5月6日(月)
書くことは、一つの区切りをつけること。この日記で一週間を区切ってる。
夜にTwitterスペースを開いて来た人と雑談している。誰とも約束しないまま立ち上げるので、毎回誰も来ないかもしれないそわそわした気持ちを感じている。ありがたいことに、ほとんどの回で誰かが来てくれる。
話す内容は、近況の話や今度やるイベントの話、普段どんなコンテンツを読んだり聞いたりしているかの話など、さまざま。近々ラジオを始めたいのでその練習のために始めたけど、人と話すのは楽しいので、そっちの方がメインになっている。
ゴールデンウィークに連日オンラインで人と話していると、数年前にやっていた #ひらやまラジオ を思い出す。コロナ禍でオフラインで人と会えなくなってしまったので、オンラインで気軽に話せる場ができたらいいなと思ってやっていた。
同じことを繰り返していないだろうかと心配になるけど、まったく同じことにもならないだろうとも感じる。最近の東京の気候は、夕方のベランダでワイン飲みながら雑談するには最適でたまらない。
サタルニアのオーバル皿を買ってから、何入れても様になるのでこればかり使っている。パスタもチャーハンもこれ。
行きたい展示に行ける確率が上がっていて嬉しい。
展示初日に行くか最終日に行くかの二択になりがたちなので、もうちょっとスケジュールに余裕を持たせていきたい。
スペースで雑談していて、「タイミングが合わない人っているよね」という話になった。体感としてもわかる、どうしようもなく予定が合わなかったり気分が乗らなかったりする人と時期がある。
そういう時、個人的に心がけているのは、先読み深読みしすぎないで、こちらから予定を再調整し続けること(こちらの気分が乗らないなら無理にしろとは言わない)。タイミングが合わないことの裏には様々な要因があるだろうけど、こちらからできるのはそれくらいだと思っている。
そもそも予定が合って誰かと会えることは奇跡的なことで、タイミングが合わない方が自然なことなのだ、と自分に言い聞かせてる。
タイミングが合う時は、あらゆる物事が驚くほどスムーズに進み、仮に障害が発生しても乗り越えられてしまうのは、本当に不思議だと思う。あれはなんなんだろう、たまにあるんだよな。
昨日、NHKスペシャル『山口一郎“うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~』を観た。自身の状況を語りながら時折浮かべる笑顔を見て、そこに至るまでの道のりを想像して、胸が苦しくなった。
思うことはたくさんあったが、”喪失の受容”というテーマを強く感じた。抑うつ感には強弱長短さまざまあるが、昔と同じ形には戻れないような強い衝撃をもたらすことがある。
何か自分にとって不都合なことが起きた時、それが、それを知らなかった前には戻れなくなる決定的な瞬間だったと認めることは、とても難しい。自分の中から何かが永遠に失われたことを認めなければ、それまでとは異なる自分に変われない時もある。
うつ病に限らず、病気でも怪我でも離別でも老化でも同じことが言える。わかりやすいものもわかりにくいものも、人は日々あらゆるものを失いながら生きているが、それを自覚することは多くない(自覚していたらキリがないしつらいから)。喪失を自覚しないといけない時になってから向き合えばいいと思うが、いつか失うことになるということへの理解と覚悟はしておいて損はない。
また別の場所でもう少し細かく書きたいな。
5/18にうまく聴けるようになるためのワークショップ(もっとざっくり言うと人と仲良くなるためのきっかけをつかむような)で、おざぶを使ってもらう。
スペースで主催のしんちゃんさんとお話したが、人と人とのコミュニケーションを真摯に考えている人だと感じた。友人から紹介してもらってワークショップ開いてもらうことになったけど、よかった。まだ若干名なら受付してるそうなので、興味ある方いればぜひぜひ。
こつこつ書いてる詩たち、数が多くなってきたので、初めての読む方向けの10本を選んでみた。順次入れ替えたりする予定。