これからの「生き方」の話をしよう
ずっと前から「生き方」というものに興味がありました。
高校生のときから答えのない問いをずっと考えていて、「どんな風に生きたいか」と聞かれたら、「明日死んでもいいように生きたい」と答えられるようになりたいと思っていました。
自分は当時その言葉の意味を以下のように捉えていました。
でも最近になって、「違う意味なのかもしれない」と思うようになりました。
その言葉の意味は、もっと生々しくて、不完全で、人間らしく生きることなのでないか、と思ったのです。
強い言葉との出会い
高校生二年生のとき、セネカの「生の短さについて」という本に出会いました。そこに書かれていたのは、何千年も読み継がれてきた強い言葉たちでした。
高校生ながらハッとしたことを覚えています。人生はいつ終わってもおかしくないのに、終わりを自覚する機会はほとんどない。目の前の平穏がずっと続くと思ってしまう。
しかし現実には、平穏がずっと続くことはないと思うのです。
確率の低い危機を日々強く感じることはないのですが、危機を感じないからといって、危機がなくなり誰もが永遠に生きられるわけではないのです。
高校生ながら人生の短さに腹落ちしてからずっと、確かなものを探していました。
何かを成して何者かになりたい願望
大学生、社会人になった自分は、いつもどこかにゴールを求めて確かなものを探していました。「生き方」について、わかりやすい答えがないことを理解していても、思わず探してしまうのです。
脅迫的とも言える、強い達成欲に突き動かされ続けてきました。何かを達成して次を探して、また達成して次を探して。そんなことをずっと繰り返していました。
人生の終わりを意識する体験
2018年の冬、人生で最も大きく体調を崩しました。そんな危機が訪れるとは少しも思ってなかった自分にとって、体調を崩す経験は大きな衝撃でした。
その経験は自分に人生の終わりを意識させるものでした。
人生の終わりを意識することは、自分の中の「明日死んでもいいように生きたい」という言葉の意味を少し変化させました。
「後悔をなくすこと」が幸せに近づくことだと思っていた自分の考えが、少しずつ変わっていきました。
他人の人生の終わりを意識する問い
一ヶ月ほど前、ある友人から相談をもらいました。
とても難しい相談でした。選択肢は無限にありそうで、どの選択も正解ではなく後悔が残りそうな状況だと思いました。
色々な角度から返事を考える中で、気づくことことがありました。
困難な状況において、どんな選択をしても後悔がなくなることはなく、自分が選べる選択肢は常に一つで、できなかった選択肢は残ります。
後悔の念は、きっと人生の終わりの日でも残ってしまうと感じました。
人生から問われているのは「意思」と「姿勢」
何をしても何かの後悔が残ると考えたとき、自分の中で相談への向き合い方が変わりました。
困難だとしても、受けとめて選択する。それしかできないと思いながら、相談に答えました。
困難な状況に直面して人生そのものに問われることは、何を選ぶかよりも、どうして自分がその選択をしたいか。正しい答えを探すより、選んだ選択をどう捉えてより良いものにできるか。
現実を自分なりに捉える「姿勢」と、自らの「意思」で選択をすること。その2つが問われていると思いました。
姿勢:現実のどこに光を当てるか
姿勢とは、目の前の現実をどのように捉えるか。同じ状況を見ても一人ひとり感じ方が違う中で、自分はその状況のどんな側面に光を当てるのか。人に向き合う場合では、その人の何を信じるかということかもしれません。
カウンセラーがクライアントに臨む「態度」に近いものだと思います。
同じように、人が人生に臨む「姿勢」が大切だと思うのです。
現実をどのように捉えるかは、自分が決められると信じています。少しずつだとしても、人は願う方向に進めると信じています。
意思:何を選び、何を選ばないか
意思とは、捉えた状況に対して、自分がどんなことをしたいのか。極端に言えば、たとえ自分以外のすべての人が反対したとしても、自分はどんなことをしたいのか。
言い換えると、何を選ばないかを決めること。自分の尊敬する上司からもらった言葉があります。
「何をしたいか」を決めることは「何をしたくないか」を決めることでもあります。
