臓腑(はらわた)の流儀 碧(みどり)の涙 その7

おいおい桑坂、そう泣いてばかりじゃ何もわからん!どうした、いつものお前らしくもない。
 困ったな……、野添から校内放送で急に呼び出されたから来てみたらこの有様だ。桑坂が無理なら、水島でも平でも誰でもいいから、事情を説明してくれ!」
 いつもは沈着な鷺舞先生が珍しく途方にくれたような様子で首を左右に振りながら言いました。
 「いや先生、それは無理です。いつもは僕や会長が馬鹿な話をしているのをたしなめてくれるように、常に大人みたいな態度で、まるで姉か先輩のように振る舞ってはいましたが、みどさんだってやはり中3女子、普通の15歳の女の子でした。狼狽えるなという方が無理です。なぁ会長そうだろう?」
 そう言ったのは平君でした。僕や会長がと彼は言いましたが、本当のことをいうと馬鹿な話を最初に持ち出すのはいつも孝一郎君で、平君はそれに付き合うという感じでした。でもそれを踏まえて、みどの立ち回り役などもしっかり分析していた彼はさすがに理系の秀才だと思ったわ。
 彼にそう振られて孝一郎君は
「そうなんです先生。みどさんは、さっきまでは気丈に振舞っていたのですが、先生の顔を見たら緊張の糸が途切れてしまったのでしょう。僕たちもまさか彼女がこんなにポロポロと涙をこぼして大泣きするとは思ってもみませんでした……」
 と、いつもは強気でそれこそアタシなんかよりは常に大人ぶっている孝一郎君も、みどの大泣きと鷺舞先生のうろたえが伝染したかのように、いつものどこか尊大な態度が消え失せて、やはり15歳という年齢相応に見えたわ。
 アタシはともかくとして、当人のみどだけでなく孝一郎君や平君でもそうなのですから、下級生たちの落ちつきの無さといったら、見ていてこれも痛々しいほどでした。

 平君や孝一郎君がいうように、アタシも親友ながら普段はとても同い年とは思えないくらいに感じていた、下手をしたら高校生どころか、セーラー服を脱いだら短大生でも通りそうな感じのみどが、まるで幼児のように泣いている姿は壮絶でした。
 ましてや朝からあのシェエラザードの妖艶な舞を見せつけられた後なだけに、アタシたちはみんなみどに酔っていたようなものだったのですから、ある意味仕方がないのかも知れません。
 孝一郎君と平君がかわるがわる説明をしましたが、それをアタシなりに解釈して皆さんにはお伝えしますね。

 朝の9時から始まった紅陽祭の開会式は先ほどお伝えしたみどのシェエラザードのダンスによって大成功を収めました。
 (ちなみにこの舞いはのちに新聞委員会が編集した学校新聞「紅陽」の「紅陽祭記念号」の中で「みどりの炎」と命名され、ずっとアタシたちの1974年度を語る上でのキーワードのひとつとなりました)

写真はお借りしました


 もちろん実行委員会の寸劇だけではなく、3日間の紅陽祭期間中に催される各部活や学級の出し物などの簡単な説明が、それらの代表者によってステージ上で披露されたりして、開会式は1時間ほどで終わりました。(あ、ここでいう1時間とは中学校の1時限に当たる実質50分のことです)
 それで3日間は普通の授業は組まれていないので、やはり1時間の休憩を挟んでアタシたちはそれぞれの催しに散ることとなりました。
 その前にまた着替えです。朝とは逆に紅陽祭実行委員会の人たちは体育館の最後尾にある男女別の更衣室で、アタシたち4役は女子は生徒会室で、男子は第二理科室でいつもの制服に着替えると、再度生徒会室に戻り、いつものように放課後に集合して初日の反省会を持つことを約してそれぞれのクラスや部活に分かれたのです。

 そして放課後、三々五々と生徒会室に集合したアタシたちは、そこでみどからあのエメラルドがなくなっていることを告げられたのです。

 今まで言ってはいませんでしたが、生徒会室の中には代々の4役によって使い継げられて来た7つのロッカーが設置してあります。会長から会計まで、4役7名が、その代によってどれを誰に割り振って使ってもいいようになっており、特に鍵はかかりません。そもそも紅陽会4役といえども普段は別に貴重品を学校に持って来ることはありません。あくまで、4役の個人用途に限って便宜を計ってくれたもので、いつの代から設置されているのかもわかりませんし、当然4役に選出された役員たち以外には、生徒会室にそのようなロッカーが設置されていることを知る生徒はほとんどいないはずです。

