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フィルターで初のプロモーション来日を経験

レコード会社にとって、洋楽アーティストが来日するのは2つのパターンが考えられます。圧倒的に多いのがコンサート来日で、これは主体がコンサート・プロモーターとなります。もうひとつは、ニュー・アルバムのプロモーションのために、レコード会社が主体となるもので、プロモーション来日と呼ばれます。今は相当な大物でもない限り、プロモーション来日はないでしょう。でも、1999年当時は意外と新人アーティストにとっては、よくあることでした。なぜなら、メディアの影響力が強かったこと。そして、その露出により、CDがまだ売れたことで、日本は売上的にも重点テリトリーだったのです。

当時、フィルターはインダストリアル・ロック・バンドと呼ばれてました。フロントマンの名前はリチャード・パトリック。彼の狂気に満ちたヴォーカルが売りでした。実のお兄さん、ロバート・パトリックは映画『ターミネーター2』で、金属のように溶ける、警官を演じていた方です。
フィルターのデビュー・アルバム『ショート・バス』からのシングル「ヘイ・マン・ナイス・ショット」(すごいタイトルですね)は、アメリカのラジオでヒットし、アルバムは100万枚のセールスを記録し、大ヒットになっていました。このアルバムは先輩の井本さんが担当だったのですが、新作『タイトル・オブ・レコード』は僕が担当を引き継ぐことになりました。そしてなんと、このアルバムのプロモーションのために、リチャードとギターのジーノ・レナルドの2人が来日することになったのです。

プロモーション来日では、ディレクターが車をアレンジして、空港に迎えに行きます。当時は成田空港です。到着ゲートで、バンドのポスターを掲げて待つ僕を、2人の大男が見つけて、歩いて来てくれた時はうれしかったですね。宿泊は新宿ヒルトンで、取材もここで行いました。プロモーションの来日は当時、飛行機代はアメリカのレーベルが負担し、宿泊費他の国内の費用は日本のレーベルが負担することになっていました。アメリカのレーベルはワーナー・ブラザーズでしたが、当時のワーナー・ブラザーズの担当者から、僕は事前にこう言われていたのです。「取材中にリチャードにお酒は飲ませるな」と。大して気にもとめなかったのですが、後から痛い目にあいました。このときは、マネージャー氏も来日していて、マネージャーのファースト・ネームもリチャードだったので、マネージャーを呼ぶときはリチャード、シンガーのリチャードはリッチーと呼んでいました。

そしてこの新作『タイトル・オブ・レコード』はなかなかの力作で、大迫力のリード・シングル「ウェルカム・トゥ・ザ・フォールド」で、ヘヴィ・ロック・ファンにアピールし、次のメロディックなミディアム・テンポのシングル「テイク・ア・ピクチャー」で、より幅広いファンにアピールする作戦でした。ですが、まずはコア・ファン層を固めようということで、音楽専門誌の取材を中心に、インタビューは2日間、新宿ヒルトンで行われました。初日の取材は順調でした。リッチーも「ニュー・アルバムはバンドの共同作業であり、自信作である」みたいな感じで、チーム・プレイヤーの発言をしていて、順調に進んでいました。ジーノももちろん、うまくリッチーをフォローしつつ進み、初日は滞りなく、進みました。ところが2日目です。明らかにリッチーの様子がおかしいのです。リッチーが「ビールの6パックを持って来てくれ。でないと取材はできない」と言い始めたのです。レーベル担当者の一言が私の頭の中によぎりました。しかし、マネージャーのリチャードに確認すると、OKというので、ルーム・サービスでビールを頼んで飲み始めると、リッチーの発言が「これは俺のバンドだ。他のメンバーは雇ってるんだ」、「曲を書くのなんて、簡単だ」のように、まるっきり、変わり始めたのです。しまいには、あるインタビューでは、インタビュワーが日本語で質問していると、「ワー!!」と大声を出して、びっくりさせるようなことをやり始めました。さすがに、私もこれには大弱りで、雑誌の担当者には平謝りでした。彼には、ちょっとアルコールの問題があったのです。

そんなこともありましたが、アルバムは日本で1999年9月29日にリリースとなりました。アメリカではセカンド・シングルの「テイク・ア・ピクチャー」がビルボードのHOT100で12位まで上昇するヒットになったこともあり、100万枚の売り上げを記録し、プラチナ・アルバムとなりました。日本のセールスは大成功とまではいきませんでしたが、音楽評論家でDJの伊藤政則さんに、「ウェルカム・トゥ・ザ・ホールド」のミュージック・ビデオを、年間のベスト・ビデオに選んでいただいたのは、良い思い出です。そして、翌年の2月9日には、クリエイティブマンの招聘で渋谷クラブクアトロで来日公演も実現しました。動員の関係で、名古屋公演と大阪公演はキャンセルになりましたので、これが唯一の来日公演となりました。

ライヴは「ウェルカム・トゥ・ザ・ホールド」のミュージック・ビデオのように、4人の長身の男たちが黒皮のコスチュームでロックするという、とてもかっこいいステージでした。終演後にはバンドと、クリエイティブマンのスタッフと一緒にカラオケに行って、リッチーがニール・ダイヤモンドの「スウィート・キャロライン」をご機嫌に歌っていたのを思い出します。この時は、これが最後の来日になるとは、僕も含め誰もが思っていませんでした。
プロモーション来日もコンサート来日も、一期一会というか、とても大事なものだなという思いが僕の中に残りました。我々レーベルのスタッフは、プロモーション来日をしたアーティストとは、より密接にかかわりあうので、強烈な印象として、残っています。ストリーミング時代になって、レーベルの意義に関して、色々なことが言われていますが、今でも、洋楽をこの日本で、根付かせるためには、レーベルの存在意義はとても大きいと感じています。このことは、今後も他のアーティストでたびたび触れていくことになると思います。<次回に続く>



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