはずだぞ!お前らは受験生であることを忘れるな!ああ、野添は違ったけどな」
普段アタシたちには優しい鷺舞先生が本気で怒っているようでした。これが噂に聞く鬼の鷺舞なのでしょうか?アタシには孝一郎君の考えていることがわからず、ただひたすらに困惑して恐ろしくなってしまったのです。チラと見るみども困惑しているのが分かって少しだけ安心しました。アタシだけじゃないんだ。
「そうです。野添はそういう意味では僕たちと立場は違うかも知れません。けど彼を外すことはできないのです。野添、みどのエメラルドを盗ったのは君だね?」
孝一郎君の一言にその場は凍りついたようになりました。
「ええっ‼︎」
みどが引きつったような声を上げました。
「野添が桑坂の宝石を盗ったというのか?証拠はあるのか水島、証拠も無しに人を告発して間違えましたじゃ済まんのだぞ‼︎」
鷺舞先生は孝一郎君に詰め寄らんばかりにそう言いました。完全に大人の教師の迫力です。
「証拠というと、状況証拠しかないわけですし、僕も仲間をこんな形で告発するのは気が引けました。でも僕たちはあと数ヶ月で卒業しますが、野添はまだこの学校に残ります。おそらくは来年度も今会計業務をやってもらっているあの二人と共にこの紅陽会を背負って立つことになることでしょう。そんな彼に正せるものは正して傷は小さくしておきたかったのです」
「か、会長……」
大男の野添君が膝を屈するようにして震え始めました。
「だいたい、最初から認めたくはありませんでしたが、みどさんのエメラルドの盗難に関してはどう考えても生徒会室内部の事情を知っていて、しかも当日の僕たちの複雑な着替えの行動パターンを認識している人物の仕業としか考えられなかったのです。
生徒会室に四役専用のロッカーがあることなんて一般の生徒は知らないことですし、さらに7個のうちのどれをみどさんが使用しているなんてことは僕たち以外には知りようがありません。しかも生徒会室は無人の時は常に施錠することになっていて、その鍵も僕たち四役しか持っていません。
3年の中田や塚田たちが妙にみどさんのことを伺っていましたが、思春期の男子でみどさんのあんな姿を見せられたら誰だってメロメロになります。しかし以上の理由で奴らにエメラルドを盗む機会も動機もありません。」
「ちょっと待って会長、その動機よ!私にはまだ野添君がやったなんて信じられないけど、どうして会長は彼がやったと思ったの?そしてその動機は何なのよ?」
みどが悲痛な声で叫ぶように言いました。同じ副会長という立場で野添君と共に支え合って来たつもりだったのでしょう。
「端的に言うと、あの事件から野添の行動がやけに積極的になったことに違和感を感じたんだ。」
孝一郎君がそういうと、アタシはなんだか腑に落ちた気がしたわ。そういえば鷺舞先生を呼びに走ったのも、不在とみるやすぐに自分で校内放送をかけたことも、そして生徒玄関で塚田真司に絡まれた時も果敢に行動したことにも驚いたことを思い出したの。
「何よりも決定的だったのが、彼がエメラルドを取り戻した本人だったということだ。自作自演ほど簡単なことはない。君はいつか自然にみどの手に戻るよう常に持ち歩いていたんだろう?僕も互いのロッカーの中は確認したが、身体検査には考えが及ばなかった。気がついた時にはそれを改めてやることは不自然だった。いずれ君がみどに返すことになると思っていたからね」
「じゃあ動機、動機っていうのよね?よく刑事ドラマなんかでやっている!」
アタシもつい口を挟まずにはいられませんでした。