 そしてシェエラザードの衣装から着替えたみどが、お父さんからもらったあのエメラルド(孝一郎君に言わせるとイミテーションの人造品ですが)を自分が使っているそのロッカーの中にしまっておいたところ、放課後に確かめてみたら紛失していたということでした。
 全員が集まったところで、アタシたちは手分けして生徒会室内をくまなく探しました。個人で使っているロッカーは自分の責任で改めると共に、孝一郎君の提案で、同性の役員同士でさらに確認しました。誰も仲間を疑ってはいませんでしたが、念には念を入れろということでした。
 もちろんどこにもそれは見つかりませんでした。
 そしてその時になって、ともかく鷺舞先生に報告した方がいいということになって、野添君が先生を呼びに職員室に走りました。
「先輩方は善後策を考えていてください」と言い残して。

 しかし野添君によると先生は職員室にはいなかったそうです。
 盛り上がった初日が終わり、そのままの気分で帰宅途中で間違いや事故があってはならないので、生活指導部の他の先生たちと体育館や校内を含む見回りと、校門の所で見送りをしていたそうです。
 それで野添君は校内放送のマイクを取りました。

 わが校の放送室は一線校舎の2階にあり、そこにはラジオ局のような放送ブースが設置されていて、昼休みや放課後には主に放送部や放送委員が、連絡事項や独自に作った校内向け番組を流していますが、先生たちによる生徒への連絡や呼び出しは、職員室入り口の柱に取り付けられたマイクを使って随時行うことができます。
 生徒の利用に関しては、中央委員会の各委員長や、また各部活の部長、キャプテンらは、職員室にいる先生の同意の上で使用することを許されていますが、紅陽会4役は自己の判断で使っていいことになっています。
 とはいえ、これを使うのは会長・副会長と、せいぜい3年生だけで、かくいうアタシなんかほとんど使ったことはありません。
 野添君は、そのマイクを手に取ると
「鷺舞先生、鷺舞先生、至急生徒会室までお越しください」とアナウンスしたのです。
 それを聴いて先生がおっとり刀で駆けつけて来たっていうわけ。

「なるほど、あらましはわかった。それで改めて訊くが、盗まれたのか失くしたのかわからないのか?」
鷺舞先生がそう言いましたが、それに答えたのはアタシでした。
「いっしょに着替えをしたアタシが見ていましたが、みどは大切なものだからと、それを首から外すと紫色のベルベットを貼った宝石箱に入れて鞄にしまい、それをロッカーに納めました。そのケースは残っているんです。中のエメラルドだけが無くなっていて、当然盗まれたものだとアタシは思いましたが、会長が、まだ断定するのは早い、ここはあくまでも紛失ということで行こうとみんなに提案したのです」
「そうか、お前たちのことだ、うかつに外に洩らすとも思えんが、場所が場所なだけに,盗難騒ぎとなったらまた大変だ。好判断だったな水島!」
 先生はようやく落ち着いたような口調でそう言いました。

「まぁ先生の方から、外部に洩れることのないよう、職員会議にははかっておくから、今日のところはもう帰りなさい。朝からいろいろ疲れてもいるだろうし。
 桑坂も気を落とさないようにな。またどこからか出てこないとも限らんしな!」
「そうですよみど先輩、万が一これが怪盗Xの仕業だったとしても、これまでの例からしても、Xは自分の物にはしない可能性が高い」
 そう言ったのは野添君です。ここに来て彼は急に存在感を上げたみたいでした。

