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Oh! ママン あなたは美しい

自分で自分の親のことを言うのも小恥ずかしいけれど、母は美しい人だ。

今はもう小さく弱々しくなってしまったけれど、それでも美しい。

物心ついた時からずっと「ママ」と呼んでいたが、二十歳になる頃、何となく下の名前で呼んでみた。すると、「ずっとそれがいいわ」と言うので、それからは下の名前で呼ぶようになった。母という大きな存在が、友達のような関係になって、母は母である前に一人の女の人であることにも気づかされた。呼び方が変わり、お互い年を重ねて、今は私の方が大きくなったように偉そうな口を利いている。それでも、私が母を超えることはない。母という存在は思う以上に大きい。

何度か「もう老けてしまって、美しくないなぁ」と母がこぼしたことがあった。ものすごく悲しい顔をしていたので、私は「え?」と言っただけでそれ以上何も言えずにいたが、年老いていく母が急に小さく思えた瞬間だった。少し寂しくなったものの、私から見れば十分に綺麗だった。

自分も四十路を過ぎて、老いを感じて何とも言えない気持ちになることがあるが、自分で老いを自覚して受け入れるのは結構キツイ…と今なら分かる。時間は無情にも刻々と刻んでいく。

今、母は70代。もう、美しくないと落ち込むことすら無くなったようだが、私から見れば綺麗なおばあちゃんだ。

兎に角、苦労が多く、もう長いこと父の介護をし、自分も難病に侵された。その上、私には子供がいないので、孫の顔も見せてあげられていない。幸せの数が普通より少ないんじゃないか?と思う。それでも彼女は美しい。そして、人に愛される。

人から見れば、最低最悪な状況でも、惨めさは一切表に出さない。それは、彼女のプライドの高さとも言えるのだが。そういう強さが彼女にはある。そして、愛をもらうよりも断然、与えることのできる人だ。「お人がいいのも馬鹿なうち~」とからかわれるほどに。人間だから間違うことも道を外れてしまうこともあるけれど、根底に愛があればそれでいい。彼女には愛がある。彼女の美しさは、強さと与えることができる愛なのかもしれない。

今日も彼女はカラフルな毛糸をたくさん周りに転がして、かぎ針でモチーフ編みをしている。私と妹の為に大きなブランケットをゆっくりと編んでいる。穏やかに。

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