ある幸運な男の話|自己紹介
改めまして、ひらやまと申します。
ノートのヒントを見ていたら「プロフィール記事書くといいよ」とあり、まだ書いてなかったので書きました。
つらつらと書いていたら、11,000文字を超える長文になってしまったのでお時間あるときにお読みください。(主に新卒~cotree時代について。)
1分で読めるあらすじを載せておきます。
あらすじ
働きすぎて一時は心を見失った男が、自分を取り戻していく途中で、メンタルヘルスケアの大切さに気づき、自分の得意とやりたいことを両立する方法を探している中で、cotreeに出会い、心の問題に向き合う難しさを感じながら、一人でも多くの人の心を支えられるサービス作りに関わるようになったお話。
*
「このままではいけない」
地方国立大学の農学部に所属していた大学生時代。田舎独特の、のんびりした雰囲気になんとなく焦りを感じていました。
自分が研究していたバイオ燃料作物は、栽培から収穫、抽出、燃料化まで一年に一度しかPDCAを回せない状態。
「20歳から60歳までやっても40回しか挑戦できない。」というある種の限界が見える閉塞感がありました。
のんびりした雰囲気と閉塞感から抜け出したくて、漠然とした成長欲求と「このままではいけない」という焦りを抱えて、就活をはじめました。
「どうしても働きたいです。足りないことがあれば、どれだけ努力しても身につける覚悟があります。」
そんなある日、当時伸び盛りだったITベンチャーの会社説明会を受けていました。インターネットとテクノロジーの発展によって大きく世界が変わっていくことを感じ、心の底からワクワクしました。
ワクワクした気持ちそのままに説明会の直後、就活窓口でも何でもないその会社のinfoアドレス宛に、
「どうしても働きたいです。足りないことがあれば、どれだけ努力しても身につける覚悟があります。」
という内容のメールを送っていました。
何の知識もない農学部の大学生が未経験のIT業界で採用してもらうには、誠意と熱意を伝えるしかないと考え、精一杯の想いを送りました。
そしてたまたま社員の方に興味を持ってもらい、メールを送った1週間後に面接、面接後の1週間後からインターンがはじまりました。
*
大学4年生の丸一年間、インターンをしました。
大学で週に一日だけ研究をして、それ以外の平日は毎朝6時に起きて茨城を出て、渋谷で終電まで働いて茨城に帰る生活をしていました。
未経験の業界で、学びながら楽しく必死に働いていたら、無事に会社から内定をいただくことができました。(インターン時代にはおもしろい話がたくさんあるのですが、それはまた後日。)
そんなこんなで自分の社会人生活は、熱い思いとともにスタートを切ったのでした。
「失敗してもいいから早く挑戦する。」「同じ失敗は二度と繰り返さない。」
はじめての会社で社会人生活を送った約4年間。役職で言うと、
ライター、ディレクター、PM、営業、社長室付き、マネージャー、新規事業立ち上げ、などなど。
仕事内容で言うと、
ライティング、サイト制作、営業、クリエイティブ制作、動画制作、写真撮影、RPA、マネジメント、メディア立ち上げ、SEOコンサル、などなど。
本当にたくさんのことを経験させていただきました。
大切にしていたことは、体育会系の部活で培った体力と気力を頼りに、
「失敗してもいいから早く挑戦する。」
「同じ失敗は二度と繰り返さない。」
この二つを愚直に繰り返し続けて、少しずつ少しずつ成長を積み重ねていきました。
優秀な人に囲まれて手を上げれば挑戦できる素晴らしい環境の中で、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
何も知らない農学部の大学生だった自分を、一端の社会人に育ててくれた会社と当時のメンバーには「ありがとう」の言葉では伝えきれないほど、深く、感謝をしています。
「寝ると明日になる。寝るのが怖い。」
ただ、ベンチャーということもあり、自分の仕事が遅かったということもあり、夜遅くまで働く日々が続きました。
違和感を感じたのは、2017年の8月頃。なぜか疲れが溜まりやすく集中力が続かない。そんな状態にでした。
