臓腑(はらわた)の流儀 龍の鱗 その1

その男が迫館市さこだてし柏葉町の加賀谷圭介邸のドアホンのボタンを押したのは、この北国の港町にも薫風のそよぐ6月中旬の金曜日の夕方4時頃のことであった。

 経営するクラブ「アンバサダー」にこれから出勤するため、ママのミッキィこと加賀谷美樹はまだ在宅していたが、その日は社交ゴルフで市内のクラブで朝からラウンドして来た夫の圭介も帰宅したところだった。圭介はクラブハウスのシャワーが嫌いで、家の風呂でじっくりと汗を流して、これからタクシーでゆっくりと湊町横丁のスナック「朋」に向かう支度を整えているところだった。
 迫館を代表する土木建設業者であり北のトランプとまで称せられた加賀谷組建設株式会社代表取締役社長である圭介が長い夜を過ごす場所としては、場末のスナックである「朋」はいささか役不足の感は否めないが、この店を任せてあるママの朋子がもう何年も圭介の愛人なのだから仕方がない。美樹はそう思っていた。

 夫婦仲はとっくの昔に破綻している。その代わり、美樹自身もその前年から、夫の圭介共々中学時代の同級生であったアメリカ帰りで迫館で探偵事務所を開業した水島孝一郎とその開業時の事件以来深い愛人関係になっているのだから人のことは言えない。
 逆に圭介にしても旧知の孝一郎が美樹の相手であることに安心と満足を覚えて、この歪さが全くない正三角関係は順当に継続されていたのであった。

 突然のドアホンの音に美樹がモニターに出てみると、作業服を着た男が深々と頭を下げていた。
「会社(加賀谷組)の人かしら?」
と訝る美樹に男は意外なことを告げた。
「すみません、奥さんですか?突然申し訳ないんですが、庭石を運ぶトラックが故障しちゃって、
 丈山渓温泉のホテルまで運ばなきゃならないんですが、今日中には無理なので、急いで車を直しに行って来ますので、一晩庭石をお宅の庭先に置かせていただくわけにはいかないでしょうか?」

 突然のことでミッキィは意味をつかみ兼ね、夫の方を振り返った。
「ちょっとアンタ、なんか明日まで庭石を置かせてくれないかって人が来てるんだけど、会社の人かしら?」
 「なんだぁ?そんな話知らんぞ。まぁいい、俺が出る」
そう言って圭介が玄関に向かった。
 興味を覚えた美樹も後に続く。

 柏葉町の閑静な住宅街の中に200坪の面積を誇る加賀谷家の敷地は市道に面して重厚な日本庭園を持っていた。2人が玄関から出てみると、その市道に沿って4トンのユニック車(トラッククレーン)が停められていて、その荷台には大きな庭石が載せられていた。
 「おお、あれは2トンはあるな⁉︎」
圭介がポツリと言った。

 薄汚れた作業服、作業帽の痩せこけた感じの貧相な男は帽子を取って二人に頭を下げて、
 「いゃあ、お忙しいところまことにすみません。私、頼まれてそこの湯の倉温泉の海峡館跡地からこの岩風呂に使われていた庭石を買い手の、丈山渓温泉の、新しくできるホテルまで運ばなきゃならないんですが、どうもエンジンの調子がおかしくて、なんとか電車通りからここまで入って来たんですけど、このまま峠越えで300キロ近く走ることはできないんで、トラックの修理の段取りは付きましたんで、もしよろしかったら、この結構なお庭先に一晩だけこの石を置かせていただくわけにはいかないかと思いまして……」
「ああ、いいよ」
 男に最後まで言わせないうちに圭介は鷹揚なところを見せた。
 「海峡館さんなぁ、この温泉街でも老舗だったんだけど、潰れてもう何年になるかなぁ。俺も手を出そうかと思ったこともあったんだが、いよいよ取り壊しが決まったのか?こんな石でも転売先が決まってよかった」
「へ、ご主人お詳しいですな?」
男は訝しげにそう言った。
「俺は加賀谷圭介。加賀谷組土建の社長だ!」
男は恐縮した顔でさらに頭を下げた。
「それは知らないこととはいえ大変失礼をいたしました。私は秋田県の造園屋からの依頼でして、小西と申します。」と言って免許証入れから名刺を出して圭介に渡した。彼は受け取ったが見向きもしなかった。
 その替わり、見つめるクレーン付きトラックには秋田ナンバーが付いていて泥だらけの車体に「なまはげ運輸」という文字が読めた。

 「まぁそこは邪魔だから玄関脇にでも下ろしなさい。大層重そうだが、一人でできるのかね?」
「はい、それは大丈夫なんです。そのためのユニックですから…」
 小西は虚な笑いを浮かべて見せた。
 「それでは間違いなく明日までに引き取りにお伺いいたします。本当にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。社長さん、助かりました」
 再び深々と腰を折って頭を下げる小西に、
「まぁそう気にするな。商売のトラブルはあって当たり前だ。それなら俺も明日は家にいることにしとくよ」
 圭介は大物ぶりを崩さない。親子二代にわたってこの街で土建業と、地域経済崩壊後の商業地の地上げと再開発でのし上がった貫禄が彼にはある。
 クレーンで石を下ろすと小西はボスボスと異音を立てるエンジンを吹かして去って行った。

 玄関横,庭の入り口近くに安置された巨石は真っ黒でたくさんの六角形のブロックを積み重ねたような奇怪な形をしている。こんな物が海峡館の岩風呂にあったのだろうか?美樹は子どもの頃にテレビで見たガラモンという怪獣を思い出した。
 そして何という理由もなく家からスマホを持って来てその庭石の写真を撮った。

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