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ジーンとドライブ vol.6
ジーンはこよなく亀の小雪を愛している。もしかすると私なんかより愛しているかもしれない。私は言葉で傷をつけたり、嘘をついたりするからね。
でも、小雪は言葉でそんなことしないし、ジーンにとっては害がない。
ジーンは週末になると、小雪の水槽の掃除をしてきれいな水に入れ替える。私はそれを見ながら、「私もそれくらい手をかけてほしいものだ…」と小雪に少しばかり嫉妬する。でも、そのほのぼのとした空気と小雪に注がれる眼差しには悔しいかな完敗なのだ。
ジーンの母親に聞いたことがある。小雪の前にも買っていたカメがいたという。水族館へ持って行かせたんだと言う。受験勉強とか部活とか忙しくなって面倒見切れなくなっても私は一切見ないわよ!と言ったら持って行ってたの。よく言う事を聞く子でしょう。懐いていたから辛かったって帰ってきて言ってたわと彼女は武勇伝の様に話す。たまげたことを言っている母親とその言う事を素直に聞く息子…。異常だ。その後の彼女の話はもう耳に入ってこなかった。
「カメ、捨てたの?」
随分時が経ってから聞いてみた。一瞬動揺してから「どうして知っているの?」と言うので、お母さんから聞いたことを話すと、
「ひっどいな母親だな…」
と言ったが、驚くことにジーンの記憶の中では違っていた。自分が自ら水族館へ持っていたのだと言うのだ。母親に言われて行ったのではなかったと思うんだけど…と。いづれにしても、どうして持って行くことになったのかという記憶は定かではないが、ただ帰り際に、じーっと自分をみるカメの姿は忘れられないと話すジーンの目は少し潤んで見えた。
カメは臆病で懐かないというが、結構懐く。小雪も人を怖がらない。あの時のカメもすごく懐いていたらしい。ジーンにとって辛すぎた記憶。
デジタルの記憶は完全だ。消去ボタンを押さない限り、何も取りこぼすことなくどこかにそのまま記憶されている。でも、人間の記憶は少し違うようだ。辛すぎる記憶は小さく小さく見えなくすることができるみたいだ。まるでなかったことの様に都合よく消せたりする。現実とは違う内容に変えてしまうこともある。受け入れがたい記憶を消去する。…そんな風に思う。
考えてみたら自分の脳の中でも起こっている。小中学校は楽しすぎて、昨日のことの様によく覚えているが、高校生活は全く記憶がない。楽しくなくて苦痛なだけだったからだろう。苦痛すぎて、二年の夏から通い始めた絵画教室の方が記憶に残っている。学校より、そこの方が私の居場所だった。
胸が苦しくなるような記憶はいらない。ただ、間違った事実は正しいものに修正して、辛かった自分を抱きしめてから消去しよう。その方がいい。何だか分からない辛さだけが残るから。それは放っておくと辛さから棘に変わってしまうから。ジーンの心に長年刺さっていた棘はひとつ取れたかもしれない。
ジーンと一緒についてきた小雪。猫好きの私には、毛がなくて硬いカメなんて、どうにも愛着が湧かなかったけど、日向ぼっこしながらのびてる小雪が少しずつ可愛く思えてきた。毎日見てればそんなもの。