原因と対策を書き出して色々なアプローチをしましたが根本的な改善には繋がらず。
そのため、
仕事は終わらず、終わらない仕事が溜まっていき、溜まった仕事にストレスを感じ、次第に夜寝ることにすら、不安を覚えるようになる。
完全に、負のスパイラルの中にいました。
「寝ると明日になる。寝るのが怖い。」
当時の自分は弱音を吐くことがとても苦手で。
だれにも相談できず、仕事が終わらない不全感とやらなければいけない焦燥感を感じながら、毎日を過ごしていました。
疲労は蓄積するばかりで社内でも社外でもミスは増え続け、周りに迷惑をかけることの連続。当然そんな無茶をする日々は、長くは続かず。
ある朝起きると、体が動きませんでした。
仕事を終えてないまま会社に行くことの怖さでメンタルよりも先に、体が限界を迎えてしまったようでした。
そこから色々なことができなくなるまでは本当にあっという間で。病院から「休養が必要である」という診断をもらい、ほどなくして休職することが決まりました。
「モチベーションを、見つけられない。」
休職した直後は、あらゆるものに対してやる気が出ない状態でした。
やらなきゃいけないとわかっていても、手がつけられない。
やればできるとわかっても、できない。
やりたいと思うことが、ない。
「モチベーションを、見つけられない。」
中学から大学まで体育会系の運動部で精力的に活動していた自分にとって、そんな無気力な状態は生まれて初めてで。何もできない自分に、深く、失望していました。
「なぜもっとがんばれなかったのか」
「何か打ち手はなかったのか」
「こんなに何もしなくても本当にいいのか」
自分を責める言葉を、自分に浴びせ続けていました。
「どう笑っていたのか、思い出せない。」
毎日、最低限、生きるためだけの日々。
食べたいものが、わからない。
どんな服を着たらいいか、わからない。
何もできず、家の廊下に2時間座り続けてしまう。
目の前で泣いている両親を見ても、何も感じることができない。
眠れず、夜な夜な涙があふれてしまう。
そんな風に毎日を過ごしていると、ふと、「自分の気持ちがわからない」ことに気づきました。
「嬉しいって、なんだっけ。」
「つらいって、どんな感じだっけ。」
「どう笑っていたのか、思い出せない。」
自分が自分でないような。
自分の中身がからっぽになったような。
そんな感覚だけが残っていました。
「あぁ、自分は絶望していたのか。」
ある日、地下鉄に乗っているとき。車内の向かい席の窓に映る、生気のない自分の顔を見たとき。
「あぁ、自分は絶望していたのか。」
という声が、自分の中で響きました。
経験したことがないほど無力の自分。
何もできずどこにも行けない自分。
そんな自分の未来に小さな希望すら見つけることができなくて、こみあげてきた声でした。
そして、電車を降りホームに立ったとき。
「何も感じることができない今なら、怖いとも思わずに、電車に飛び込んでしまいそうだなぁ。」
そんな考えが頭をよぎって。
そのときはじめて「このままの状態でいることは最悪の事態につながるのかもしれない」ということを理解しました。
そして「このままではいけない」という使命感にも似た感覚だけを持ち、その日を境に「どうすれば自分の気持ちを取り戻せるか」を考えるようになりました。
「あぁ、生きてるなぁ。」
何もかもを失ってしまったようでしたが、かろうじて考えることはできていました。精神的にも肉体的にも、両面から整えることが必要だろうと思い。
まず始めたのは、ランニング。
運動不足を解消しようと思い始めました。走ることで自分の心臓の鼓動と体の熱を確かに感じることができて。
「あぁ、生きてるなぁ。」
ということを、感情がない中でも身体感覚で理解することができました。
逆に身体感覚がなければ自分の気持ちがわからない状態だったので、毎日、必死に、すがりつくように、ランニングをしていました。
そして、日記もつけ始めました。
その日あったこと、感じたこと、なんでもいいからとにかく書き出していました。毎日でなくとも気の向くままに。
自分の気持ちにつながりそうなことをメモしておくことで、日々の生活の中から自分の感受性を上げていきたいと思い。
