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ジーンとドライブ 物は考えよう

将棋の藤井君のニュースを見ていた時、ジーンにボヤいた。
「ズルいよな…。」

今時の若い人たちは、いいなと思う。ものすごくたくさんの情報がいつだって見れる。ググってしまえばある程度のことは知識として入る。コロナのお陰で、自宅勤務の人が普通になった。副業を応援する世の中にもなった。羨ましい限りだ。私が奮闘していた頃はそんな世の中ではなかった。つい、15年程前のことだ。自宅で仕事…なんていうと、「カジテツ」家事手伝いだと思われた。副業したいと検索したら、主婦目当ての詐欺まがいのサイトばかりだった。つい最近まで、一体あの人は家にいて何をしているの?と思われた。口で言わずとも、普通じゃない人と思われていることくらい位は分かる。そんな風に、いつも後ろ指差されつつ、藻掻いていた気がする。

大学生なる頃、私は超アナログ人間だった。正確には、大学生になってもだ。周りの人間がポケベルからピッチに変わり、携帯電話を持つようになっても、連絡手段は公衆電話と自宅の電話だった。友達からは文句を言われ続けていた。連絡がつかないと。ついに携帯電話を持つようになってから20年くらいだろうか。私のパソコンの先生は母だった。父の事務所で事務仕事をして使っていたのだ。初歩的な事だけしか教えてはくれなかった。母は教えるのが上手くない。…と、このときくらいまでは、大学で教授の助手をしながら父の会社を手伝い、私もお気楽な女子だった。

父がぶっ倒れてしまった後、そこからはパソコンありきの仕事ばかりについた。CADを覚えて図面を描き、イラストレーターやらフォトショップでデザインの仕事もした。母が作るハンドメイドのバッグをネットで売るために、ネットショップやらホームページやらを作ったりもした。どれも分厚い本を買ってきて夜な夜なパソコンに向かった。苦労自慢がしたいわけではないけど独学だった。どれも学校へ行く暇なんてなく、切羽詰まっていた。数日後、時には翌日に完成しなければならない書類をつくるために必死だった。毎日が実践実習みたいなものだ。若かったのもあるが、ああいう時、火事場のくそ力というのか、湧き出る変なパワーのお陰様で乗り切ったように思う。
少し落ち着いてきて、父の会社とは別に、外に働きに出た時も選んだ仕事はCADの仕事だった。おっとり気質の私だが、中身は意外とイラチな性格である。与えられた仕事はその日の内に済ませて帰る。残業は極力しない。五時から男…のおじ様たちをよそにテキパキとこなした。仕事が遅い社員に腹が立った。出来ない、やらない、分からない…という人が悪魔に見えた。出来るように努力しろ!やれよ!分からないなら調べろよ!といつもピリピリしていた。
私の右手のひらの、人差し指の筋のあたりは、クリックのし過ぎで鍛えられ、今でもプックリ盛り上がっている。それに気づいた時、初めて自分のことを自分でよく頑張ったなと労った。
デザインの仕事にしても、いつも仕事をしながら覚えていた。ネットショップだのホームページもそうだ。頑張った割に成果はそれほどではなく、いつだっていっぱいいっぱいだった気がする。
それが、今はどうだろう?今、私の状態があの頃のようだったらと考える。自宅で仕事は普通、副業は国さえ応援、分厚い本はなくとも、ネットの中でこなせるし、無料で簡単に作れるネットショップは山とある。しかもおしゃれに勝手に作ってくれる。私のあの時間と苦労は何だったのだろう…とガックリする。
「今の人たちはいいよな。何か始めようとした時、簡単に始められる。」
とジーンにボヤいた。
「ズルいよな…。藤井君だって、そりゃすごいけど、恵まれているよな…。」
この際、ダダをこねたい気分だった。
藤井翔太君のすごさには目を見張る…以上のものがある。何と言っても生まれた時からネット社会が存在していたし、これまでの歴代の棋士達の足跡も容易に知ることが出来る。加えて、AIをも駆使できる。
ジーンは将棋好きなのである。本棚には羽生義治さんの本がいくつかある。
私は全く将棋のことが分からないが、羽生さんのすごさをジーンはよく話した。
「同じようなことをな、羽生さんも言ってたで。だけど…、」
と、黙っていたジーンは急に思い出したように話し出した。
確かに、同じ答えに辿りつくのに、今の人の方が手っ取り早く簡単に辿りつけると思う。自分の時には時間も労力もたくさん使わなければならなかった。けれど、それはすべて無駄なことではなく、骨と肉として残っている…。というようなことを言っていたという。
ダダをこねたい気持ちはどこかへ行き、代わりに胸が熱くなった。少しの間、何も言えずに黙っていた。時々、ジーンにはこんな風にいとも簡単に、重荷を降ろしてもらっている気がする。

ジーンとは、私が奔走しまくっていた時には出会っていない。曲がりながらも日々が整い始めた頃だった。だから、私が鬼のような顔をしていた時は知らないのである。鬼の顔でも一緒になってくれただろうか?
羽生さんのそれとは到底比べ物にならず、レベルも違った話で、いささか慰められた気持ちにはなりづらいが、妙に腑に落ちた。
無かったものは仕方がない。あったんなら使えばいい。無駄なんてない。無駄だと思う自分がバカだ。物は考えようなのだ。
必死だった時に、「カジテツ」と言われてコンニャロめー!!とはらわた煮えくりかえった自分に、「言わせておきな。」と言ってやりたい。何にも知らないくせに、そんなこと言う無神経な人程、しっぺ返しがどっかから飛んでくるんだって。気が狂いそうになるほど、腹が立ったのは、自分が一番普通に憧れていたのだと思う。普通にどこかに就職して普通に決まったお給料を頂いて、普通に…と。私はとても弱かった。今でも、普通に…と思う時がある。でも、もう普通ではいられなくなっている自分がいるのも事実で笑える。普通が普通じゃなくなって、何が普通か分からない世の中になりつつある。世の中が変われば人の考え方もガラリと変わる。
誰も後ろ指差されないで生きていける、優しい世の中になって欲しい。
誰も誰かの心無い言葉に傷つかない、強さを持って生きて欲しい。

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