日本人にとって、国際交流はなぜ大切か?
私は中学2年生の頃から海外の文化に興味を持ち、本格的に英語を勉強し始めました。
そこからはYouTubeや映画を通して、海外の文化に触れるものの、実際に海外の人と関わることはできないまま時が経ちましたが、意を決して21歳の時にアイルランドというイギリスの隣にある国に留学し始めました。
そこから、私の国際交流史が始まったのです。
留学中は韓国人の方のお家に住まわせてもらい、ハウスメイトは全員韓国人、学校でも日本人が少ない学校を敢えて選んだため、ブラジル、メキシコ、トルコ、イタリア、ドイツ、モンゴル、中国…
さまざまな国の方の関わり、それまで英語を勉強していたけれど、実際に英語を使って様々な国の人と交流したことがない当時の私にとって、とても大きな刺激でした。
そこから帰国後も、せっかく学んだ英語を使って仕事をしたかったため、フィリピン人、イギリス人と一緒に日本の子供達に英語を教える仕事をしましたし、そのあとは都内にあるホステルで仕事をして、毎日さまざまな国から集う人々と交流しています。
このnoteでは、そんな毎日"国際交流漬け"の私が、なぜ海外の人と触れ合うことがおすすめなのかを紹介します。
まず第1に、日本では"普通こうだよね"をすごく強く持っている人々が多いと思います。
なぜそうなっているかの理由は明らか、教育の現場での価値観形成が強いと思いますが、それは良い悪いという事はここでは言及しません。
身の回りでも良く、
『普通はこうするよね?』
『普通はこうあるべきなのに、〇〇さんはこんな事してたんだよ?』
なんてよく耳にしませんか?
日本という国は、ほとんど日本人(純ジャパニーズ)が国を形成していますよね。それに対して、海外(特に欧米)では移民をたくさん受け入れている国が多く、例えばアメリカ人と単に行っても、ヒスパニック系、アジア系、アフリカ系などなど、多種多様な民族や人種の方々で国が成り立っています。
そういった国と比べると、日本は他の文化や価値観が入って来にくいため、なんとなくみんな一様に、同じように、普通こうだよね?といった平均的価値基準が作られやすいと思います。
極端な話、一夫多妻制が普通である国の人に、『普通、浮気なんてしないよね?』なんて言っても、全く理解されるはずがありません。
もちろん頭では、"私は多種多様の価値観を受け入れている" と思っていても、実際に"普通"ではないことをしている海外の人と出会うと、自分の中でバッコーンと何かが外れる感覚があるのです。
そして何よりそんな"普通"を飛び越えて生きている彼らは、堂々と生きています。
日本では周りの目を気にする人が多く、自信を持って変な事をしてる人って、あんまり見ない気がします。
その日本の普通の概念を飛び越えた海外では、本当に日本ではあり得ない事を堂々と自信を持ってしている人たちが大勢います。
そういった行為は、もしかしたら私たち日本人にとっては不快に感じさせるかもしれません。
しかし彼らの国の人たちからすれば、それは不快でもなんでもなく、当たり前のことなんです。
それは単なる"違い"であって、不快やら快やらの感情は、受け取る側の問題で、日本人特有の空気を読む文化は海外にはないので、嫌なら嫌と言わないこちら側に責任があります。
そんな人たちを目の当たりにすると、こんな生き方をしても別に誰にも罰せられないし、アリだなあと実感できるのです。
こういった文化や宗教、その人たちの価値観の違いは、歳をとって自分の価値観が凝り固まってしまうと全く響かなくなってしまいます。
やはりまだ脳や体が柔軟なうちに、旅をして、たくさんの人に触れて、たくさんの刺激を受けるのは、今後の自分の生きやすさを何倍にも何十倍にも広げてくれるわけです。