少しだけでも感じることができたなら、その小さな気持ちを認めてあげて、受け入れるようになりました。
「はじめて話す気がします、こんなに弱い自分について。」
この時期、対面のカウンセリングも受けていました。
当時オンラインカウンセリングを知らず、cotreeを使う機会はなく、広尾のカウンセリングルームに通っていました。
最初は「自分のことを話すって、なんなのだろう」と思っていましたが、話すうちに意味がわかってきました。
まず、いま感じていることをただ話す。それだけでも自分の気持ちをメタ認知する訓練になる。それができるようになったら、どうしてそう感じるのかを少しずつ掘り下げていく。
「はじめて話す気がします、こんなに弱い自分について。」
そんな言葉がでるくらい、自己開示が苦手でした。
でもカウンセラーさんとの対話を続けるうちに、少しずつ自己開示ができるようになっていて。
思い出すことも苦しかった一番負荷の高い時期の感情の話。
自分の中のどす黒い部分の話。自分の弱みや嫌いな部分の話。
今までだれにも言わなかった話を打ち明けることが、少しずつできるようになっていました。
不安定さや弱さをカウンセラーさんに受け止めてもらいながら、寄りかかりながら、今まで目を背けていたことを見つめることの大切さを、少しずつ学ぶことができたように思います。
また、カウンセリングでの大きな学びは、
『「頭」と「体」と「心」のバランスを保つことの大切さ。』
自分の場合は、思考だけが先行してしまい体の疲労も心の機微も考慮することなく、理論や計算上で成り立つ理想の姿を追い求めていました。
体も心も理想に届かない時は多々あり、そのたびに自己否定と自己嫌悪を繰り返してしまう。
それを繰り返すと、体も心も限界を迎えてしまうこと。強い思いやロジックだけでは成立しないこと。
それを身をもって経験した後だから、3つのバランスが大切だということが、ストンと自分の中に入ってきました。
「もしかしたら、この温かさが自分の気持ちなのかもしれない。」
高校時代、テニスに打ち込んでいたとき、メンタルトレーニングの一環として「内観」という方法があることを知っていて。時間だけはたくさんあったので、一週間泊まり込みで行う「集中内観」をやることにしました。
毎週日曜日から土曜日までの一週間、宿泊して集中内観を学びます。この間全ての日常を止め、外部との連絡を一切絶ち、朝5時から夜9時まで、内観の方法に従い静かに自分自身を見つめるのです。
白金台内観研修所
毎日朝5時起き、廊下の雑巾がけから一日が始まり、朝6時から1時間半振り返りをして、考えたことを内観法の先生に話す。そしてまた振り返る。それを一日中繰り返す。
具体的には、父母、祖父母、兄弟、姉妹、配偶者というような身近な人に対する自分の行動を
・していただいたこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと
という3つの観点で小学校低学年から年代順に具体的なエピソードを思い出し、自分自身のことや身の回りの身近な人々との関係をありのままに見直すのです。
白金台内観研修所
いま振り返ると、メモの魔力に書かれている「ファクト→抽象化→転用」とほぼ同じフォーマットで、自分の人生の中で起きたファクトというファクトを振り返っていました。
*
そんな修行僧のような生活をしながら何度も何度も振り返る中で、3日目くらいにはっきりと思い出す風景がありました。
幼稚園生のころ、園に向かうバスを見えなくなるまで見送ってくれる母親。そのバスが通る桜並木。春、新しい季節の桜が舞い散る風景。
その風景を思い浮かべたとき。非常に曖昧だけど胸の真ん中あたりが温かくなるような、不思議な体験をしました。
「もしかしたら、この温かさが自分の気持ちなのかもしれない」
そこに気づいてから、同じような感覚を探すように振り返りを続けて。
自分の内面と向き合い続けて一週間が終わる頃には、自分の心の機微をぼんやりと感じ取れるようになっていました。
「不安から、ただ必死に、逃げていただけだったのかもしれない。」
