臓腑(はらわた)の流儀 忘却の仇花 その3

こうしてクラス会は本町のモツ鍋屋「モツ男爵」二階座敷にて開催された。会場には定刻の午後7時に全員が集合した。幹事としていち早く準備をしていたミッキィによると、なんと担任だった木下先生が一番乗りだったそうだ。
 俺は会場1階玄関前の歩道で、タクシーを降りたミッツこと佐賀光顕と鉢合わせした。
 医者らしく黒革の鞄を抱えていた。しかし今や総合病院の理事長であり市会議員も務める彼が、現在どれくらい医療の現場にいるのかはわからない。よほど暑いのか、しきりにハンカチで顔の汗を拭っていた。
「おお、ミッツ久しぶりだなぁ」
「水島か?懐かしい顔だ。けどお前ホントに俺たちと同い年か?えらく引き締まった身体してんなぁ!」
「医者の先生に褒められるとは光栄だな。お前とは中学以来だが、医者の無養生じゃないのか?大層な汗だが、どっか悪いんじゃないのか?」
 しかし佐賀医師は笑いながら、
「まさに医者が健康状況を注意されるとは恥ずかしい限りだが、幸い健康に問題はない。しかしこの暑さには参る。タクシーの冷房も物の役に立たん!なんか毎年暑さが増してないか?まるで本州並みだなぁ。まぁ俺は北海道しか知らんが。水島は大学は京都だったよな、西園寺大だったっけ?」
「よく知ってるな?」
「高校は別でもそのくらいの情報は入って来た。
京都か羨ましいな…」
「この時期の気温は37℃くらいになったぞ!」
「うわぁ〜!それじゃあ俺には耐えられん」
「けどお前はさすがだよ。ル・カーレ高からストレートで北大の医学部だ」
「おかげで北海道から出たことのない世間知らずが出来上がったってわけさ。それよりともかく中に入ろう、暑くて堪らん」
そうして俺たちは二人連れ立って二階に上がった。なんと俺たちが最後のメンバーだった。

 「おうおう、6年5組の龍虎、優等生二人が揃って遅刻じゃカッコつかないぞ!」
すでに一番遠い席に着いていたノブオから声が飛んだ。
「まだ7時3分前だ、ギリ遅刻じゃねぇぞ!」
俺は大声で憎まれ口を叩いた。
 「これで全員揃ったわ!ちょうどよかった。けどなぁに佐賀君、その汗。水浴びでもしたみたい。もう席は決まっているから、佐賀君、水島君、先生を挟んで座って!」
そうミッキィに急かされて、俺とミッツはそれぞれ分かれて着座した。
「先生、お久しぶりです。永年のご無沙汰申し訳ありません」
 如才のない医者は早速と木下先生に頭を下げた。
「ああ、佐賀君か。堅苦しい挨拶は抜きだ。今じゃ君なんかに頭を下げられる身分じゃないし。積もる話はあとあと。ああ幹事さんや、揃ったようだから早速始めてもらおうじゃないか?」
 その言葉を待っていたかのように仲居さんたちが、料理や飲み物を運んで来た。最初はミッキィが「生ビールの人?」など挙手を数えていたが、生ビールは全員分のジョッキと共に大きなピッチャーで次々と運ばれて来た。
「飲み放題のドリンクはメニュー表に記載されていますから、後は各自オーダーしてください。
 それでは乾杯のご発声を木下先生にお願いしますので、みんな飲み物を手にしてください!」


その先生の乾杯の発声で賑やかに宴は幕を開けた。
 それに続いて、席順に自己紹介と近況の発表が行われた。
 俺は大学卒業後渡米・留学し、その傍らフィラデルフィアで探偵助手をしていたこと、帰国後に京都で探偵事務所を開業し、2年前にこの街で支所を開設したことなどを簡単に述べて喝采を浴びた。
 小学校卒業以来44年。クラス会としてはこれが3回目の開催になるのだそうだが、44年ぶりの再会というメンツも多く、そこここで歓声が湧き起こった。ミッキィやヤッコたち幹事があらかじめ先生を上座に席決めをしていて、男と女が上手いこと配置されていた。

