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I Love Mom.

「今日、雨降るんだ?」
「降るらしいで。おかんが言うてた。」
「おかんの言う事聞いて、傘持ってきたん?」
「そうや。鬱陶しいねんけどな、おかん可愛いわ。俺、おかん好きやわ。」
こんなに素直に自分の母親のことを好きとか可愛いとか言っちゃうんだ…と微笑ましく思ったのを覚えている。大学の頃の友達だ。

「母さんのキャベツの千切りは神がかってるんや。」
そう言ったのは、当時お付き合いしていた彼だった。キャベツの千切りを糸の様に細く素早く切れるんだと言われて、…細く早く切れるからって、どうやねん…と口にはしなかったが、いい気がしなかったのを覚えている。
自分の彼が、もしやマザコンでは?と冷や冷やした。
結局お別れしたけれど、結婚するかもしれなかった人である。実家に来てくれないかと一晩泊まらせてもらったこともある。お世話になっている間中、タイムスケジュールをいちいち確認され、どこへ行くかも提案され、どうにも落ち着かなかった。どう呼べばいいか分からず、「Nのお母さん」だから「お母さん」でいいかなとそう呼んで、「お母さんはまだ早いわよ!」と言われてぐさりと矢が刺さった気分だった。そう言う意味ではなかったのに…、じゃあ、「おばさん」でいいのかな?とヒヨヒヨした。結婚前に実家に招待されたら、皆さん何と呼ぶのかしら?あれは、「おばさん」の牽制球だったのだと思う。

「Kちゃん、これ好きでしょ?」
「・・・・」
「今日はKちゃんの好きなトンカツしたから。」
「chekaちゃん、パパに持って行って。」
年にお正月か誰かの冠婚葬祭にしか東京へ戻らない長男、父。就職を期に東京から神戸へ来て、どんどん関西の人になりつつあった。巨人ファンということだけがその名残だった。結局、人生の大方3分の2を関西で生きることになった。里帰りする度、毎回トンカツと自慢の糠漬けを振舞う東京の祖母は、孫よりも長男が帰ってくる方が嬉しそうだった。

「Aがひとりで張り切って準備から何から、片付けまでしていて、Aらしいと思いました。そんなAに見とれるばかりで…。」
そうメールが来て!と義理の弟嫁からラインが来た。こんなメールをコピペで貼り付けてくるんじゃないよ!と困りつつ、このメールは…、義母の立派な「お嫌みメール」ではないか!ということにも驚いた。確かに、びっくりするほど、お嫁ちゃんは見事にどっしりと動かなかった。頑として動かない手助けしないという根性は見下げたもんだった…んだけれども、面と向かっていないとは言え、こんなあからさまな嫌みを送っちゃうんだね、お義母様…。
そんでもって、息子に見とれっちゃっちゃぁおかしい。けれど、お義母様的にはお茶目さをアピールしているかもしれない。
しかしそもそも、当たり障りなくいようとする私にこんなメールをわざわざ見せるなよ…と思いつつ、差しさわりなく返信した。
「困っちゃうね。」
「ドン引きです!息子に見とれるってどういうことですか?気持ち悪いです!」
ヒャー。そっちなんかーい。付け足し程度に違和感を感じた「見とれちゃう」に真っ先に反応していたのである。そっちか~。たぶん、9割の人は嫌みと取ると思うのだが、違った。この子は最強だと思った。お義母様~!あなたの目論見は見事に外れましたよ~。それどころか、あらぬ方向へ舵を取っております!
『自分と同じように、人も思っていると思ったらあかんよ!』
という母方の祖母の言葉を改めて実感した。

友達の言うことなら微笑ましく思えるのに、自分に関わる人の言葉だと何だかいい気分になれないのは何でだろうか?
息子は母親が好きで、母親は息子が可愛い。それがどんな息子でどんな母親であろうとである。いくつになっても息子は息子。それは普通のことだ。でも、可愛ければ可愛いほど、そのお嫁ちゃんには取られた!という気持ちが強く湧いて出るのかもしれない。
幸い…とも言うべきか、家の旦那様、いわゆるお義母様の長男ではあるけれど、関係はドライである。義母は比べちゃいかんと思えども、どうやら次男のA君の方が可愛いらしい。それでも、掘り下げていけば、家の旦那様だって、「I Love Mom.」である。
※随分前に書いたもの

友達の「おかん、可愛いねん。」が微笑ましく思えるのは、客観的に「おかん」を見ていることもその要因かもしれない。久しぶりに、その友人に会いたくなった。元気かな。
波風立てず、平和に過ごしたい…。
いいよ。親子の愛情は切っても切れるわけでなし。
自分と好きな人や夫との愛情をやわらかくて温かくて唯一無二の形にすることに色々を注げばよろしいのではないかと…そのように思います。








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