内観の後、海外放浪した後(これもまた別の機会に)、帰国をして落ち着いてきた頃。改めて会社に戻るかどうかを考えていました。
内観を通して自分の25年間を振り返って気づいたことは、自分を突き動かしていた根本のモチベーションは「不安と自己否定」だったこと。
「本当は自信がない。でも、周りの期待に応え続けないと……」
「期待に応えられないと、自信が持てない……」
小さな頃からずっと、いわゆる優等生で。両親の期待に応え、学校の先生の期待に応え、周りの期待に応え続けてきて。それを自分のやりたいことだと思い込んで。
そのためならひたすら努力をして、どんどん成長して。成長している状態では確かな手応えを感じることができていました。
ただ、必死に駆け抜けている間、自分の気持ちに平穏はなかったことに気づきました。
「不安から、ただ必死に、逃げていただけだったのかもしれない。」
カウンセリングで自分と向き合う姿勢を持てたこと。人生全体を俯瞰して振り返ったこと。一時は自分のすべてを注いだ会社を外から見ること。
色々な体験で得た学びを通して、初めてとても大切なことに気づくことができました。
「会社って、生き物みたいだな。」
会社を外から見て、もうひとつ気づいたことがあって。
「会社って、生き物みたいだな。」
細胞が自己修復するように、誰かが抜けてしまった穴は誰かが代わりに埋めていく。
在職時は「自分以外に誰がこんなに仕事をするのか。自分がやるしかない。」と思っていた仕事が、自分がいなくても確かに回っていることを外から見ていて。(もちろんたくさんの人の多くの苦労の上に成り立っていることですが。)
それに気づいてしまったとき、寂しいような、切ないような、清々しいような、うまく言葉にできない気持ちになりました。
「よく晴れたなぁ。散歩でもしようか。」
そして退職というものに対して、
「ここで立ち止まることは市場的に見ると停滞かもしれない。けど、走り続けることしかできなかった自分にとっては、むしろ大きな前進だ。」
そう、捉え直すことができました。
本当に色んなことを考えて、たくさんの経験をした上で出した結論で。
「いつ誰に聞かれても胸を張って同じことが言える」と確信を持てたとき、退職を決意することができました。
そのときの気分は、
「よく晴れたなぁ。散歩でもしようか。」
そんな爽やかな気分でした。
(きれいな形で退職できず、たくさんの方に迷惑をかけてしまい。在職中に挨拶できなかったお世話になった方々には、後日個別でご連絡したりご飯に行かせていただいたりしました。)
「自分の体験に根ざした気持ちを軸に、職場と仕事を選びたい」
そこから数ヶ月経ち、徐々に社会復帰をしていこうと思ったとき。
次に働くときは他人や周りの期待に応えるのではなく、「自分の体験に根ざした気持ちを軸に、職場と仕事を選びたい」と思っていました。
言語化していくと「メンタルヘルス×ベンチャー×メディア×個人向けサービス」という軸になりました。
メンタルヘルス軸は、精神的に崩れることから一番縁遠いと思っていた自分でも崩れてしまうくらいだから、自分の周りにいるバリバリ働いている友人たちにも同じことが起きてもおかしくないと実感したから。自分の大切な人に困難が訪れたときに、心からおすすめできるサービスがあったらいいなと思いました。
ベンチャー軸は、一緒に働く人と密にコミュニケーションを取りたいと思うから。長い時間をともに過ごす大切な人たちのことはなるべくなら深く理解したい。また会社にも深く関わりたいので、社長含め全メンバーと距離が近い方がすき。
メディア軸は、前職で長い期間コンテンツマーケティングに関わっていたから。コンテンツ制作からSEOまで、幅広い範囲で一定のバリューを出せると自信を持って言えるから。
個人向けサービス軸は、自分の関わったユーザーさんの声を直接聞くのがすきだから。法人向けサービスは大きな影響力を持てるかもしれないけど、影響力の大きさよりも関与の深さを大切にしている。
以上の軸で探しているうちに、soarさんで櫻本さんの記事を見つけました。
「cotreeから見える景色を、見てみたい。」