「一言で言ってしまえば嫉妬だな!」
孝一郎君はそう言いました
「立場は同じ副会長なのにどうしてもみどの方に注目が集まる。自分自身に実力も魅力も備わっていると考えがちで、実像以上に過信してしまう。いわゆる中2病そのものだな。僕も決して差別するつもりはなかったけど、やっぱり惚れっぽいから野添よりもみどやデコに声をかける方が多いし、馴れ馴れしく接してしまう。そしていつか平も言っていたがみど自身の誰に対しても年長のような姉のように振る舞うその優しさの前にその巨きな身体の中に劣等感も同時に芽生えたのだろう。その過信と劣等感が強烈な嫉妬をみどに対して持つようになったんだと思う。ましてあの中学生とは思えない妖艶なベリーダンスを見た後だ。たったのひとつしか歳の差はないのに、とんでもない実力差を感じてしまったんだろう?」
「そんな、私は野添君を傷つける気持ちなんて無かった。彼より優秀だと思ったこともなかったの。それどころか2年生ながらよくやってるって言う感心してたの。私なんかより会長の良きパートナーだなぁって思っていたのよ。」
孝一郎君とみどがそこまで言うと野添君は肩を震わせて泣き始めました。
「ウッウッウッ……お二人のそんなところにどうしても自分が追いつけない悔しさを感じていました…
みどさんはいつでも本当にみんなのお姉さんのようで包容力がありました。会長がどんなに際どいことを言ってもそれをさらりと受け流す能力はとても中学生の女子とは思えませんでしたし、その会長もどんな時でもその場での受け答えがサマになりすぎていて、副会長として隣で勉強させてもらっていましたが、自分はとてもこんな人にはなれないと絶望的な気持ちにもなりました……」
「ありゃあ、俺にも責任の一端はあったのかい?こりゃ参ったなぁ!」
野添君のいう、孝一郎君の当意即妙のセリフが飛び出しました。じっくり考えてから物を言えばいいのに、打てば響くように出来すぎの答えが飛び出して来るから、野添君のように自信をなくす後輩も出て来るのかもしれないわね。しかしそう言う意味では孝一郎君とみどはまさにお似合いの二人だと思うし、それをセットにして嫉妬を感じていた野添君の感受性も間違ってはいないとアタシは思ったわ。
「付け加えていうなら、野添は金が欲しくてこれを盗ったわけでもありませんでした。
みどのエメラルドはお父さんが安物だと言った人工エメラルドであることはみど本人の口から聞いていたのはこれも限られたメンバーだけでしたし、大体中学生の野添がそれを換金する手立てもないはずです。まぁざっくり考えて、こういう物は質屋に持ち込むのが定番なのでしょうが、僕も質屋のシステムはよく知りません。物品を質草として預けて、金銭を借りるという形態なのでしょうが、おそらく身分を証明するものが必要になると思いますし、いくら野添が大男だと言ってそのまま大人として商売人の目を素通りできるとは思えません。結局僕たちは未成年の中学生、世間的には子どもです。つまりこの盗難劇は友人同士の間でのいたずらだった。そう僕は思うんだがどうだろう?これについてはあらかじめ平にも了解してもらっていた。あとは被害者のみどの意見がまず尊重されると思うが?」
「もちろん私に異存はないわ。野添君のそんな感情に気づいてあげられなかった私にも落ち度はあるんだし、何よりエメラルドが戻って来たのだから私には何にも言うことはないわ」
「ゆ、許してもらえるんですか……」
野添君は鼻水をすすりながらそう言いました。
