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とち餅

旅行に出て、お土産屋さんでつい買ってしまうものがある。とち餅だ。本当はお土産物のそれより、また食べたいとち餅がある。味の濃さが全然違う。いつも、買ってしまっては、「違うんだよな…。」とお父さんを思い出す。

学生の頃、縁あって和紙工房に二週間ほどお世話になったことがある。味わい深い経験だった。
元々はお父さんの家系の仕事だったが、お母さんの方が引き継いでいた。お父さんは大きな機械を使って大量に漉く産業和紙を仕事にしていた。お母さんの漉く和紙は生花が漉かれた野趣あふれるもので、見た瞬間から心を奪われた。お父さんは、手漉きは自分には無理だったと言った。お二人ともとても穏やかで優しかった。
すでに家を離れた娘さんの部屋をお借りして夜をすごした。部屋にはキャンディキャンディがずらりと並んでいて、読みたかったがいつも疲れ切ってそれどころではなかった。布団に入る頃、屋根裏は騒がしかった。きっとねずみだったんだと思う。走り回っていた。
朝早く起きて、朝食を頂き、家の向かいにある工房へと出向いた。どの工程も初めての事ばかりで楽しかった。薪を割ることも始めて教わった。工房は山小屋の様で、目新しい機械はなく、どれも古くレトロなものだった。それが逆に新鮮で、その空間で和紙作りを手伝っていることに高ぶっていた。
和紙は冷たい冷たい雪解け水で漉くとしまりのあるいい和紙になる。お世話になったその時も季節は寒い冬だった。慣れてきた頃、小さなものから漉かせてもらえた。やってみたくて仕方がなかったので張り切ってやってみるが、冷たい水に手を浸し続けることが気持ちと裏腹に体が苦痛だった。ただでさえ、末端冷え性の私にはまるで拷問の様だった。それでも、あこがれの和紙漉きをさせてもらえていることが嬉しくて、何度も漉いた。自分で言うのもなんだが、なかなか見込みはありそうだった。すでに感覚がなくなるほど赤くなった手は、朝に割った薪をくべて温めてある和紙を乾燥させる衝立に手をかざした。衝立は表面に漆が塗ってあったのだと思う。微かにその香りがして、ほのかに暖かかった。
三時になるとお茶休憩をした。工房には、近くに住むお母さんのお友達が手伝いに来ている。大人しいお母さんと相性の良さそうな、ぽっちゃりしたとても陽気な可愛い人だった。三人で火鉢を囲んでコーヒーを飲む。何のことはないインスタントコーヒーである。それに、お父さんが採ってきたとちの実で作ったお餅を焼く。その微かな甘みが美味しくて至福のひとときだった。冷えた体が少しずつ溶けていった。
家に帰ると、日に日に打ち解けていくお母さんと私を羨むように、お父さんはたくさん話してくれた。夜は自分の番と言わんばかりに。
休みの日はお父さんの出番である。綺麗なピンクの桜貝が打ちあがる浜辺へ連れて行ってくれたり、水族館へ連れて行ってくれたりした。水族館で魚を見るたび、「美味しそうだ。」と言って笑わせてくれた。ナマコは丁重にお断りしたのに、ウマイからと晩御飯に用意してくれたりもした。
お父さんにもお母さんにも本当によくしてもらった。
春になる頃、お父さんから「いいのが採れたから。」と届いた小包には、街では見ることのない大きなタラの芽や山菜の束だった。早速天ぷらにして食べた。
街へ帰ってきて、すぐに街の生活に馴染んでしまう街っ子だ。でも、あの素朴で時間がゆっくりと流れる生活、淡々と古きよきものを作る生活にとても憧れた。卒業して数年後、やっぱり…と和紙職人になることを真剣に考えたこともあった。もし、父が病に倒れなかったら、踏み出していたかも…しれない。けど、結局踏み出さなかった。憧れで終わった。

あれから、何度か近くを旅行した際には立ち寄った。お父さんにはいづれも会えなかった。元気にしているだろうか。
私にとってあの経験とお父さんとお母さん、そして食べたもの見たもの触れたもの、五感で感じた全てが昔のあこがれとして残っている。
あんな時間をこの先また過ごすことが出来るだろうか?たぶん無理だって言われるんだろうな…。こんなご時世ですしね。今、あの時の私くらいのあらゆることをスポンジのように吸収できるお年頃の子達が気の毒だ。本で読むより、耳で聴くより、その場で色々を感じることがものすごく大事だと思うのに、今はそれが難しい。
でも、その気になればいつでもできるんだと思う。自分を励ますためにそう思っているということでもあるけれど…、たぶん、出来るはず。スポンジの吸収率は低下するかもしれないけれど、年の功でいくつか他のスポンジを手にしているかもしれないし、要らないものをプシューと出せばまた吸収できるから。少し、無理やりな感はあるが…。

ああ、お父さんのとち餅食べたい。ほろにが甘いあこがれの味。

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