少しだけnote休むひらやま
ホテルのロビーで、「あと数日でnoteを休むんだよなぁ。」と考えたことがありました。そのときの感覚が忘れられません。
しんと静まりかえった空気
窓に映った落ち着き払った顔
懐かしいような不思議な気分
終わりを意識すると、なぜだか落ち着くことがありました。それは普段終わりのない日々を過ごしているからかもしれません。
何かを終わりにすると、力が湧く。
個人として大切にしていることです。それまで使っていたパワーを新しいことに向けられるような気がしています。
ただ何かを終わりにすることには、少しだけ怖さがあります。現状維持バイアスやサンクコストなど、変化の前にはつい尻込みしてしまいます。
なので少しだけ怖さを感じることに挑戦することを大切にしています。自分のコンフォートゾーンから半歩だけ踏み出して、今までの自分への相対的な視点の獲得と新しい可能性の片鱗を見ることが、とてもすきです。
可能性に、開かれていること。
今日のcotreeのランチで出てきた言葉ですが、自分の人生のテーマの一つだと感じます。
「変化しなければ」と囚われることなく、「変化することができる」という可能性に開かれた状態が、心地よいのです。
あらゆる機会は一瞬で目の前を通り過ぎていきます。その一瞬を逃すことなく、軽やかに機会を掴めるような自分でありたいと願ってしまいます。
自由に、楽しむ。
noteを通して、大切だと気づけた価値観です。特に自ら表現をする行為には、わかりやすい正解といったものはありません。
「自分の人生を生きる」という曖昧なことにおいても、明確な答えはありません。その中で大切なことが、自由に楽しむことだと感じます。
何かのルールに従う必要も他の誰に追従する必要も、特にはないのです。自分なりの楽しみ方を発見し、それを実現していくことこそが、「自分の人生を生きる」ということにつながっていくと信じています。
始まりには、終わりがある。
「11日後にnote休むひらやま」企画を通して、ずっと感じていたことでした。この企画を始めなければ、終わりというものにきちんと向き合えなかったかもしれません。
自分から何かを終わらせることは、極めて自然なことなのだと思います。あらゆることの終わりが見えにくくなった現代において、忘れられがちなことかもしれません。
どんな旅にも終わりがある。
どんな人生にも終わりがある。
人が生きていく中で、始まりと終わりがまっすぐ結べない道がたくさんあります。曲がりくねったり寄り道したりすることこそが、人生の本質なのかもしれないとすら思います。
人の人生を単純化すると、生きて死ぬだけかもしれません。けど決して単純化されることのない一人ひとりの人生の中には、無限のドラマがあり無数の寄り道があります。
休んで寄り道するから、楽しい。
なんだかんだ、やっぱり楽しいからやってるんだと思います。人生に臨むような感覚で、noteという表現の場に臨んでいきたいと思います。
少しだけnoteをお休みをしますが、きっとまたすぐに帰ってきますので、これからもよろしくお願いします。みなさんもご無理なさらないように。
自由に、楽しく、いきましょ。
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TOP画像は、カフェラテを飲むひらやま。カフェに寄り道する感覚でのお休みです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。