「だから野添、勘違いするな、これは犯罪ではなくいたずらなんだって水島は言っただろう?」
こう言ったのは平君でした。
「せ、先輩……」
野添君の声はまた嗚咽に変わりました。
「デコはどう思うんだ?」
「アタシ?アタシにはもちろん言うことなんてないよ!それにしても孝一郎も平君もさすがにいいとこあるわね!あっ、もしかして、菊田さんと澤村さんに仕事を与えてここに呼ばなかったのは。この話を聞かせたくないからだったの?」
アタシのその問いに孝一郎君は
「だから、野添は当人だったから仕方ないけれど、あの二人には来年以降も紅陽会を引っ張って行ってもらわなければならないんだ。それは僕たちが卒業した後に野添たちにがんばってもらわないとならないことだからね。来年野添がそれとなく彼女たちに打ち明けて相談すればいい。あの二人は野添を見捨てることはないし、それどころかより野添を盛り立てると思う。
「か、会長、貴方って人はそこまで先のことを読んでくれていたんですね……」
収まりかけていた野添君の嗚咽がまた強さを増したようだったわ。
「ああ、わかったわかった。前言撤回だ。いやはや恐れ入った。水島、さっきは探偵ゴッコなんて失礼なことを言ってしまった。お前や桑坂、平や諸住の心意気はよくわかった。お前たちは本当にいい仲間だなぁ!近年の紅陽会でこんな素晴らしいチームはなかったぞ」
鷺舞先生が感に耐えたように言いました。先ほどまで孝一郎君をひどく怒っていたのに、綺麗さっぱり態度を改めるなんて鷺舞先生も立派だと思ったわ。
「野添、お前もいい先輩を持って幸せだなぁ!お前も来年は3年生で正念場だ、先輩たちの意気を忘れるな!」
「はい、わかりました。力及ばすとも努力します。」
野添君はようやくのことにそう言いました。
「さて、一件落着か、ご苦労だったな。」
鷺舞生生がそう言うと孝一郎君が
「いや、先生落着させるのはこれからが本番です。」と言いました。
「どう言う意味だ水島?」
「だって矛盾してますよね、野添が怪盗Xであるわけがない。」
「野添君はXを追っていたんだからね!同一人物であるはずがない」
平君もそう付け足します。
「そもそも一連の盗難事件は吹奏楽部の札幌遠征から始まったことは先般確認済みです。札幌に行かなかった野添がXであり得る余地はありません。」
「ちょっと褒めると調子に乗るってか水島、改めて探偵ゴッコをやろうってのか?」
「はい。怪盗Xは鷺舞先生、アナタです。」
アタシは電光に撃たれたようなショックを感じました。みども同じように立ちすくんでいました。
泣き崩れていた野添君はゆっくりと首を起こしました。
鷺舞先生は顔を真っ赤にして今度は本気で怒鳴りました。
「いい加減にしろ水島、図に乗ると許さないぞ! それもいわゆる状況証拠ってやつだとでも言うのか?」
先生はこんな時でも手放してはいなかった白木の棍棒を孝一郎君の目の前に突き付けました。
「確かに状況証拠は満たしていますね。先生はあの時の札幌遠征に生活指導部顧問として同行しています。
犯人の要件は満たしているわけですね。
しかもこの生活指導部というのが恰好の隠れ蓑にもなっている。生徒の持ち物検査をする特権も持ち合わせている。巡回と称して放課後の教室をあちこちと歩くことも自由にできる。
男子バレー部の野添が懸命に駆けても追いつかなかったのは、先生、貴方が学生時代陸上競技の短距離選手だった名残りでしょうし、いつも着ているその黒い上下のジャージが、魔法使いの黒マントに包まれることで、保護色の役目を果たしたんでしょう?