“ちょっとぉソコ、女子だけで盛り上がらないの!せっかくの席決めが意味ないじゃない。」
「おいおい久美子、女子はないだろ?元女子って言ゃあいいんだよ!」
「失礼ねジンったら!自分だってオッさんのくせに」
「でもねぇ、あの坊主頭のジンが、すっかり頭が薄くなっていて、なんか昔のまま歳とったみたい」
「まぁ俺だって苦労したんだよ」
 ずっと消息不明だった堀尾尽(つくすが帰って来ているという情報は、幹事を通じて皆に連絡済みだったと見えて、ジンはどの場面でも話題の中心になっていた。
「苦労って、ジン身体壊したっていうじゃないの。どうしたのさ?」
エアロビのインストラクターをしているという熊谷美恵子にそう詰め寄られ、ジンは小さな身体を一層縮ませながら、
「腰をダメにしたんだ。椎間板ヘルニア。タクシー運転手の宿命さ」
「そうなの。手術したの?」
「ああ、去年ね。でもあっという間に再発しちゃって困ってるんだ」
「そうなの。大変ね。それで帰って来たんだってね?」
「うん。仕事している時は気にならなかったんだけど、療養生活には東京は慌しすぎる。なんか身体も休まらない感じだし。やっぱり故郷の環境の方が身体にはいいかなって思って」
「そう。ジン家族は?」
「2年前に離婚した。子供はない。身軽だから決断も楽だった」
「けど、タクシーならこっちでもまた乗れるんでしょう?」
「ああ。これが心臓病とか糖尿病とか、突然意識を失う可能性がある病気の場合、会社によっては採用されない場合もあるけど、腰は大丈夫だと思うんだけど」
「思うんだけど?」
「いや、いい仕事を見つけたんだ」
「あらぁよかったじゃない!何やるのジン?」
「今は言えない」
「そうなの。ま、なんでもいいからがんばってよ!それよりアンタ、運動不足なんじゃないの?
私のところでエアロビやらない?」
「ええっ!エアロビ?」
「そうよ。アンタ相変わらず小さいくせに太り過ぎ。ねぇ、佐賀君、佐賀センセ!運動はお薦めしてくれるわよね?」
いきなり振られたミッツは一瞬戸惑ったようだったが
「そうだな。確かに適度な運動は座りっぱなしのタクシードライバーには必要だが、エアロビで飛び跳ねるような上下動は、ヘルニアには悪影響かも知れないな?」
「ええ、そんなぁ!」
「俺は整形は専門じゃないから正確なところは言えないけどね。けど土田さん、ああ今は熊谷さんだっけ、さすがにプロのエアロビインストラクターは凄いなぁ。50代だなんて信じられないくらい引き締まったボディだね。見惚れるよ」
「あらぁ佐賀君にそんな事言われるなんて…。どうしてせめて40年くらい前に言ってくれなかったかなぁ?」
「子供の頃のカタブツの佐賀君はそんな軟派なセリフ言わないわ」
 老人ホームで介護職をしている庭山貴子がそう茶化した。
「水島君じゃあるまいしねぇ?」
そう被せたのは鉾田真弓。市職員として、コミュニティセンターで働いていると自己紹介していた。
「そういえば先生、同じ優等生でもこの二人対照的でしたよね?」
幹事の仕事からしばし解放されて料理を摘んでいたヤッコが先生のジョッキにビールを注ぎながら言った。
「そうだねえ。靖子くんの言う通り、佐賀君と水島君の二人は過去に私が受け持った生徒たちの中でもズバ抜けていたね。しかもその二人が同じクラスにいるなんて、まさに両雄並び立つという観があった。しかし性格は真逆で、剛の佐賀君、柔の水島君という感じだった」
「ストレートなガリ勉で秀才の佐賀君に対して、孝一郎君は博識なお調子者っていう印象でした」
「上手いこと言うなぁ靖子くん。確かに、佐賀君は白黒ハッキリつけたがる一本気なところがあり、何事にも一途な面があった。融通の効かない頑固さもあったがね。片や水島君は器用で、何をやらせても上手くこなした。しかし多少移り気なところはあったようだね。でもね。二人とも本当によく勉強したし、とことん調べることに楽しみを見いだしていたよ。忘れもしない。6年の時の佐賀君の夏休みの自由研究の朝顔の観察と研究は、とても小学生のレベルじゃなかった。私でも知らない朝顔の知識がノートいっぱいに書いてあって、こっちの方が勉強になった。また、水島君の日露戦争の日本海海戦での日本海軍のT字戦法についての研究にも驚かされた」
「先生凄い!よくそんな細かい事覚えていますねぇ?」
「そのくらい強烈な印象だったんだよあの二人はね」
「そういえば、孝一郎君は昔から派手で出しゃばりで、小学校の頃に児童会長、中学では生徒会長だったりしたけど、佐賀君は、ともかく勉強勉強で、テストで学年1位になることが目立つくらいで、あとは何か目立つ事をやった記憶ってないわね?」
ミッキィがそう口を挟むと、
「アタシは佐賀君の手品覚えてる」
とヤッコ。
「ほら確か5年生の時のお楽しみ会。佐賀君が、手の中からハンカチを取り出す手品をしたのを覚えてない?あの生真面目で大人しい佐賀君が鮮やかな手並みを見せたので驚いたわ」
「ええ~?覚えてないわ。けど、そんな二人が揃って私たちのクラスにいたなんてホントにすごいことね!」
「美樹くん。そんなあなただって今をときめく社長夫人じゃないですか。みんな個性の塊でした。いや、個性の原石だったんですよ。それらが今ではこんなに輝いて。人間なんて実質は子どもの頃とそうは変わらないものなんだと思うなぁ」

説明し忘れたが、我々は小学校4.5.6年と3年間同じ5組で、ずっと木下先生が担任だった。

 モツ鍋屋での宴会というのは初めてだったが、ザンギや串盛りなどだけでなく、サラダや茶碗蒸し、それに海鮮大舟盛りなども豪華にテーブルに並んだのには驚いた。これに飲み放題が付き、先生への花束の費用なども頭割りにして、会費5000円は安いと思った。ミッキィがオーナーのケースケとこの店の店長にねじ込んだ結果に違いない。
 看板商品のどっさりとニラの葉が乗ったモツ鍋は塩だれベースであっさりと食べやすく女性陣にも好評だった。これは鍋の締めのラーメンのための味付けだろう。昔からこの街ではラーメンといえば塩味に決まっていた。

 モツも新鮮で臭みもなく食べやすく、その昔は肉嫌いで、給食が苦痛だったはずの門倉美保が貪るようにお代わりを重ねて皆に冷やかされていたのが印象的だった。彼女は妊娠してから嗜好が変わったのよと言い訳して冷やかした連中を笑わせた。

 会の中盤で、幹事のミッキィから大きな花束を渡されて満面の笑みの先生が、
「いや〜、こんなにしてもらって、幸せこれに勝る日はないな!教師冥利に尽きるというものだ。」
 と真っ赤な顔で述べられた。

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