創作論解答「没入感やドラマティック性が足りないと言われた。どうすれば?」
こんにちは風倉です。今日も質問に答えます
今回の質問は、タイトル通り
「没入感やドラマティック性が足りないと言われた。どうすれば?」です
正直、その2つはまず違う上に、それが自由自在にできたら、鬼滅の刃より売れる作品が作れますが……。答えていきますね。なるべく簡単に。
とりあえず、没入感のほうから、風倉なりの答えを示していきますね。
これ、大きい要素は2つあります。
それは
「快楽の期待感」と「被操作性」です
「これが起きるのかな」「これが起きてほしいな」と
次のイベントを読み手の都合よく予想し、期待している待機状態……。
この状態が、没入度が高いと見ていいです。
これを「意図して引き起こせる」と作家としての腕が高いといえます
逆にいうと「没入感が低い」というのは
「期待ハズレの未来が待っている」と言うことであり。
そうおもった瞬間に、没入度が下がります
そうですね
「没入」の良い事例といえば、ギャンブルでしょうか
パチンコやスロットなどで「没入」してる人、たくさんいますよね。
あれは「大当たりしてお金が入る」期待度で、没入しているのです。
当たる自分を予想して、大変気持ちよくなっています。
大当たり演出などこようものなら、快楽脳汁バンバンです(笑
しかし、ここでもし。
「その台は店が操作してて絶対当たらないようになってるよ。これ店長の俺がいうから間違いない」等と言ったらどうでしょう。
ガン萎えもいいところですよね。あっという間に熱狂も冷めてしまうでしょう(操作が違法だとかなんとかは、話として無視します)。
「期待ハズレの展開が待ってそう」……こう思わせたら、没入感は冷めます。
どんな展開なら期待どおりか?
それは、ジャンルと集めた読者によるので、割愛します)。
ホラーなら恐怖を求められるだろうし、俺TUEEなら爽快な話を求められますし、謎解きなら先の読めない展開を求められます。
逆をやれば期待ハズレです。
なので「期待を高める」
この作品に期待した面白い展開が待ってるぞ!という感じにする。
この「前フリを頑張る」ことが、没入感を高めることになります。
前フリは後述のドラマチックさにもつながってくるんですが。
イベントそのものよりも大事だったりします。重視してください。
没入感が低いと言われる人は、期待を煽るのが少ないかも知れません。
あとはそうですね。
パチンコの大当たりが「超しょぼい演出」や「超短い演出」だったらどうでしょう。ガチャでもいいんですけど。
あれって当たる時「溜めに溜めて、ピカーっとひかって大当たり」みたいになるじゃないですか。
あれが、無味無臭のプログラムのように。
「ヒット」と文字が0.3秒だけでて、換金用の玉もジャラジャラーではなく。
バーコードだけすっとでて終わり。
これ……「没入」しますかね?しなそうですよねえ。
つまり「期待させる」だけではなく。
「強く煽る」「演出を大きくする」ことも没入感を高める方法といえます
「期待を煽り、それに見合うご褒美の演出をする」
ちなみに、別に快楽といっても、爽快感やえっちなシーンだけを入れろとかそういう意味ではないです。
ホラーなら、しっかり恐怖に怯えるシーンや、ひどい目にあうシーンをいれることが「読み手の期待に答える、快楽的ご褒美演出」といえます。
ミステリなら名推理のシーンですね。
謎や解決を煽ること。そして、びしっと解決すること。
この2つが没入感を高めます。
伝わりますか?
