三笠爆沈

日露戦争における、ロシアバルチック艦隊との雌雄を賭けた日本海海戦は、日本側に大勝利をもたらしました。

計38隻からなる大艦隊で臨んだロシア側は、撃沈19隻、捕獲5隻、逃走中沈没あるいは自沈2隻、抑留8隻の計34隻を失いました。
艦隊での戦死者は4545人。
司令長官ロジェストヴェンスキー提督以下6106名が捕虜になりました。

一方の日本側は、損失艦艇は水雷艇3隻が沈没したのみで、
人的被害も全戦死者が107名でした。

史上空前の一方的勝利といって過言ではありません。

ところが、5月28日の海戦終了からわずか3ヶ月あまりの9月11日午前0時30分、横須賀軍港に碇泊していた連合艦隊旗艦の戦艦三笠は、突然火災を発生させ、その火が後部30センチ砲火薬庫に引火、大爆発を起こして三笠は沈没してしまいました。
東郷平八郎長官以下高級幕僚は、前日に上京するために離艦しており、惨事に巻き込まれることはありませんでしたが、
この事故による死者は251名に及び、
先の海戦での艦隊全戦死者数の2.5倍の損失となりました。


戦艦 三笠

その後の調査で火薬の自然発火と発表されましたが、後年になって真の理由がわかりました。
戦勝気分が今だに横溢していた当日、長官以下が不在になったことで艦内の風紀が乱れ、数人の水兵が深夜飲酒を企だてます。
上官の目の届かない火薬庫側の通路で、これも艦内からくすねた信号用アルコールを飲もうとしましたが、その臭気を飛ばすために火をつけたところ、思わぬ火勢は一人の水兵の衣服に燃えうつり、それを必死で消し止めようとしているうちに火はどんどん拡がって、ついには各所に延焼、火薬庫に達したということでした。

それにしても激戦を闘い抜き生還を果たした251名が不祥事による過失で命を落とすとは、いかに盛者必衰とはいえあまりにバカバカしく悲惨すぎます。

三笠はその後引き揚げられ修理を経て復帰、退役後は保存艦として横須賀で陳列されています。
太平洋戦争後は撤去の動きなどもありましたが、日本海海戦に感銘を受けたアメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督などの働きかけでそのまま維持保存され現在に至っています。


現在の三笠。海底に固定され船としては使用できません。
また主砲以下の武装も全てイミテーションです。

(2枚の写真はお借りしました)

いいなと思ったら応援しよう!