モブ的生き方
私は地方公立大学という、社会に出たらある程度ステータスになり、ある程度の会社に就職できそうな大学に入学したにも関わらず、大学を中退しました。
まあ中退理由に至るまでの過程は色々あるので今日は省きますが、その後は東京に出て、怪しすぎるマルチ商法的なビジネススクールコミュニティの様な所に所属し、そのメンバーたちとシェアハウスをして、
『学歴を捨てた私は起業して成功するんだ!』
と、いかにもマルチに引っかかりやすい東京にゴロゴロいる若者の1人だったわけです。
先日もマルチ商法にハマっていた学生が、マッチングアプリを通してビジネススクールに勧誘していたことが分かり、経営者及び幹部らが、都政からスクールへの勧誘中止を勧告されていたのにも関わらず続けていたとのことで、逮捕されました。
そのニュースを見ていた母親は、『いつの時代もこういうのがあるねぇ』とぼやいていたのですが、
いつの時代も分かりやすく"手っ取り早くお金持ちになれる(という幻想)"にしがみつく若者が多いということは、それだけ成功に執着している人数が多いということでもあります。
その執着の裏にある欲求は人それぞれですが、私が言いたいのは、皆がいわゆる"成功"という山を目指しているのは少し不思議だなと思うのです。
私たちは資本主義の概念をまだ微塵も知らなかった幼少期に、"お金持ちになって成功したい"なんて思ったことがあるでしょうか?
資本主義を知らない子供たちは、お母さんやお父さんと一緒に遊びたいとか、友達とどこかに行きたいとか、〇〇で遊んでみたいとか。そんな、お金を使った、もしくはお金持なんて必要ない"結果"の方が欲求になっていたはずです。
ここで言う結果とは、"お金を使って、何ができるか?"ということです。
ディズニーランドには無料では行けませんし、公共の動物園でも多少入園料はかかります。
そう言った純粋な欲求の"結果"のために、お金という"手段"が必要だというわけです。
しかし成功にしがみついている大人たちは、結果ではなく手段にフォーカスを当てています。
お金を得た先に何をしたいのか、どんなライフスタイルを送りたいかよりも、お金を持つ事に目が入ってしまっているのです。
そんな擦れた人間の1人だった私も、大学中退後の1.2年間はどうやってお金を稼いで、成功するかにばかり目がいき、大卒の奴らより稼いでやるんだとばかりに、とにかく自分と他人をお金で比較していました。
しかし、いつしかどこかで元の自分に戻っていくようになっていきました。元の自分というのは、まだ資本主義も知らない純粋な心を持った自分です。
確かにお金は今の資本主義社会ではとても大切ですが、やはり手段でしかありません。
お金という概念を横に置いた時、自分は人生をどう生きたいのか?どういうライフスタイルなら幸せなのか。
その軸ができてからやっと、じゃあどれだけのお金があれば幸せを保てるのか。と考える方が健康的かつ持続的ではありませんか?
我々親世代、さらに祖父祖母の時代は、お金をたくさん持っている人が勝ち!というゲームの時代でしたが、今はもう、引き算の時代だと思っています。
『あの人は成功者だ!彼は成功したからあそこに住めているんだ!』
なんてよく耳にしますけど、成功っていったいなんなんでしょう?
きっとそれって、百人いたら百通りだと思うんですよね。
ちょうど今日キングダムの映画を見ていたのですが、ああいった漫画やアニメの主人公やキャラクターとして認定されるようなメインキャラたちは、その時その時代のいわゆる"成功者"、なのかもしれませんが、あんな戦国の世の時代にも、名前もつけられないモブキャラたちの方が、意外にメインキャラたちより幸せに暮らしていたのかもしれませんよね。