自分のなかの感性が失われていくような感じがあったんです。具体的には、担当企業のリストラ費用、数百億円の裏にある数千人の生活に想像力が及ばなくなるような……。数字の意味に考えを巡らせることもなく、合理的か合理的でないかという考え方が、自分の生活すら支配していた気がします。
soar|気負わず「弱さと向き合う」時間に、生き方を変えるチャンスがある。
効率と成果を求めすぎて気持ちがわからなくなってしまった自分と重なりました。
無駄な時間をなくして、生産的であらねばならない、自分の気持ちを後回しにして、会社に求められる自分でなくてはならない、環境に合わせて自分を殺すみたいな……。
soar|気負わず「弱さと向き合う」時間に、生き方を変えるチャンスがある。
周りの期待に応えて、自分のやりたいことがわからなくなっていた自分と重なりました。
やさしい雰囲気の中で語られていた多くの言葉に強く共感して。
カウンセラーとクライアント、そして運営。一歩間違えばどこかに偏ってしまいそうな三者の幸せをひたむきに目指す強い決意のようなものを感じて。
これまでの社会人生活で「より早く、より強く、より効率的に」という価値観でしか生きてこなかった自分の人生でしたが、
「cotreeから見える景色を、見てみたい。」
そう思い記事を読んだ当日にたまたま掲載されていたメディアインターンの求人に応募をしていました。
「cotreeで働いてみたい。」
田町の雑居ビルの一室で、櫻本さんと初めて話した日のことはよく覚えていて。
cotreeでやりたいこと。そのためにまだまだ社会からの認知もサービスの洗練も足りないこと。でもゆっくり丁寧にサービスをつくっていきたいこと。社内の人のことも大切にしていきたいこと。
たくさんのことを話して、いろんな疑問もぶつけて、ゆっくり理解して、しっかり納得して。またやさしさと強さが共存した人柄にも惹かれて。他のメンバー全員とも話をして。
「cotreeで働いてみたい。」
という気持ちが強くなりました。
たまたまタイミングよくメディアに力を入れていきたいということで、メディア運営担当というポジションで参加することが決まりました。
cotreeの「いきものがかり」
現在はcotree.jpのグロース担当として、KPI設計からマーケティング全般、サイト方向性決め、UI・UX改善、メディア・広告運営等々を幅広く担当しています。
最初はメディア運用だけでしたが、cotreeを伸ばすために必要なことを勝手にどんどんやるうちに、気づいたら幅広い範囲を担当していました。
また個人的に、会社を「生き物」だと思うように、サービスもそれ自体に意思がある「生き物」のようなものであると考えていて。
クライアントさんやカウンセラーさんの使いやすい形を今のサービスから削り出していくような。すくすく成長するための環境を整えるような。そんな意味を込めて。
自分のやっていることを「いきものがかり」と言うことがあります。
「前よりは、やさしく、つよく、なれている気がする。」
働いていくうちに気づいたことは、cotreeのメンバー全員が「やさしくて、つよい」人だということ。
全員が全員、とても個性的で、やさしい部分もつよい部分も少しずつ違うけど。個人的には共通している点があると思っていて。
「自分が感じた痛みを他の人には繰り返さないようにする、やさしさ」
「ビジョンやミッションに共感して、困難を乗り越えながら、同じ目標を目指すことができる、つよさ」
そうした「やさしさ」と「つよさ」を持ったメンバーと一緒に働くこと。サービスにおいても「やさしさ」と「つよさ」を考え続けること。
そうしたことを通して、自分も前よりは、やさしく、つよく、なれているような気がしています。
*
メンバーのことは本当に信頼していて。仕事に関する悩みや弱み、できていないことなど、「これを言ったらよく思われないかも」と思うようなことでも、よく話しています。
またメンバーには本当に感謝もしていて。これからの自分の行動で恩返しをしていきたい。また、これから先の景色を一緒に見るためにまだまだ一緒にがんばりたい。
そう思わせてくれるcotreeのメンバーがすき。
「人の人生に寄り添ったサービス作りをしていきたい。」
