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2日間で330人以上のnoteを通して、「読むこと」の価値を再確認できた話。

12/31と1/1、狂気の企画をやりました。

一体何が起きたのか、やってみて思ったこと、よかったこと、次やりたいことがたくさんあったので、まとめておきます。

何が起きたのか

上記のツイートが18万インプレッションもして、560件もいいねをもらいました。結果330人以上の方のnoteを読み、一つずつコメントさせていただきました。

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12/31の朝時点では、完全に想定以上の広がりをみせていき、1つコメントする間に2以上がいいねがつく状態で、やればやるほどやることが増える状況になりました。

途中で打ち切ってもよかったんですが、noteを読むこと自体はすきなので、「やれるところまでやってみよう」とコツコツやってみました。

そして1/1の21時ごろ、なんとかみなさんにコメントを返し切ることができました。

(このお礼ツイートにも100以上いいねがつくやさしさよ。。もう、最高かよ。。)

やってみて思うこと

他人の人生を垣間見れた

誰かのnoteを読むと、その人の一部に触れたような感覚になります。もちろん書かれている内容により感じることは違うのですが、丁寧に書かれているものからはその人の魂のようなものを感じます。ただの文字なのですが、とても不思議です。

2日間で330人以上の人生に少しずつ触れる機会はなかなかなく、これから先ももうないかもしれません。今回できた小さなつながりを時間をかけて、育てていきたいと思っています。

自分はけっこう泥臭い側面もあるので、お会いしてお話しできたらいいなぁと思うことも多々ありました。気になる人には会いにいく予定です。


大変だったけど、楽しかった

みなさんからも心配してもらっていましたが、少しだけ大変でした。初めましての方もたくさんいて、プロフィールや他のnoteも読みながらコメントするのは、正直骨が折れました。

ただ大変さに余りあるくらい、noteを読むことは楽しくて、人の物語の一部に触れながら読むことができました。

いつもと違う人や文章に触れることで、いまいる自分の場所がはっきりしてきたようにも感じます。


noteの広がりを感じた

noteを開くたびに、そこには普段接することがないジャンルの人たちがいました。

プロボクサー、日本代表、大道芸人、障害を持っている人、画家、高校生、中学生、小説家、研究者、珈琲屋さんなど

noteがあらゆるジャンルの人たちの表現のためのサービスとして活用されていることが、肌で実感できました。そんな広がりを見せるnoteを自分も使えていることは、とても嬉しいことでした。

(仮にcotreeがここまでの規模になったとき、あらゆるものが足りていないなとも痛感しました。改めてnoteを見習って磨きをかけていきたいです。)

やってみてよかったこと

フォロワーの人と改めてやりとりできた

普段やりとりする人たちは、実は固定化されてしまっていたかもしれません。今回の企画を通して、前からフォローしてもらってたけど、普段あまりやりとりしてなかった人たちとコミュニケーションできました。

noteを読んでからのやりとりは、初めましてのやりとりなのですが、なんとなく相手を掴んだ形でお話しできるので、仲良くなりやすいのかもしれません。

こうしたやりとりはとても楽しいので、noteでもTwitterでも、つながりがある人たちと一緒に楽しめる企画を継続できたらいいなと思います。

オンラインでもオフラインでも、ゆるやかにつながっていけたらうれしいです。


新しい人の物語に出会えた

全然知らない人とたくさん出会い、普段とまったく異なるテイストのnoteにたくさん出会えました。

「いいねをもらう」ということは自分にとっては受動的な行為ですが、だからこそ不確実性の高い偶然が生まれたような気がします。

「計画的偶発性理論」を提唱しているクランボルツ教授は、偶然を機会に変えるには以下のようなスタンスが大切だと提唱しています。

(1)「好奇心」
たえず新しい学習の機会を模索し続けること

(2)「持続性」
失敗に屈せず、努力し続けること

(3)「楽観性」
新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること

(4)「柔軟性」
こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること

(5)「冒険心」
結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

https://furikake.doda.jp/article/2018/09/10/52.html

今回の企画は、上記の条件にうまくはまってくれたような気がしています。これからも新しいことを少しずつ始めていきたいです。

たのしげなやつだと思われた

どうやらここまでやり切れる人は多くないようで、面白いことをやっている人だと思っていただけたようです。

「せっかく始めたからみんなに返そう」という気軽な気持ちで続けていたら、周りの方がザワザワしていました。

たぶん始めからこういう影響があることを狙っていたら、こんなにやり切れなかったと思います。不思議ですね、ほんとに。結果を手放していたからこそ、できたのかもしれません。

やりたいこと

定期的かつ限定的に復活させたい

同じ形のものを定期的かつ限定的にやろうと思いました。今回ほど数はこなせないと思うのですが、先着50人くらいで。

不確実性に身を委ねながら人と関わってゆき、普段は触れないかもしれない人の人生に少しだけ触れる。

そんな機会にできたらと思います。

もっと深く読む企画をしたい

実は一人のnoteを全部読むことをたまにしています。(noteの加藤さんや深津さんなどは全部読みました。) 全部読んでみると、その人の思考の流れや全体とした大切にしていることがうっすらと見えてくる気がします。

その上でもっと直接話せたり質問できたりすると、noteに書かれたいないもっと裏側が聞けそうだと、密かに思っていました。

今回一人一つずつnoteを読む形でしたが、もっと一人にフォーカスを当てた企画もやってみてみたいです。

例えば、ひらやまが話を聞きたい人をお呼びして、ひたすらその人とnoteを深掘る会。一緒に聞く人は10人くらいに絞って、その人たちにも全部noteを読んでもらう。

そんなやりとりされる会話の密度の濃い空間をつくってみたいです。

相互に読み合う企画もやりたい

#ひらやまの推しnoteを聞きたい というタグで今回コメントした方にリプをしています。せっかくなのでひらやまのnoteの中でも、すきなものがあったら教えていただきたく!

(超喜ぶので、ぜひ教えてくださいw )

今回に限らず、noteを読み合って感想を言うのは面白そうなんですよね。なんとなく思ったことを言い合えれば十分だと思います。これもやりたい。

あとがき
「読むこと」には価値がある

いいねをくれた方、応援してくれた方、コメントをくれた方、本当にありがとうございました。

普段から色んな人のnoteを読んでいるのですが、今回改めて人のnoteを読むこと、感想を伝えることにたくさんの価値があることを感じました。

普段noteを書いていてもシェアやコメントなどで感想はもらえますが、偏ったりそもそも数読まれないとシェアしてもらえなかったりします。

思うとコンテストなども優秀な作品にはフィードバックがありますが、その他の作品たちには特にコメントがあるわけではありません。

noteの書き手が増えていく今、書いて表現した後、読んでもらってフィードバックをしてもらう体験が、もっともっと増えてもいいんだろうなと、今回の企画を通して感じました。

書くことは読者を育て、また読むことは書き手を育てることにもつながっていくのだと思います。自分ができる範囲で、良い循環を回していきたいです。

書き手としても読み手としても、これからもどうぞよろしくお願いします。

読み手としてのスタンスをまとめてみました。セットで読んでもらえるとうれしいです!

こっちもたくさん読んでもらっています。よかったぜひぜひ。

TOP画像は、cotreeオフィスでnoteを読むひらやま。良い光が入ってくれるだいすきな場所。


最後まで読んでいただきありがとうございます。