アラビアン・ナイトの仮装をした男子の中で唯一山本豊信だけが、学生服の上下でした。他は皆実行委員が作ってくれたカラフルな薄物のベストを着ていました。はからずも魔法使い役の山本に見誤られる結果にもなったのです」
「ふん、さっきはお友達同士のいたずらってことで、状況証拠だけでうまく話を決め込んだようだがな孝一郎、大人相手ではそうはいかないんだ。お前はこれだけで教師を告発しようという気じゃないんだろうな?」
鷺舞先生の怒気は天を突くようでした。
アタシはいつ先生がその棍棒で孝一郎君に殴り掛かるかそれだけを心配して必死の思いで2人を見つめていました。
しかし孝一郎君はやはりこんな時でもやたらと大人びた口調で言いました。
「先生、アナタこそ、僕たちが中学生だと思って甘く見てくれては困ります。物的証拠があるとしたらどうしますか?」
「ぶ、物的証拠だと⁉️」
「よし平、始めてくれ」
そう孝一郎君に言われて平君は正面のスクリーンの左右の壁の暗幕を掛けました。
続いて平君は先ほどテストをしたスライド映写機のスイッチを入れてスクリーンに明るい灯りを点しました。
「会長いいよ!」
「さて鷺舞先生、先生は当然ながら指紋のことはご存じですね?これだけテレビドラマなんかでミステリー物が溢れている時代です。警察、正しくは鑑識ですが、現場から採取した指紋を照合することによって犯人の特定に繋がることを」
「な、何を言ってるんだ、それを中学生のお前たちが出来るとでも思っているのか?」
「おや?出来ないとでも思っているのですか?」
孝一郎君がそう言うと平君が1枚のスライドをスクリーンに投影しました。
よく刑事ドラマで見る指紋の写真でした
「これが平のカメラがXによって持ち去られようとした時に奴がステンレス張りの机の上に手を付いた場所から採取した指紋です。
意外に思うかもしれませんが、先ほどの状況証拠から僕と平は先生に疑惑を持っていたのです。
それでいわば罠をかけたのですね。平は毎日何度もカメラを置いてある卓のステンレスをアルコールで綺麗に拭った上で、科学部のメンバーには絶対にそこに触れないようにお達しを出しておきました。中学生の科学技術で指紋検出が出来るかという実験だとメンバーには告げたのです。カメラはいわば囮でした。まさかあんなドンピシャのタイミングで僕たちとXがここで鉢合わせするとは思ってはいませんでしたが、平は仮にカメラは持ち去られてもいずれどこかからか出て来ると確信していたのです。
それより僕たちに幸運だったことは咄嗟のことで驚いたXはその場にカメラを置くと素手をステンレスの天板の上に置いたのです。くっきりと右手の親指の痕が残りました。そこに体育館の用具室の中に置いてある白線引きから少量の石灰をくすねて来て、デコからわけてもらった未使用の小筆の穂先をほぐしてそれに石灰を含ませて指紋部分に叩きつけるようにして散布した後に息を吹きかけて石灰を吹き飛ばします。そうすると実際の指紋部分の皮脂だけに石灰が付着します。そこにセロファンテープを貼ってそれを反転させて接写したのがこのスライドという訳です。
原理を知れば特に科学部員で写真館の倅である平に接写写真を撮影するのはさほど難しいことではありませんでした。そして先生、こちらが鷺舞先生その人の右手の母趾紋の写真です。」
孝一郎君がそう言うと平君がスライドを入れ替えます。先ほどとは明度が違ったような写真がスクリーンに映し出されました。
「あ、先生の指紋は先日乾杯したジュースのコップから同様の手順で撮らせていただきました」
ああ、あの時孝一郎君がアタシに使い終わったコップを洗わせなかったのはこういうことを狙っていたのね。アタシが知らずに先生の指紋の付いたコップを綺麗に洗わないようにあんなことを言ったのね。それを孝一郎君の優しさ、善意と勘違いしていたなんて、野添君じゃないけれどやっぱりアイツには敵わないわ。
「さて先生、ここからは平写真館の平のお父さんに協力を仰いだそうです。やはり中学の科学部レベルで指紋の検出が出来るか検証しているということで平がお父さんに協力をお願いして作ってもらったのがこちらです」