これが一つです。
そしてもう1つは「被操作性」
人は「操作されること」を凄まじく嫌います
それは「舐められる」ことに繋がるからです
まあこれは「本能」といっていいですかね。
自分という個体を守るために「簡単に操作される」「軽く扱われる(舐められる)」ことは絶対的に許せません。
そして、そういう事を受け入れるキャラもまた、人間的には見えません。
よく「ご都合主義で(ご都合悪い主義で)冷めた」「設定に納得いかなくて冷めた」とかあるのは、根本はこれです
。
「キャラクターが作者の操り人形に急に見えてしまったり、イベントを作者が無理矢理おこしたことに見えたり」などです。
これは「裏事情が見えることで、現実に引き戻された」のですが。
それにより、何が引き起こされたかと言うと。
作者に対する「キャラを無理矢理動かしただろ」
+
「読み手を舐めてんじゃねーぞ」が発動したということです
いいですか。
大前提として、作品は「嘘」の塊です。
そして、キャラクターに真の自発性はありません。
本当は作者の手のひらの上にありますし、物語全てがそうです。
しかし、読者は、読んでる間はそれを「意図的に忘れて読んでいます」
作者も意図して触れません。それはお約束であり暗黙の了解です
これは大事です。
読者は「キャラクターは生きていて、自由意志がある」と
世界も「作られたものではなく、本当にそういう世界があるのだ」と
こういう前提で読んでいます。
作られた話ではなく、既にある誰かの話を「覗き見」してるという態度なのです。創作は根本的に嘘ですが、それを楽しむというのは、そういうお互いの暗黙の了解の上になりたってます。
ここで
「このキャラはそんな態度とらねーだろ」というのを取らせるとどうなるか
「無理がありすぎる唐突なイベント」をみせられるとどうなるか
作者が、読者の感情を、直接操作しにきたように感じます
「さあ、ここで喜びなさい(あるいは哀しみなさい)」と。
すると「舐めてんじゃねえぞ」と没入感と逆の感情がおき、冷めます
※ちなみに、なろう系などを嫌う人がいるのもここらへんがあります。
安易だから嫌う
また、キャラの自発性を作者が奪い操作したようにも見え
「他人事だがとりあえず不愉快」にも思えます。
そのキャラに共感してたら余計にそう思えますね
で、同時に「それでも楽しむと思われたなら舐められてるな」になります
僕はこういうのを「操り人形の糸を見せる」という風にいってますけどね。
糸が見えるどころか、直接手づかみで人形を動かされたら、そりゃ興ざめですよ。観客を舐めんじゃねえよって感じです。
他にも
「ずさんな世界設定やストーリー矛盾」を見せられるとどうなるか
これも同じです。
「流石にこれを見過ごすと思うなよ」と。
幼稚園児じゃねえんだぞみたいな。
やっぱり「舐めんなよ」が発動します。
ただまあここらへんの。
どっからどこまでなら「お約束」で見過ごされて
どっからどこまでだと「舐め腐ってる」になるかは
はっきりいって微妙なラインなので、白黒はつけれません
ターゲットやジャンルでも変わるんで。
ここは経験を積んでください。
基本的には、キャラクターの行動理念を曲げてはいけません。
一番大切なのはキャラクターです。
そもそもストーリーがキャラクターの表現のためにあるし。
キャラを曲げるのは、世界ルールを曲げるよりも危険です。
ガンダムなどで、最後の最後だけなんか不思議パワーでラスボス倒したりありますし、他の作品でも最後だけよくわからん理屈で勝つはありますが。
それはいいんです。最後だし。許されやすいです。
キャラの信念を曲げるぐらいなら世界のルールの方を曲げろ。
でもキャラクターを曲げるのは、どんなときもダメ
SAOでヒロインのアスナが殺された時、キリトがプログラムを無視して体力ゼロでも、体を動かしてボスを撃破したのは許されても。キリトがヒロインのアスナを見捨てて逃亡したら、許されないのです。
というわけで。まとめるなら。
「作者が介入した」という感覚を如何に消し
「世界を覗き見している」という感覚に如何にさせるか、です
余談ですが、異世界転生一人称が好まれるのはここらもあります。
例えば、現代から転生してきた主人公が内心で「俺は陰キャコミュ障チー牛なんだよな」といっても、キャラ的に違和感はありません。
しかし、異世界で育ったキャラが「俺は陰キャコミュ障で、チー牛なんすよ」とかいい出したら、事件です。物言いが現代的すぎて、誰やねんこいつみたいな。
これを見た瞬間そのキャラは「自発性のあるキャラ」ではなく「作者が動かす人形」にしかみえなくなってしまいます。操り人形の糸が見える。
こんなんを受け入れると思われてることに、読者は憤慨します。
こういうところがうっかりでても平気なところが。
異世界転生主人公の使いやすさです。余談ですけどね。
というわけで。
「期待感」
「被操作感」
この2つが、没入感を高める鍵となります。
期待感を高めるというのは、物語の中に、これが読みたいなという読者の楽しみを作り、煽ること。
被操作感の減少は、キャラクターに自然な振る舞い、世界設定の自然さ、一貫性を意識することです。
意識してみてね。
というわけで次。
「ドラマティックさ」
ですね。これも「アップダウン」とか「緩急」とか色々要素はあるけど……
そういうよく聞くのじゃない角度でもう1つ。
「因縁」と「背景」情報をモリモリにすることです。
イベントの「前フリ」や「背景情報」です重要なのは。
「熱量のある因縁をつけよう」
具体例をいいますか。
WBC……野球の国際大会知ってますかね。
あれの2023大谷のvsトラウトの三振で優勝決定!シーンを知ってますかね。知らなかったらどっかのまとめを見てください。これ超盛り上がったんで。
これは、なぜ盛り上がったんでしょう?