「何をしたいか」「何をしたくないか」など、色々な角度から自分の意思を照らすことで、自分の気持ちの解像度を上げることができます。
自分なりの「意思」と「姿勢」を持つ
たとえやり残しがあったとしても、自分の意思と姿勢に嘘偽りがなく納得感があれば、きっとどんなことも受け入れられると思うのです。
どんなことを達成したかではなく、「自分が大切にしたいことを大切にできるか」「やりたいことを、やりたいように、やれているか」が大切なのだと思います。
自分の意思と姿勢を考えていると、「明日死んでもいいように生きる」という言葉の意味が再び変化していきました。
「いま、ここ」において、自分なりの意思と姿勢を持てているか。それを実行できているか。そんなシンプルな意味になってきました。
スティーブ・ジョブズの有名な言葉は、人生に対する意思と姿勢を問うものです。
不完全さを受け入れて、人生を受け入れる
臨床心理の第一人者に、河合隼雄さんという方がいます。(cotreeでも個人的にも河合さんが書かれた本を読んで勉強させてもらっています。)カウンセリングの終わり方に関する文章が、心に残っています。
自分の生き方の不完全さを受け入れ、完全に不完全さを受け入られたとき、人は自立できる。一人で生きていくことができると、河合さんは言います。
カウンセリングの終わりと向き合う姿勢は、人が人生と人生の終わりへの向き合い方に共通するものがあります。
「長い人生で何を成すか」ではなく、「日々をどのように生きていくか」が大切だと思うのです。
たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日と同じ日を生きたい
ずっと大切にしてきた言葉ですが、「明日死んでもいいように生きる」と答えきることに抵抗感がありました。
何かを諦めてしまうようなニュアンスがあり、自分の中の大切な価値観の一部を含んでいないような気がしていました。
そんなことを思いながら過ごしていると、星野道夫さんが書かれた「旅をする木」の中で、すてきな言葉を見つけました。
人生と世界の終わりを受け入れてもなお、 自分の意思を貫こうとする。未来の希望を信じ続ける姿勢。
人生の終わりにすることは何も特別なことでなくていいのだと思いました。
今日していることを人生最後の日もしたいと思えることは、とてもすてきだと感じました。
「意思」と「姿勢」を大切にしながら、日々を過ごす
そして幸運なことに、自分は今、明日人生が終わるとしてもやりたいと思えることを、日々できているということに気づきました。
そう思えるくらい、日々が充実しています。
自分の「生き方」というものを考え、noteを書きながら向き合うことを通して、日々の充実に気づくことができました。
このnoteを書きながら、これまでのさまざまな幸運と自分の周りにいる人、出会ってくれたサービスへの感謝の気持ちでいっぱいです。
自分はきっとこれからも、色々な人に出会い色々な経験をして少しずつ変化をしていくのだと思います。ただ自分がどれだけ変化しても、大切なことはいつも少しだけなのです。
自分なりの「意思」と「姿勢」を大切にしながら、日々を過ごしていきたい。
とても不思議な気持ちですが、このあたりで筆を置きたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
まとめ
あとがき
最後まで読んでいただきありがとうございました。
実はこのnote、書くのに一ヶ月ぐらいかかってしまいました。書いては消して書いては消して、自分の中にある大切な点と点を紡いでいくような時間でした。
「生き方」という壮大なテーマに対して、現時点での自分なりの想いをなんとかまとめられたことをうれしく思います。
考えをまとめることで自分と世界が変わることがほとんどないのですが、日々を充実させるためには、自分がいま考えることへの解像度をあげていくことが大切だと感じます。
このnoteが、読んでくれた方の、何かのきっかけの一部にでもなれたら、心からうれしいです。ありがとうございました。
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TOP画像は、沖縄・波照間島。日本有人島最南端の碑と一緒に。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。