10月5日(2005年) 最初で最後かもしれない
ものすごい方向音痴なので、初めてのスタジアムに一人で行く時には、事前にしっかりと下調べをしておかないといけない。
ただ準備したものを見るまでもなく、駅から赤い人についていってスタジアムに到着している事が多い。
この日五井駅に降り立つと、まわりには赤い人も黄色い人も居なかった。
スタジアムに着くまで、どちらのサポーターらしき人とも出会わず、競技場まで○○kmの表示も無かったので、果たしてこの道で合っているのか不安になったが、
大事な試合だったので、みんな早めに行っていたのだろう。
雨も降っていたから駅からバスに乗った人のほうが多かったのかもしれない。
レッズの連続ゴールが決まって、トータルで同点に。
勢いは完全にレッズのほうにあると思えた。
ジャッジへの不満もあったけれど、やはりオシム監督と阿部選手にやられたなという気持ちが大きい。
試合後にサポーター仲間から来たメールに、
「選手たちは、みんな頑張っていたよ」と返す。
振り返って競技場を眺めて、悔しさを噛み締めながらその場をあとにした。
最初で最後かもしれない市原臨海競技場の思い出は、「阿部勇樹」で占められている。
当時は悔しい気持ちと共にあったその名前が、
今は誇らしさと共にあるなんて、この日の私に言ってもきっと信じないだろう。