櫻本さんがずっと言い続けている言葉に「心のフィットネスジム」というものがあります。
cotreeは『心のフィットネスジム』として、現代人が身体を鍛えるためにジムに通うのと同じように、心の問題と向き合えるサービスを目指しています。
心のケア、オンラインで市場拡大 目指すは「心のフィットネスジム」
不調を抱える前から心を鍛える。よい悪い状況に関わらず普段から自分を見つめる習慣をつくる。日々の生活にメンタルヘルスケアを取り入れるという意味合いで「心のフィットネスジム」という言葉を使っています。
正直なところ、そういったサービスになるための課題とやりたいことは山積みで。
だれでも始めやすいプラン。
その人に合ったカウンセラーをおすすめできるレコメンド。
継続しやすい料金と仕組み。
仮に一度やめても再開しやすい枠組み。
長い人生の変化に寄り添い続けられる。
困ったときにはすぐに使える。
携帯のTOP画面に置いておくだけでお守りになる。
やることはたくさんあるのですが「人の人生に寄り添ったサービス作りをしていきたい。」いうことは常にメンバー全員で話しています。
*
心やメンタルに向き合うこと。
不調を抱えていることを自分で認めること。
他人に相談をすること。
そういったことにまだまだハードルを感じることは多いと思います。かくいう自分も以前はそうでした。
弱音は吐かないと決めている。
強がっている自覚は全然ない。
がんばれば絶対になんとかなる。
そんな強い人に憧れをもって、自分も強く強くあろうとしていました。
ただ、自分の体験やcotreeで働きながら、少しずつ弱さと向き合うようになって。
自分の中にある弱さと向き合うことも、強さなんだ。強い自分も弱い自分もまるっと含めて自分なんだ。
そう思うことができ、今まで入っていた肩の力が抜けて、自然体であられるようになって、生きやすくなったと思っています。
*
生きづらさを表に出しづらい空気や雰囲気を変えていくのは簡単ではありませんが、時間はかかっても、不可能ではないと信じています。最近になって、少しずつ変わってきているような手応えもあります。
「cotree、使ってるんだ」という言葉がポジティブになるような。
「cotree」を使えば、何か良いこと起きるような。
「cotree」を使う、それだけでかっこいいことになるような。
自分たちとサービスが、ユーザーさんからもその周辺の人たちからも、信頼されるサービスになりたいと思っています。
*
「cotreeなら使ってみようかなぁ」
あらゆる種類のサービスがどんどん生まれ続けている時代。メンタルヘルス業界を含め、サービスと運営者への信頼が利用を決める大事な要素になると考えてます。
しかし、信頼はお願いして得られるものではありません。
大切なのはきっと「どんな価値観で、どんなことを言い、どんな行動をしているか。」
真摯で誠実になれているか。
やさしく強くあれているか。
そのために行動できているのか。
誰にいつ問われても自信を持って答えられる。自分たちが自分たちがやっていることに胸が張れる。
一つ一つの小さな信頼の積み重ねが
「cotreeなら使ってみようかなぁ」
という信頼を生むと信じています。
正解のない難しい業界の中でも、真摯に誠実に、サービスを作り上げていきたい。
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cotreeのビジョンの文章で、個人的に特に共感している文章があります。
「ひとりひとりの生き生きした物語に溢れた社会をつくるために、まずは私たち自身がその体現者でありたい」
ユーザーさん一人ひとりの物語を紡いでいく支えになるために、まずは自分たちから物語や思いを発信することが大事だと思っています。
よい部分もわるい部分も、まるっと含めて。個人としてもサービスとしてもまだまだ至らない点が多いのですが、それもまるっと含めて発信していきたい。
「気軽に使っていい。寄りかかっていい。」
オンラインカウンセリングの認知度はまだまだ低く、カウンセリング自体の活用のされ方の認識にも偏りがあると感じています。
・カウンセリングってメンタルが崩れた人が使うんでしょ?
