火鉢のおじさんと縁側

火鉢のおじさん。そう呼んでいた。小さい頃、祖母の家へ遊び行くと、そこから時々会いに行った火鉢のおじさん。祖母のお姉さんの旦那さんのことだ。祖母のお姉さんは私が知る随分前に亡くなっていた。祖母がカエルなら、そのお姉さんはウサギ…祖母以外の他の兄弟は皆、ハンサムでべっぴんさんだった…と、母たち娘らは集まるとそう話していた。ウサギのお姉さんもべっぴんさんと評判だったらしい。お姉さんはお風呂の中で最後を迎えたという。自ら湯灌を済ませ、死に際さえも美しいと言われた。
大きな平屋の日本家屋のその家は、まるで時代劇に出てくる庄屋のようだった。ぐるりを土壁で囲われて、壁沿いの細い道の奥に門があった。門をくぐるとおじさん自慢の庭があり、母屋がどでんと構えている。縁側は開かれていて、一目瞭然誰がやって来たかすぐわかる。
黒く艶のあるどっしりとした柱の入口をくぐると、土間があり炊事場になっており、薄暗くひんやりしていた。子供には高すぎる上がり框を登ると、おじさんが見える。大きな肘掛椅子に座わり、パイプをくわえている。
足元の大きな火鉢の横に座布団があり、私はおじさんの真正面のその場所に座った。下から見上げるおじさんにいつも圧倒させられた。黒いブチの眼鏡をかけ、ベレー帽を被っている。カールした白髪がベレー帽から少しはみ出し、同じ白髪の口ひげをはやしていた。パイプを持つ皺で波打った手を見ていた。
「ようきたな。」
「あんたは誰やったか?」
そして、いつも最後は母に
「これは、お前によう似て美人や。」
と言った。
おじさんは美術教師を引退してから、ずっとその家で絵を描いていた。脇には画材がずらりと並んでいた。絵具や絵筆が無造作に置かれているその光景を覚えている。
事あるごとにその光景を思い出す。夏のじりじりと暑い日、雨が降る前の心地よい風が吹く時、少し湿気た草の匂い、使いかけの絵の具を見かけて…。私はあのおじさんやあの家にあこがれがあるのかもしれない。流石に小さい頃に意識したわけではないけれど、画材や火鉢、土壁の質感、縁側を通り抜けてくる心地よい風も、昔、ハンサムだっただろうおじさんの年老いても枯れない色気も、どれも好きだ。絵描きへのあこがれを持ってしまうのもおじさんが影響しているのかもしれない。
私とは血縁関係がないおじさんだが、強烈なインパクトを与えてくれたようだ。いくら憧れても、絵描きや色気は才能や資質が関係するから、きっとあこがれのまま終わるだろう。けれど、もし、好きに家を建てられるとしたら、縁側を作ると決めている。ま、それだってそんな予定はないけれど…。四季のある日本なら、風を感じられる家がいい。電気製品は最新で。

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