ジーンとドライブ vol.13
「百聞は一見に如かず!行ってみたら何か感じるかもしれないよ。」
と言う私に、
「そんなん、本で読めば大体のことは理解できるし、ネットもあるし。」
と、ジーンは可愛くない返答をした。
「井の中の蛙で結構!」
と大声で叫んだのはそのすぐ後だった。
あの時は八方ふさがりで辛かったなぁ。あえてどこかへ連れ出す意味が自分でも分からなくなっていた。でも、結局私達は旅に出た。そして、以前とは少し見える景色が違う現実へ戻ってきた。
小笠原旅行のアルバムをつくる!と意気込んだが、しょっぱらから気後れした。記憶に残せばいいじゃない…と言いながら、この瞬間を永遠に!と、まるで証拠写真か何かを撮るように、撮りまくった膨大な写真のデータがフォルダにあったからだ。こんなに撮っていたのか…。撮り直したり、向きを変えたりしたもの等、似たような写真は一番いいものを残すなどして大半を整理することから始めた。
整理していくと、ジーンの表情が固く不機嫌な顔から、だんだんと柔らかく楽しそうな顔へ変わっていくのがまざまざと分かった。
アナログのアルバムにしようかと思っていたが、流行りの写真を送ってレイアウトデータを送れば、本にしてくれるというサービスを使ってみることにした。本になって手元にある…と想像したらウキウキしたからだ。編集者気取りで、小笠原の旅をロードムービーならぬ、ロードブックの様に仕立てていく。写真を加工したり、吹き出しでその時のセリフも載せて見たりした。私が勝手につらつらと書いた文章も載せてみた。ページが出来ていく毎に、あの時あの景色が思い出されて、行って良かった、連れて行って良かったとまた胸が熱くなる。もし、私が酒飲みなら、しばらくこの写真をつまみにお酒が飲めそうだった。ジーンにもこの胸が熱くなる感じを早く伝えたかったが、秘密にしておくことにした。旅の熱が冷めきってしまう前に本にするのだ。
私がアルバム本を編集しているとはつゆ知らず、
「あ~。また行きたいなぁ。」
とつぶやいては、私達を案内してくれたガイドさんのブログのチェックを欠かさない。
「また行きたいし、本当に行って良かったけどさ。よく言うよねぇ。」
「え?どういう意味?」
「あんなに行きたくない!行きたくない!行きたいところなんてない!言ってたのに。」
「行ってみないと分からへんかったんやん。」
「ほらな!『本読めば、大体のことは理解できる!』とか誰が言った?。」
「行ってみないと分からんかったわ。ハハハハハ。」
「ハハハハハじゃない‼」
「百聞は一見に如かずの続きあるの知ってる?」
百聞は一見に如かず
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一果に如かず
百果は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず
聞くだけでなく、実際に見てみないとわからない
見るだけでなく、考えないと意味がない
考えるだけでなく、行動するべきである
行動するだけでなく、成果を出さなければならない
成果をあげるだけでなく、それが幸せや喜びにつながらなければならない
自分だけだなく、みんなの幸せを考えることが大事
ジーンはこれを知っていて、知っていながら、私に歯向かって可愛くないことを言い続けていたのである。まったく、なんて奴だ。
「小笠原へ連れて行ってくれたから、これが本当だと理解できた。」
とジーンは私を見た。
表紙のイラストを選んで、『小笠原諸島への旅』とタイトルをつける。いや、普通!。普通過ぎるから副題をつけることにする。副題は…。
『-行かなきゃ分からないことがある‼-』
とした。そして、
『百聞は一見に如かず/百見は一考に如かず/百考は一行に如かず/百行は一果に如かず』
と付け足した。
編集後記には、
『結婚して4年目の秋、台風による二度の延期の末、三度目の正直でついに小笠原へ旅に出た。どこにも行かない!行きたくない!というジーンを説得の末、南の島へ連れ出した。25時間の船旅を経て、東洋のガラパゴスと呼ばれる島で過ごしたフォトブック』
と記した。
一週間ほど経った朝、ジーン宛の荷物が届いた。
身に覚えがないと不思議そうに封を開けるジーン。フォトブックの表紙を目にして動かなくなった。
「・・・・・」
「フォトブック作ったのよ~。」
そう言ってジーンを見上げると、ジーンは目に涙をいっぱい溜めこんでいた。
「俺ねぇ。ホンットに楽しかったんや。」
と言った瞬間、大粒の雫が流れ落ちた。
私の予想を遥かに超えた雫に戸惑ったが、それはすぐに連鎖した。
君が楽しかったことなら知ってる。あんなイキイキとした顔は結婚してから見たことなかったからね。いつも何かに怒ったようで。いつも何かを疑っているようで。怖がっているのではなく、無鉄砲でもなく。人に対しても自分に対しても無関心なように思えた。
でも、その涙を見るに、君は人一倍繊細なのかもしれない。そして本当は、色んな事が見えているのに、繊細故、無関心でいなくては深く深く傷ついてしまうことが分かっていたのかもしれない。小笠原のボニンブルーの海か、澄んだ空か、無邪気に泳ぐイルカたちか、気さくな島民達か…。それとも25時間の海の上の時空か…。いづれにせよ、何かによって、そんなことは無意味だと感じたのかもしれない。明らかに以前のジーンとは違ったが、きっと今が本来のジーンの姿なのだと思う。
ロマンスの末でなく、ご縁によって結婚を決めた私にとって、初めて愛おしく思えた瞬間だった。