そう、対戦相手との「因縁」やそれまでの「背景」があるからですね。
2023は、かなり本気の最強アメリカとの決勝の戦い。勝ったままとはいえ僅差でのリード。そしてマウンドには投手大谷。バッターには、最強スラッガーであり、チームメイトのトラウト。これほどの熱量ある因縁はないでしょう
あちらも最強と国の威信をかけた戦いです。
これは「対決した時点で、熱いのが決定していた」のです。
なぜか?
「互いに、熱い背景と熱い熱量をもっていたから」です。
これがもし「チームの練習試合での、投球練習との対決」だったら、数百万人が熱狂するワンシーンになったでしょうか?ならないですねえ。
なぜなら、当人に熱くなるだけの材料がないので。そして、本人がもしそこで熱くても、周りの人も熱くなる背景がありません。なのでドラマにはなりません。
でも、もし練習風景でも「これが大谷とトラウト最後の対決」だったら、熱くなるかもしれません。それが背景です。
話が少しそれますけど、AIが最強になっても。
将棋が人vs人でも、今も熱い。なんなら過去最高に注目を浴びてるのは、そこが理由です。
「AIには熱がない。熱のある背景もない」
だから、AI戦にはドラマが生まれない。いや、正確には「人がドラマを見いだせない」のです
AI大会だと、ドラマを多少肉付けはできますが、AIそのものに熱はないですからね。盛り上がりは人に及びません。
甲子園をプロ野球より好む人がいるのも「熱量と背景」の差です。
甲子園が一敗で終わる。そしてそこに学校生活全てを賭けているのを、見てる側も知っている。儚さ。だから、盛り上がるのです。
それがドラマティックかどうかは「やる側」ではなく。
「見る側」が決めるのです。
作者がいくらそう思っても。読者がそれを感じ取れなければ。
「AI同士が戦ってるな」というのと変わりありません
僕は格闘ゲーム大会をよくみますが、初心者大会でも「熱い」です。ドラマがあります。それはそれぞれに「大会への熱量」があり「参加者同士の因縁」があり「それまでの背景」があるからです。
そういう大会は、めちゃくちゃに熱く、そしてドラマティックです
ある格闘ゲーマーはいいました。昔のオンラインがない大会は、死ぬほど盛り上がってた。それはなぜか。それは「対決できなかったから」だと。
西に◯◯いれば、東に△△あり。お互いに、対決できないからと。周りの信者含めて「こっちが最強だ」「いやこっちだ」と、もうめちゃくちゃにいって。「持ち上げすぎてハードルが無限にあがってた」と。
そして大会でその「あがりにあがったハードルの、真実があかされる」
もう、めちゃくちゃに盛り上がったと。
対決系に限りません。
例えば医療などでも。そこらの人が急患で担ぎ込まれるのと、実は生き別れた母が担ぎ込まれるのはどうでしょう。背景や因縁が違いますよね。
音楽などのコンクールは?やはり同じです。熱量と背景、因縁がそれを決める。
別にめちゃくちゃ重くなくてもいいんです。
短編であれば、重いのは無理ですから。しかし「軽い因縁」や「ちょっとした背景」をつけるのはできますよね。
大会前に声かけあったとか。10年間さがしつづけたあの味とか。昔好きだった人とか。イジメてきたやつとか。そういうのでも因縁はできます。
後はシンプルですが「ハラハラ」させることですね
イベントに希少性をもたせる。
切羽詰まらせることです。
甲子園が盛り上がるのは「後がないし次もない」からです。
WBCが盛り上がるのも、大会が盛り上がるのも同じです。
ドラマティックさと相性のいい感情です。
AI対決がドラマがないのもこれがあります
希少性がないのはダメ
無限に量産できます。これはドラマにおいて致命的です。
無限にあるものに人はドラマを見いだせません。
よって、創作でもいかに「二度とない」かを演出するとドラマ性はあがるでしょう。
抽象的な助言ですが、そこを意識してみてください。
という感じですね!
文庫に応募したということは、質問者さんは書籍化を狙ってるのでしょう。
物語は、人の感情を動かすためにあります。
ドラマチックさや、没入感を高める技術は、そのためにとても大事なことは間違いないです。
いつかプロになる日を待ってます。
ではでは
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