 「わかりました先生。もう大丈夫です。みんなもありがとう。迷惑かけてごめんね」
 みどが涙を拭いてそうアタシたちに謝りました。

 鷺舞先生が出て行ったあと、アタシたちはまたしっかりと施錠を確認してから一団となって生徒玄関の方に向かおうとした時、先頭に立っていた菊田さんが驚いたように誰かに向かって声をかけました。
「ちょっと、そこのあなた、何かご用ですか?また平先輩でしょうか⁉️」
「どうした菊田さん?」
「あ、先輩、そこに先日第二理科室に来た3年生が立っていたのです。まるでこちらを伺うようで何か気味悪かったわ」
「何っ!またアイツが?」
 平君はそう言うと、先に立って辺りを偵察して来ましたが、虚しく引き上げて来ました。
「ダメだ。誰もいない!」
「イヤね、あいつ。こないだもみどのこと、ねめつけるような目付きでジロジロ見ていたわ!」アタシがそう言うと、孝一郎君が、
「よし、今日はみども動揺していることだし、俺と平が途中まで送ろう!構わないよな平?」
「ああ、それがいいと思う。」
「二人ともありがとう。心強いわ!」

 と、いうことで3年生のアタシたち4人は一緒になって帰途につこうとしました。
 みどは気丈に振る舞おうとしてはいましたが、目は赤く泣き腫らしたのがありありとわかり、肩がまだ小刻みに震えていました。
 それを孝一郎君と平君が両側から抱えるように支えて歩きました。
 アタシはみどのカバンを持ってあげました。その時です、
「おうおう、なんだお前ら暗くなって来たら大胆なことしてくれるじゃねぇかよ⁉️優等生の諸君もさっきの桑坂のエロっぽい姿を見て理性を失ったのかよ?」
 玄関でそう声を掛けて来たのは7組の塚田真司君でした。
「余計なお世話だ、塚田、退け!」
「なんだと水島テメェ,また痛い目に遭いたいのかよ?」
 孝一郎君と塚田君がやり合います。
 ああ、あんな奴に君なんか付けたくないんだけどな。
 アタシたちが紅陽会4役に選出されてすぐの時期に、校内の人目に付かない石炭庫のそばで、因縁を付けられていた6組の瀬戸裕美子さんを助けようとした孝一郎君はこの塚田真司に顔面を一発殴られるという事件がありました。その時は騒ぎを聞きつけた鷺坂先生が間に合って、二人はその場で分けられましたが、以来二人の間にピリピリとした緊張感が漂っていたのです。塚田は中学生ながら90キロ近い巨体の持ち主です。いわばデブね。アタシたちが恐怖に打ち震えていると、先に2年生の靴箱に向かっていた野添君が顔を出しました。
「何やってんですか⁉️会長や平先輩に手を出したら許しませんよ!」
「なんだキサマこそ、2年の野添だったな?多少背が高いからってキサマもイキがりやがって、面白い、先にキサマから痛い目に遭わせてやろうか?」
「やめとけシンジ!」
 その時不意に制止の声を掛けたのは本校で番長として知られる折原博之君でした。
「だ、だってよ折原……」
「うるせえ,テメェこそ黙ってろ!今日は楽しい紅陽祭じゃねぇか、それに今日の桑坂のダンスに免じて放っておいてやれ。何があったかしらねぇけどよ。これ以上問題を起こすと俺だってもう庇いきれねぇ。スマねぇな孝一郎、デブがまた短気を起こしやがってよ!」
「いや折原、こっちこそありがとう。俺たちは今日は朝からいろいろ忙しくって疲れているんだ」
 折原君は他校の生徒も認めるわが校の総番なんだそうですが、塚田ですら頭が上がらないというのに、同じクラスのよしみなのかしら、孝一郎君には一目置いている感じなのよね。
 どっちにしろ、こうして一触即発の危機は脱したわ。

 こうしてアタシたちは4人で仲道商店街の途中まで一緒に帰りました。
 2人にはかなり遠回りをさせてしまったけど、この辺はさすがだと思ったわね。みどもその頃にはすっかり落ち着きを取り戻していました。
「2人とも本当にありがとう。パパに叱られるのは怖いけど、悪いのは私なんだし、起こってしまったことは事実なんだから、ちゃんと説明しようと思うの」
「ああ、それがいい。俺は平にちょっと用があるからここから引き返す。デコ、みどをよろしく頼むぞ、もう泣かすんじゃないぞ」
 孝一郎君はそう憎まれ口を叩くと夕闇に溶けかかった商店街を平君と並んで何か話しながら帰って行きました

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