孝一郎君がそう言うと今度は平君はOHPのスイッチを入れて、その上に一枚の指紋がプリントされたシートを置いてスクリーンに投影しました。そしてそう上からもう一枚のシートを重ねて2枚を慎重にずらして動かして行くと、素人目にもその2枚がぴったりと重なったのがわかったのです。
「どうです先生、これが物的証拠だと言うのです」
鷺舞先生の手から棍棒が転げ落ちてカランという音を立てました。
先生はガックリと肩を落として机に突っ伏しました。
「お、俺をどうするつもりだ…?」
「どうしましょうね?先ほど先生もおっしゃったように野添の場合と違って、仲間内のいたずらで済ませるわけには行きません。先生はご立派な成人ですしね。
だからといって、偉そうに講釈しましたが、たかが中学生が図書館の百科事典から得た程度の知識で採取した指紋に法的な証拠能力があるとも思えません。
でも、先生は病気、クレプトマニアと呼ばれる窃盗症ではないかと僕は思います。もちろん貧の盗みであるわけはありません。必要のないものでも盗らずにはいなれなくなる精神的な疾患だそうです。元からそのような症状があったのなら同僚の先生たちが気づかないわけがありませんし、生活指導部の仕事を任されるはずもありません。何らかの事情で札幌に行った時に突然始まってしまったのではないでしょうか?もちろん盗ったはいいけど本人にとっては不必要な物ですからほとぼりが冷めるのを待ってまず吹奏楽部の財布をこっそり職員玄関に置きました。おそらくそれからはご本人は苦しまれたのでしょうが、わかっていても止められなくなったのでしょう。やがてそれが快楽に繋がって来もするし、中学生の子どもは怪盗Xなどという大層な名前を付けてもてはやす。1番苦しかったのは先生自身だったのかも知れません」
「会長、先生も見逃すんですか?」
「まぁ、教師という立場もあり、責任能力という点から言っても、その罪の重さは野添、お前に比べると計り知れない物がある。でもな、お前を許して先生を許さないという訳にはいかないだろう?」
孝一郎君は落ち着いた声でそう言いました。
「まぁここは先生の責任において判断はお任せします。もちろん僕たちの主張を警察に訴え出たところで相手にされないのはわかっています。でもこれらはいつでも校長先生に提出する用意はあることにしておきますし、今度はそう簡単に発見されるところには隠しません。ああもちろん僕たちが卒業するまでの間ですよ。それよりも病院に行って治療を受けられた方がいいと僕は思いますけどね。病気のせいであって、先生が本当の意味での盗人だとは思っていませんから。
というわけで、今度こそ一件落着と行きましょう」
そんな孝一郎君の思いやりに満ちた一言で本当にこの件を含む紅陽祭に関わる出来事は全て幕を閉じ、アタシたちは12月の離任式と役員改選。そして受験と卒業を待つばかりと思っていたわ。まさか最後にあんな悪夢が控えていようとは誰だって想像もつかなかったはずよ。
それは2学期の期末テスト当日、12月7日の未明のことでした。本校は突然火災を起こして一線校舎の半分とニ線校舎のすべてをを焼き払ってしまいました。もちろん第二理科室や生徒会室、図書室なども跡形もありませんでした。
出火の原因は最終的には不明でしたが、火元は一線校舎1階東端の保健室らしいということが現場検証で明らかになり、侵入してベットで寝ていた浮浪者の寝タバコの不始末ではないか?という結論に達したようでしたが、最後まで疑問が残りました。放火説も根強かったのです。
朝登校したアタシたちは真っ黒に焼けこげた校舎を見つめ呆然とするだけだったし、思わず泣き出す女子生徒なども何人もいましたが、生徒会長の孝一郎君は家が学校と同じ町内ということもあり、早朝に学校から呼び出されて、校長先生や教頭先生たちとも話し合いを持ち、生徒が登校してグラウンドで緊急臨時生徒大会が開かれた時にはマイクの前に立ち、原稿も無しで堂々たる振る舞いで「全校一丸となってこの困難を乗り越えよう」とスピーチして、それは取材に来ていたローカルのテレビニュースでも新聞でも取り上げられていたわ。
