昔々、テニュア審査に通らなかったポスドクの話
首都圏もようやく涼しくなってきた9月下旬
ペケッターランド(X:旧ツイッター)のアカデミアクラスタで「テニュアトラック」の話題が沸騰中だ。
そして、この話題に付随して「名ばかりテニュアトラック」の弊害は何かという投稿も現れている。
これは風の噂に流れてきた、とある1人のポスドクの話だ。
昔々、ポストドクター等一万人計画初期に博士号をとってポスドクになった若者がいた。
運良く、とある国立系研究機関のテニュアトラック任期付き正職員(任期3年)に採用された。3年目の夏にテニュア審査があり、同期14名中10名がテニュアに残った正真正銘のテニュアトラックポジションだった。
テニュア審査に遡ること数ヶ月前、そのポジションにいたポスドク全員に「給与を下げるので承諾書にサインと押印を」という連絡が届いた。理由はもうよくわからないが、とにかく任期の途中で給与が下がることになった。
同期の中で、「いったい、どういうことだ? 雇用された時に聞いた話と違うのでは?」とかなり話題になったが、みな承諾する以外の選択肢をあまり持ち合わせていなかった。
ただ、その中で1名だけ、「雇用時の説明と違う。雇用時の条件を改めて見せてほしい。それが確認できるまで承諾書にサインと押印はしない。」と言って、実際に数ヶ月間、承諾しなかった者がいた。
ところが、雇用時の条件の書面はいつまでたっても出てこなかった。そして14名のポスドクの中で書面で条件を持っていた人は1名もいなかった。
注:労働者を雇用するときに、労働条件の基本的なところを書面で提示するのは労働基準法の基礎。でも、当時のポスドクポストには、こういったいいかげんなものが少なくなかった。
https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/dl/150312-1.pdf
雇用条件の提示を求めて、承諾書にサインをしなかった数ヶ月程度、給与の支給手続きが止まってしまい、その間、給与の支払いは停滞した。そして、そのポスドクは、総務部長と人事部長に別室に呼び出され、「こんなことをしているとテニュアには残さない」「こんなことをする人間は組織にはいらない」と小一時間、問い詰められた。
しばらく雇用条件の提示を求めていたポスドクは、当時、妊娠していたそうだ。数ヶ月後には産前休暇も迫り、あまり余裕はなかった。労働基準監督署に行くことも考えたそうだが、時間がかかりすぎ、デメリットが大きいと判断したようだ。数ヶ月後、そのポスドクも給与引き下げの承諾書にサインをして、この話は終わった。
夏にあったテニュア審査の面接時、面接官にいた総務部長は、そのポスドクの面接中ずっと、自分の手帳をひたすらめくって手帳だけを見ていたそうだ。
そして、とあるポスドクは、テニュア審査で7番目の成績をとったと伝えられた、でもテニュアに残らなかったとも聞かされた。
で、そのポスドクはどうなったかって?
なんでも怒りをパワーに変えて、自分でポストを探し、今では首都圏私大の片隅で幸福に暮らしているらしい。
これは風の噂の物語で、ほんとうかどうかは風のみが知っている。
いまでは、だいぶポスドクの条件も良くなってきてはいる。
ただ、昔も今も、任期付き職の立場はとても弱い。いろんな制約から、不利なことがあっても泣き寝入りになることは少なくない。長年、ポスドクのキャリア支援に携わってきたが、それは昔も今も変わっていないことが改めて確認でき、何かできることはないか考え直している。