・自分には縁のないことだと思う。
・周りにカウンセリングを受けていることを言いづらい。
まだまだそういう声を聞くこともあります。ただ、伝えたいことは、
「もっと気軽につかっていい。もっと寄りかかってもいい。」
お昼休みや仕事終わりに、マッサージや温泉に行くように使ってほしい。空いた時間にそのときの状況に合わせて自分をメンテナンスする感覚。
休日まとまった時間があるときは、日帰り旅行に行くように使ってほしい。少し集中して自分と向き合う時間を確保する感覚。
あらゆる人に即時的な効果が出せるような魔法のような手法では決してないのですが、
第三者視点を持つ専門家に相談できる。
オンラインで、いつでも、どこでも。
なるべく使いやすい価格とプランで。
変化が大きく不確かものが増えるこの時代の中で、不調や困難に備えていくことやいつでも避難できる場所の重要性は、日に日に増していくように感じています。
cotreeだけではすべての人の支えにはなれないかもしれないけど、大きな流れのきっかけを生み出せたらとてもうれしい。
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臨床的な部分とビジネス的な部分、その両面を大切にしながら、cotreeを育てて、広めていきたい。
色々な人にご協力をしていただきながら、cotreeらしさを大切にしながら、もっと信頼されるサービスにしていきたい。
日常の中で自然に使えて、思わず人に紹介したくなるサービスにしていきたい。
これから先も、ユーザーさんとカウンセラーさん、応援してくださる方と一緒に手を取り合って、がんばっていきたいと思います。
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これは運が良かった男の話
書いてみて、「自分は運が良かっただけなんだ」ということに気づきました。
「あのとき、あの人に会っていなければ」
「あのとき、これをしていなければ」
「たまたま、それをしていただけだった」
いろいろな人と出会い、さまざまな体験をして、たまたまある一つの選択を選んでいただけ。
本当に苦しい状況から日常に帰ってこれたのは、ただ運が良かったから。どれだけ努力してもどうにもならないような状況も、きっとある。
これまで歩いてきた人生の道のりを振り返ってみると、ただただ、偶然が積み重なっているだけ。当時は何がどう繋がるかもわからない。点はただ繋げられることを待っている。
だから、これからも自分にできることは、ゆくゆくつながるかもしれない点を一つ一つ増やしていく。そのために目の前の一つ一つに真摯に向き合う。ただ、それだけ。
このnoteを書いたことも「いつかどこかにつながれば万々歳だなぁ」という淡い期待を持ちながら、これにて自己紹介とさせていただけるとうれしいです。
引き続き、どうぞよろしくお願い致します。
ひらやま
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TOP画像は、新宿御苑の紅葉。前職のカメラ部にお邪魔したときに良いカメラで撮っていただいた写真。
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次におすすめの記事はこちら。自分の人生哲学をアップデートした話。
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公式マガジンに乗せていただきました。うれしい。。
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みなさまから感想とひらやまのコメントを追記。
cotreeとの出会いは奇跡的で、当時のタイミングでなかったら入れなかったと思う。だから今いることは当たり前ではなくて。cotreeに出会えたことにも、櫻本さんとメンバーに出会えたことにも、ユーザーさんに出会えたことにも感謝しかない。ありがとう、cotree。ありがとう、みんな。
#わたしとcotree
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お読みいただきありがとうございます〜!今の気持ちをそのままに書かせていただいたので、何かのメッセージとして受け取っていただけていたら嬉しいです〜!関わってくれる人も少しずつ増えてきて、今まで出来なかったこともようやく少しずつできるようになってきました。引き続きがんばります。
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わー、ぱーくさん!こんな長文読んでいただきありがとうございます~!ありのままをつらつらと書いているだけなので、何か感じていただけるものがあったならうれしいです。また飲みにいきましょ~!
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言葉選びは毎回気をつけながら書かせてもらってます。自分の体験が誰かの役に立てるとは思っていませんが、誰かの何かのきっかけの一部になれたらそれだけで嬉しいです。
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