また日を別にして、放送部の小山靖子さんがお昼の校内番組で、火災に遭ってしまったこれからの生徒の心の持ちようを感動的なスピーチにまとめ上げ、それを放送したことが校内で評判になり、さらにNHKの迫館放送局がその音源をラジオで流したものですから彼女はすっかり有名人になってしまいました。
そうして本来なら12月で役員改選があってアタシたちは離任式を迎えるはずだったのだけど、この火事騒ぎで、3学期までの役員期間延長になってしまったわ。特に2学期中は迫館市内の他の中学から援助物資が届いたり、臨時の鮫田地区中学ブロック会議などが開催されたりしたので、アタシたちはまた目の回るような忙しさだったわ。
そしてようやく年が明けた昭和55(1980)年1月31日木曜日、紅陽会役員の改選選挙が行われ、会長に野添文憲君、副会長に菊田純子さんと澤村恵子さんが選出されたわ。彼らは学年を跨いで、6月まで前期役員として紅陽会のために働くことになったの。
さらに3学期の終了に併せて、鷺舞先生が依願退職をされたわ。原因は不明ですが、おそらく先生なりにいろいろ悩んだ果てのことだったのでしょう。
そしてアタシたちは3月に柳野中学校を卒業してそれぞれの道に進んだわ。
孝一郎君は私立の進学校である迫館ル・カーレは落ちたものの、公立の伝統校で旧制迫館中学であった迫館中央高校に合格し、みどはやはり公立の迫館東照に進みました。平君は予定通り迫館高専に入学しました。
え、アタシですか?
アタシは皆んなと違ってやはり公立の西稜高校に落ちてしまい、私立三愛女子校に進みました。
実はこの高校はカトリック系の学校で、父は
「日蓮宗の寺の娘がカトリックなど何事だ!」
と言って怒っていたけど、アタシだって好き好んで公立に落ちたわけではないことを説明すると父もわかってくれたの。
そしてこの高校では何とあの小山靖子さんと一緒になったの。彼女は高校に入ってから、というよりあの柳中の火事での感動的なアナウンス以来ものすごく積極的になって、高校時代にたまたま見学に行った霧山透主演の映画「出港」のロケで、金子健二監督に見初められていきなりエキストラ出演ながらスクリーンデビューを果たしたばかりか、学校が離れ離れになって孝一郎君のことはキッパリと諦めがついたのか、英語講師のサム・ピーポディ先生に熱愛になってしまったりしたんだけど、それはまた別の話よね。
ともかくこうして別々になってしまったアタシたちだけど、卒業後も何度かは市内の喫茶店に集まって情報交換していたわ。
平君は高専が面白くて仕方ないみたいだったし、将来はやはりお父さんの写真館を継ぐって言ってたわ。
孝一郎君はともかく中央の授業について行くのに精一杯で、学校は何にも楽しくないって言ってたわ。あの中学の時の強気な彼の面影は薄れてしまったみたいだったわ。でも高校を出たら京都に行きたいとかって言ってたわ。まぁ彼のことだから自分の欲しいものは手に入れると思うわ。
みどは高校でもバスケに夢中のようね。孝一郎君が
「彼氏はできたのか?」って聞いても笑って首を振るばかりなの。アタシその時になってようやく気がついたんだけど、誰にでも優しくて皆んなのお姉さんみたいなみどは案外恋愛下手なんじゃないかしらって。それが逆に誰からも受け入れられる母性のようなものに昇華したんじゃないかしら?
「そうか、じゃあみどはまだ処女なわけだ」
孝一郎君があからさまにそういうと、みどはフルーツパーラーの中で大声で
「馬鹿ぁ!」
と言って、孝一郎間の肩を思いっきり叩きました。
こんなことなら中学の時に思い切って孝一郎君にアタックするかされるかすれば案外丸く収まったんじゃないかって他人事ながら思ったの。
それよりアタシたちのこんな穏やかで楽しい関係はいつまで続くのかしら?孝一郎君が迫館を去って京都に行ってしまうまでかしら?まぁなるようになるわね。
完 ©️松島火山 2024.10